明かされた古代出雲王国の秘密1
この本は、『出雲と蘇我王国』大元出版から引用又は参考にして書いています。
今のところ大事な部分が続きますのでほぼ原文です。
王の葬儀
向家の家から西南に15分歩くと神魂(かもす)の丘に着く。
そこの神社の南方200メートル先に歴代の東出雲王墓がある。
前には鳥居が建てられていて、出雲大神と書かれている。 大家の西南に家族墓がある。
今は高い草に覆われて見つけることは難しい。
秋田県のストーンサークルの内部にある石に似た形の石が並んでいる。
埋められた遺体の上に石が置かれてたという。
家族墓から南方を見上げると丘と丘の合間に熊野山(松江市八雲町)が見える
向家のものは家族墓を拝んだとき、聖なる熊野山を遥拝したと伝わる。
王国時代の王の葬儀は風葬であった。
王が没すると、立膝で座る姿勢にされて、竹籠に納められる。
口に刺した漏斗から朱を注ぎ入れる。 朱は体のすべての細胞にしみわたり死臭を防ぐ。
遺体は、駕籠で熊野山に運ばれ、ヒノキの大木の茂み隠される。
その木には、しめ縄が巻かれ、紙幣が付けられた。
それは霊(ひ)モロギと呼ばれた。
3年後に洗骨して頂上付近の磐座(いわくら)の横に埋納することになる。
遺骨なき後も、その木は締め縄が張られ霊モロギと呼ばれた。
出雲地方には両墓制の習慣があった。
遺体は遠くの山に葬られた。 そこが「埋め墓」である。 その山は神名備(カンナビ)山と呼ばれた。
屋敷には石を置いて「拝み墓」とした。
向王家では王の没後大きな丸岩を運ばせて拝墓とした。
それが東出雲王墓であった。。そこには大岩が90個ほど山と積まれている。
出雲王国は二王制
出雲王国は二王制であり、主王と副王があった。
主王の職名は「大名持」と呼ばれた。 その正式名称の神社が存在する。
延喜式神名帳にも書かれている。 大和国吉野郡に「大名持神社」があった。
王家には、向家と神門臣家の2家があった。
主王には向家と神門臣家から交替で就任した。 副王には主王の出身家でない王家の若殿が就任した。
記紀には、主王が大己貴(おおなむち)と書かれ、それは意味を分からなくするために、
わざと違った発音と違った漢字が使われたらしい。
つまり、王の職名が「大名持おおなもち」であるが記紀では、王が「大己貴おおなむち」とし、曖昧な表現になっている。
真実をわからなくする手段なのかも知れない。
出雲主王(大名持)の系図
数字は就任順。【 】の名前は日本書紀の表記名。 後のaは富家出身で、bは神門臣家出身を示す。
1、菅之八耳 【八箇耳】a すがのやつみみ
2、八島士之身【八島篠】b やしましのみ
3、兄八島士之身【八島手】a
4、布葉之文字口巧為b
5、深渕之水遺花a
6、臣津野【八束水臣津野命】bおみつぬ
7、天之冬衣a
8、八千予(大国主)b
9、鳥鳴海(事代主長男)a
10、国押富a
11、速瓮之建沢谷地身b はやみかのたけさわやぢ
12、瓮主彦b みかぬしひこ
13、田干岸円味a たひり
14、身櫓浪b みろなみ
15、布惜富取成身a ぬのおしとみとりなるみ
16、簸張大科戸箕a ひはりおおしなどみ
17、遠津山崎帯b とおつやまさきたらし
(野見宿袮)a
(富家)
・
・
・
・・(菅原是善)-(菅原道真)
(土師八島)・・・
・・(大枝朝臣家)おおえあそん・・(大江広元)・・・(毛利元就)
この系図は、おもに古事記と王家の伝承によって記されています。
明かされた古代出雲大国の秘密3
この本は、『出雲と蘇我王国』大元出版から引用又は参考にして書いています。
今のところ大事な部分が続きますのでほぼ原文です。
王の葬儀
向家の家から西南に15分歩くと神魂(かもす)の丘に着く。
そこの神社の南方200メートル先に歴代の東出雲王墓がある。
前には鳥居が建てられていて、出雲大神と書かれている。 大家の西南に家族墓がある。
今は高い草に覆われて見つけることは難しい。
秋田県のストーンサークルの内部にある石に似た形の石が並んでいる。
埋められた遺体の上に石が置かれてたという。
家族墓から南方を見上げると丘と丘の合間に熊野山(松江市八雲町)が見える
向家のものは家族墓を拝んだとき、聖なる熊野山を遥拝したと伝わる。
王国時代の王の葬儀は風葬であった。
王が没すると、立膝で座る姿勢にされて、竹籠に納められる。
口に刺した漏斗から朱を注ぎ入れる。 朱は体のすべての細胞にしみわたり死臭を防ぐ。
遺体は、駕籠で熊野山に運ばれ、ヒノキの大木の茂み隠される。
その木には、しめ縄が巻かれ、紙幣が付けられた。
それは霊(ひ)モロギと呼ばれた。
3年後に洗骨して頂上付近の磐座(いわくら)の横に埋納することになる。
遺骨なき後も、その木は締め縄が張られ霊モロギと呼ばれた。
出雲地方には両墓制の習慣があった。
遺体は遠くの山に葬られた。 そこが「埋め墓」である。 その山は神名備(カンナビ)山と呼ばれた。
屋敷には石を置いて「拝み墓」とした。
向王家では王の没後大きな丸岩を運ばせて拝墓とした。
それが東出雲王墓であった。。そこには大岩が90個ほど山と積まれている。
出雲王国は二王制
出雲王国は二王制であり、主王と副王があった。
主王の職名は「大名持」と呼ばれた。 その正式名称の神社が存在する。
延喜式神名帳にも書かれている。 大和国吉野郡に「大名持神社」があった。
王家には、向家と神門臣家の2家があった。
主王には向家と神門臣家から交替で就任した。 副王には主王の出身家でない王家の若殿が就任した。
記紀には、主王が大己貴(おおなむち)と書かれ、それは意味を分からなくするために、
わざと違った発音と違った漢字が使われたらしい。
つまり、王の職名が「大名持おおなもち」であるが記紀では、王が「大己貴おおなむち」とし、曖昧な表現になっている。
真実をわからなくする手段なのかも知れない。
出雲主王(大名持)の系図
数字は就任順。【 】の名前は日本書紀の表記名。 後のaは富家出身で、bは神門臣家出身を示す。
1、菅之八耳 【八箇耳】a すがのやつみみ
2、八島士之身【八島篠】b やしましのみ
3、兄八島士之身【八島手】a
4、布葉之文字口巧為b
5、深渕之水遺花a
6、臣津野【八束水臣津野命】bおみつぬ
7、天之冬衣a
8、八千予(大国主)b
9、鳥鳴海(事代主長男)a
10、国押富a
11、速瓮之建沢谷地身b はやみかのたけさわやぢ
12、瓮主彦b みかぬしひこ
13、田干岸円味a たひり
14、身櫓浪b みろなみ
15、布惜富取成身a ぬのおしとみとりなるみ
16、簸張大科戸箕a ひはりおおしなどみ
17、遠津山崎帯b とおつやまさきたらし
(野見宿袮)a
(富家)
・
・
・
・・(菅原是善)-(菅原道真)
(土師八島)・・・
・・(大枝朝臣家)おおえあそん・・(大江広元)・・・(毛利元就)
この系図は、おもに古事記と王家の伝承によって記されています。
明かされた古代出雲大国の秘密3
あと二家で交代でやっていたという体制って本当に素晴らしいですね。お互いがお互いに尊敬なり信頼なりがないと出来ないはずですね。でここに母性本能のある女が入ってくると大変なのでしょうね。ただその環境で生きている人間はそれが普通なので別に不思議でもなんでもなかったはず。
初期出雲が崩れたのは、おそらく環境が違う方の理解とそこに入るならば郷に従うという気持ちの為だったのでしょう。現世でも役立つ知識に思いますね。政治もそうなったら右往左往する人って結局すぐにばれちゃうので分かるでしょうし、それにより体制が片っぽで崩れてももう一方の今までの積み重ねで崩れかけた物を治す事が出来、国としては最低の質は保て安定しますね。日本の未来にも本物の歴史はいいヒントになりそうです。
個人的には、私の中で赤と青と表現している方々がいるんですけどそれがそこの家にかぶってくると嬉しいですね。いつもどっちがどっちか混乱してくるか反転する事が時代によってあります。
初期の出雲が消えてしまった後も水面下ですべき事をしている方がいないと技術や繁栄はなかったはずなので微かには見えてくるはずですね、でまた決定的な所にも必ずきっと。
向と富はどうしても関わるキーワードですのでまた興味が湧いてしまいます。
問題は、そうした知恵が継承なり伝承なり今の現世に繋がっていない事。子孫の方も損得ではなくお役目としてしたかった事だろうと思います。だからこそ他の方も知る事で何か感じて物事の正しい自分の解釈が変な仲介で邪魔されなくなるとみいですね。感じれる日本人きっとその中の意味は理解出来てしまうんでしょうね。ひーさんが繋いでくれて知る事が出来ました、ありがとうございます。
父との関係も生きている時よりもどちらかが亡くなった後の方が正しく理解出来るようになったと感じます。なので両方が生きている間だと相当誤解や信用にひびみたいな事はいっぱいあるはずなので苦労がいっぱいあったはず。ただ、葬儀の手間を考えると色々な作業や工程を通じて悟りみたいな時間で育つんではないかな?次の覚悟って。
で歴史の中では明らかにその間狙われてますよね。
子供も同じで突然お金渡して大人と一緒の行動させたら怖いですよね〜。何事も時間と手間がかかる物でそれを短時間でどうこうしたいっていう先例を軽視するような合理性だけには警戒心持とうと思います。停滞の中の葛藤も評価出来る日本人しか出来ない発想ですね。出雲の歴史もゆっくりと揺らぎも認めながら知っていけたらいいですね。
ふふふ、大江さんも入ってくるのですね、了解いたしました。でしょうねと思いました。田村麻呂はどうかな?今後が楽しみですね。2834、5928
4泊5日の神社巡りです。お賽銭も相当使いましたよ(笑)
出雲王家の話が進むとわからなくなることがあります。
たしか、出雲の太陽神が伊勢に祀られた・・・・
とあり、まだよく読んでいないのでそれは後ほど・・・
伊勢の物語に迫っていきたいと思います。