青の洞窟と云っても、カプリ島の "青の洞窟"ではなく
岩手県下閉伊郡岩泉町にある「龍泉洞」のことです。
日本三大鍾乳洞の一つで、山口県の「秋芳洞」や高知県の「龍河洞」とここの龍泉洞です。
三箇所行ってますが、高知の龍河洞は足がガクガクしてしまいましたよ。
岩手には沢山の鍾乳洞がありますが、観光化され立派に作られているのはここになりますね。
5000m以上あると言われる中で700mが公開 . . . 本文を読む
盛岡から、455号線を太平洋側に向かいました。
最初に見えて来るのは外山ダム。民謡外山節の発祥の地ですね。
またしばらく行くと岩洞湖が見えてきます。
途中の山間の家はこのような感じで放牧をしています。
まだまだ茅葺の家が残っています。
ここは、旧小本街道で塩の道と呼ばれました。
太平洋から塩をベコ(牛)に乗せて運んだのですね。
そこで出来た歌が南部牛追い歌ですね。
あーさんスタイルで・ . . . 本文を読む
岩手県の面積は県では日本一の面積であることはよくご存知でしょう。
四国四県とほぼ一緒とも言われます。
それでは、岩手県の「岩手」はどのような理由から名が付いたのでしょう。
大和物語りによれば「平城天皇の御代にみちのくの国から鷹が献上され帝はこれは岩手となづけた」とある。
しかし、一般的な俗説としては、「三ツ石と鬼の手形」の物語りが岩手の地名や不来方(こずかた)の起源や地名であるといわれている。 . . . 本文を読む
蔵の街と聞くと福島県の会津の奥・・・喜多方の街を想像します。
勿論、東北でのことではありますが・・・・宮城では村田と言う町も蔵の街として有名でもあります。
写真はありますのでいずれ・・・蔵と言えば倉敷ですね。
あの備前の国にある、美観地区はお堀と蔵と美術館そしてアイビースクエアガーデンでしたかね、もう十数年行ってませんが、変わったでしょうね。
確か、紡績工場跡だったと思います。近くのホテルに泊ま . . . 本文を読む
歴史に興味の無い方は、映画やドラマのロケ地としてご覧下さい。
平泉を開いたのは、藤原清衡ですが、そこには父:経清の過酷な歩みと清衡の不幸な半生があります。
この事については、前九年の役・後三年役も含めいずれ書き残して置きたいと思っていた歴史です。
ネットで調べれば簡単な事ですが、できるだけ簡単に解りやすく伝えられればと思っています。
奥州藤原氏は承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)93 . . . 本文を読む
↑政庁北門
まずは、多賀城政庁を復元した建物を見てみましょう。
見返り坂から撮影!
脇殿
ここでのロケシーン
南門でのロケ
南門
弓じゃないですか・・・昔作って遊んだものと同じです。
ロケにでも使うのか? 甲冑が並んでます。
平安京や平城京のように正殿を中心に、左右対称に建物が配置され、建物は都の宮殿にならい、太い朱塗りの丸柱に南門は瓦葺の八脚門とし . . . 本文を読む
今から800年程の昔、陸奥と呼ばれた東北に燦然と輝く一大都市がありました。
金色に輝くお堂は、今も尚、人を魅了し、中尊寺を訪れる人々は絶えることがありません。
平和な国を目指して初代清衡公はこの地を仏教の地として築き上げたのです。
それが平泉です。
しかし、この街が出きるまでには、長い戦いと苦悩がありました。
平安時代以前、この東北地方に住んでいる人々は蝦夷(えみし)と呼ばれ、朝廷は蝦夷を支配 . . . 本文を読む
蓮峰山 常堅寺(じょうけんじ)
延徳二年(1490)・・・おまけ!時の将軍は足利義稙4年間で終わってます。
開基は大原弾正勝行、遠野郷の曹洞宗十二力寺の筆頭である
「遠野物語」八八話にも登場している。
簡単に説明すると、ある大病をしていた老人が、お寺に話を聞きに来たという。
和尚は老人にお茶を出し、気楽な話をしてその老人は帰った。
門を出るとその老人は消えてしまっていた。小僧は驚き和尚に話す . . . 本文を読む
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まず、蘇民祭の動画を是非見てください。
岩手県 奥州市 黒石寺蘇民祭
瑠璃壺川 この川を堰き止め深みを作り、身を清めていましたね。
ここに登っていたのですね。
流石南部鉄のメッカ! 狛犬様は鉄製です。 鉄狛28号?
クローズアップ
江刺八十八ヶ所のお札が
ひー . . . 本文を読む
伝承園を訪れました。
この日は、寒かった~ この山間には、そこまで冬が来ているようです。
360度山に囲まれたこの地に、何故これほどまでに民話が伝承したのでしょう。
きっと、冬はどこにも出れず、家の中で親から子へそして孫へ囲炉裏を囲み語られたのかも知れませんね . . . 本文を読む