ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

封人の家《芭蕉ゆかりの宿》 1

2007年10月04日 13時53分18秒 | 山形県の散歩道
封人の家

重要文化財 旧有路家住宅

宮城県から国道47号線を山形庄内へと向かった鳴子を越えると、尿前の関(しとまえのせき)の看板が見えて来る。


峠を越え山形に入ると間もなく右手に『封人の家』が見えて来た。

いつも素通りばかりしていたが、その日は時間もあったので寄って見ることにした。

入場券を販売している窓口で管理人らしきおじさんが弁当を食べていた。

そう言えばもうお昼の時間だ。


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妻は『お昼なのにすみません』と言いながら入場券を2枚買った。

他に客はいないようだ、私達が中に入るとそのおじさんは山形弁で、丁寧に説明してくれた。

『まぁまぁ、座りなさい』と囲炉裏に薪を入れ、その囲炉裏を囲むように、おじさんと私達は板の間にしかれた座布団の上に腰をおろした。
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ここに、あの松尾芭蕉も腰を降ろしたのかと思うと妙な気分だった。

おじさんは客も居なく退屈して居たのだろう。

この地での生活や、芭蕉の事を説明してくれた…………

『封人の家』 とは国境を守る役人の家のことで、仙台領と境を接する新庄領、境田村の庄屋の家、つまり旧有路家住宅である。

その建物の特色はいわゆる役屋(村役場)としての性格をもち、さらに問屋や旅館の機能もそなえていたようです。

この建物の様式や技法には元禄をくだらない古さが見られ説明してくれたおじさんは350年は、経ているだろうと話してくれた。

現在は最上町(昭和29年~)といいますが、それまでは小国という地名で山形県内では随一の馬産地でした。
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つまり米はあまり採れず馬を売って仕事にしていたのです。

この地方は主として牡馬(ぼば)雄馬を移出し、小国産の牡馬は"小国駒"と呼ばれ、

江戸や越後又は軍馬としても指定され、買い上げられてたようです。

芭蕉の句の背景には馬産地であることも考えなければ、ならないのですね。


つづく


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