仙台城址
このお城には、千畳敷きの大広間があったといいます。
実際には430畳だったと聞きます。千畳敷きは広いと言うたとえだったのでしょう。
豊臣秀吉を真似て造られたであろうと言われる桃山式書院造りでした。
明治初期に維持困難の理由で取り壊されている。
そのときに、金メッキなどの飾り金具も出土されたようです。
よくこの騎馬像を写真で見かけるだろう。
この日はあいにくの曇り空でイマイチの写りだが・・・・・
騎馬像の北側にあった茂みは、石垣工事ですっきりしたが、なんか物足りない
実は、この騎馬像は2代目です。
初代の騎馬像は、第二次世界大戦のおり、鉄や銅の回収で撤去されてしまったのです。
変わりに、昭和29年(1954年)、白セメント製の立像が造られました。
父のアルバムから・・・ 台座の家紋や銅版?の絵がありません。
現在の立像
昭和37年(1962年)、騎馬像の銅像が再建され建立されたのです。
コンクリート製の立ち像は岩出山(現・大崎市)の岩出山城に移設されました。
岩出山城は、伊達政宗が仙台城を築く前に居城していたところです。
では、初代の騎馬像は無くなってしまったのでしょうか。
実は、漁港である塩竃に捨ててあったのです。
伊達政宗の胸から上が見つかったのです。
やはり馬は溶かしても、政宗公だけは出来なかったのでしょう。
それでは、見て下さい。
この存在を知ってる人は少ないようですね。
どのホームページにも、載っていません。
観光客もここには寄らないようです。
この像があるのは、青葉山の下にある仙台市博物館の庭にあります。
それでは、顔をアップでご覧下さい。
騎馬像のアップは、近くで撮れるから叶った映像です。
幼少の頃、天然痘に掛かり失明してしまった政宗は、遺言にて
もし、私が死んだ後、像や絵を描く際には、五体満足に生まれてきたのだから、両目を入れよ。
と言ったのです。
だから目を見開いています。 しかしながら、瞳は入れなかったようですね。
・・2009年7月21日追記・・
台座にある4枚のレリーフ
政宗の人生を4期に分けて描かれています。
このレリーフは、青年期に豊臣秀吉の命による朝鮮出兵の際の出陣の様子です
遣欧使節団・支倉常長がサンファンバウティスタ号で月浦からの出航を見送る様子当事47歳
60歳で権中納言従三位の位を授けられた頃
11歳で元服した頃の様子
騎馬像は台座の上にあるので、お顔は見えませんが、この胸像、ご尊顔をはっきりと見ることが出来て、いいですね。
騎馬像とは違い、この胸像、お顔がはっきりと見えて、いいですね。
出来れば、後の方、削除して下さい。
ばかりですので、とても親しみを
感じます
博物館の庭を歩かないとわかりませんね。知らない人がたくさんいます。