出来ないことが増えていく認知症の母ですが、
「言語」に関しては、
それほど「引き算だなあ・・」と、思うことがありません。
テレビで、幼子が火災や事故で亡くなったニュースを流していると
「もごらしいない・・・」と感想を言ったり
麻生大臣がテレビに出ていると、
「麻生は馬鹿だもんで・・・」(かつて、麻生さんが総理大臣をしていたころ
よく父が、「麻生が馬鹿だもんでしょうがない・・」と言っていた)と言ってみたり、
そして、お嫁ちゃんや娘たちとの会話も「普通」なのです。
これが、「誤解」を招く元なのだなあ…と思います。
昔、まだ「認知症」がこんな風に認知されていなかったころ
毎日世話をするお嫁さんが、
いくら日常の異常行動を説明しても
たまに訪ねてくる嫁いだ娘との会話は普通で、
だから、姑と娘に「意地の悪い嫁だ」などと言われ、
泣く泣く、我慢しながら姑たちの面倒を見ていた、
という話がいかに多かったことでしょうか。
言語の面では確かに、あまり「引き算」(出てこない単語)はありません。
私たちだってもう、「あ~、あれ!あれ!」などと
単語が出てこないことはしょっちゅうなのですから
それに比べたら、
認知症の母だけれど、遜色ないと思います。
ただ、状況を説明する力は、無くなりつつあります。
ああ、これも私たちにも当てはまっているかもしれない・・・・
「言語」に関しては、
それほど「引き算だなあ・・」と、思うことがありません。
テレビで、幼子が火災や事故で亡くなったニュースを流していると
「もごらしいない・・・」と感想を言ったり
麻生大臣がテレビに出ていると、
「麻生は馬鹿だもんで・・・」(かつて、麻生さんが総理大臣をしていたころ
よく父が、「麻生が馬鹿だもんでしょうがない・・」と言っていた)と言ってみたり、
そして、お嫁ちゃんや娘たちとの会話も「普通」なのです。
これが、「誤解」を招く元なのだなあ…と思います。
昔、まだ「認知症」がこんな風に認知されていなかったころ
毎日世話をするお嫁さんが、
いくら日常の異常行動を説明しても
たまに訪ねてくる嫁いだ娘との会話は普通で、
だから、姑と娘に「意地の悪い嫁だ」などと言われ、
泣く泣く、我慢しながら姑たちの面倒を見ていた、
という話がいかに多かったことでしょうか。
言語の面では確かに、あまり「引き算」(出てこない単語)はありません。
私たちだってもう、「あ~、あれ!あれ!」などと
単語が出てこないことはしょっちゅうなのですから
それに比べたら、
認知症の母だけれど、遜色ないと思います。
ただ、状況を説明する力は、無くなりつつあります。
ああ、これも私たちにも当てはまっているかもしれない・・・・