
サン・ファン・バウティスタ号 出航の地 月浦を訪ねた。
サン・ファン・バウティスタ号や支倉常長については、過去記事を下部に貼り付けましたのでご覧下さい。

石巻市渡波から牡鹿半島に向け、車を飛ばした・・・
飛ばしたといっても、この半島の道路はカーブ続きなので、飛ばせませんが・・
万石橋を渡るとサン・ファン・バウティスタパークは右折ですが、曲がらず真っ直ぐです。
桃浦港を越すとまもなくです・・・入り組んだ半島の小高い丘の上にこの記念碑がありました。


あれ? この像青葉城の下にあった像と同じだ。。
と言うことは、メモリアルパークにもあるから3体になる。
メモリアルパークはいずれ・・・・

やはり、着物の中にはブラウスのようなシャツを着ている。
この下にある湾が月浦漁港だ。

周りの景色は・・・・ チョット木が邪魔・・・・


下へ降りて見ました。
伊達政宗公の命を受けた家臣・支倉六衛門常長は、
慶長遣欧使節の大使としてサン・ファン・バウティスタに乗り込み、
イスパニア王国(現スペイン)さらにローマ教皇にまで謁見を果たす為
ここ月浦から遥かローマを目指し出帆したのです。
1613年10月28日、180人を乗せた慶長遣欧使節船は途方もない旅に出たのです。

この後ろに石碑が・・・


この井戸は、南蛮井戸と言われ、船に積む飲料水にも使われ、この辺りには南蛮人つまり外国人の住む小屋が建てられていたようです。



遣欧使士支倉六右衛門常長 月浦出帆三百五十年記念 昭和三十八年九月十五日

この石碑の書は、伯爵東郷平八郎のようです。
当時の船旅は命掛けですね。 よく帰って来たものだと思います。
過去の記事です。見てない方はどうぞ!
慶長遣欧使節船:サン・ファン・バウティスタ
支倉常長とサン・ファン・バウティスタ号
サン・ファン・バウティスタ号 船内1
サン・ファン・バウティスタ号 船内2
慶長遣欧使節船・第一弾終了
支倉常長
サン・ファン・バウティスタ号や支倉常長については、過去記事を下部に貼り付けましたのでご覧下さい。

石巻市渡波から牡鹿半島に向け、車を飛ばした・・・
飛ばしたといっても、この半島の道路はカーブ続きなので、飛ばせませんが・・
万石橋を渡るとサン・ファン・バウティスタパークは右折ですが、曲がらず真っ直ぐです。
桃浦港を越すとまもなくです・・・入り組んだ半島の小高い丘の上にこの記念碑がありました。


あれ? この像青葉城の下にあった像と同じだ。。
と言うことは、メモリアルパークにもあるから3体になる。
メモリアルパークはいずれ・・・・

やはり、着物の中にはブラウスのようなシャツを着ている。
この下にある湾が月浦漁港だ。

周りの景色は・・・・ チョット木が邪魔・・・・


下へ降りて見ました。
伊達政宗公の命を受けた家臣・支倉六衛門常長は、
慶長遣欧使節の大使としてサン・ファン・バウティスタに乗り込み、
イスパニア王国(現スペイン)さらにローマ教皇にまで謁見を果たす為
ここ月浦から遥かローマを目指し出帆したのです。
1613年10月28日、180人を乗せた慶長遣欧使節船は途方もない旅に出たのです。

この後ろに石碑が・・・


この井戸は、南蛮井戸と言われ、船に積む飲料水にも使われ、この辺りには南蛮人つまり外国人の住む小屋が建てられていたようです。



遣欧使士支倉六右衛門常長 月浦出帆三百五十年記念 昭和三十八年九月十五日

この石碑の書は、伯爵東郷平八郎のようです。
当時の船旅は命掛けですね。 よく帰って来たものだと思います。
過去の記事です。見てない方はどうぞ!
慶長遣欧使節船:サン・ファン・バウティスタ
支倉常長とサン・ファン・バウティスタ号
サン・ファン・バウティスタ号 船内1
サン・ファン・バウティスタ号 船内2
慶長遣欧使節船・第一弾終了
支倉常長
西洋に行っても恥ずかしくない顔です
(アホな感想、すんまへん)
渡波より先には20年以上行ってないなぁ~
ほほぉ~月の浦にも同じ常長像がありましたか
まぁ博物館の肖像画をモデルにして何体か造ったんだろうけど…
探せば他にもどっかにあるかもね
木々の間から見える海の色が綺麗です。
髭とモミアゲが効果的!
なかなか本気にならないと足を延ばしませんね。
天気も良かったのでぶらぶら行ってきました。
神社・・・発見! あることに驚きました。
作った場所は半島の反対側だし・・・
仙台からは当時の条件ではかなり遠いし、峠も沢山あります。
秘密で作られたのか?と思うほどです。
隣の浜は、侍浜といいます。
きっと携わった侍達が居たのでしょう。
支倉常長の像しか覚えてません
そういえば
サン・ファン・バウティスタ号を復元した際の棟梁の孫の嫁って人が数年前同僚でした
日和大橋渡って、ファミマーに寄って車降りたら・・・
キター!! 臭かった。
でも仕方ないよね。あの辺の人達は馴れて臭わないのかな?
それとも我慢してんの?
東郷元帥書の石碑も見ました。
初めて見た時は、「このような所に」とビックリしたことを覚えております。
東郷元帥揮毫の石碑は、上越市の春日山城の麓に春日山神社と、大分県の宇佐八幡宮のすぐ近くで見ました(春日山神社の碑と和気清麻呂の碑です)。
東郷元帥といえば日本海海戦の英雄ですから、揮毫を求められても不思議はありません。
宮城と新潟と大分・・・これだけ離れた所で見つかるということは、もっと全国各地にあることでしょう。頼まれれば案外気前よく応じる一面がある人だったのかなと思ったものです。
復元されたサン・ファン・バウチスタも何度か見たことがあります。「小さな船だな」というのが正直な感想。それと小ぶりな船体に較べてマストが非常に高いのが印象的でした。
本当に、よくぞ無事で帰って来たものだと思います。
宇佐八幡宮は行ったことがありますが、春日山神社ですか~・・?そこはたぶん無いと思います。
意外と安請け合いしたのかも知れませんね。
自分の名が残るのですから、悪い話じゃないですね。
何ヶ月もの辛い船旅は、二度と嫌だと思いますね。
だから、スペインにそのまま残留してしまった船乗りが居たのかも知れませんね。
それに楽しかったのかもwww