写真は塩竃市牛生町貞山掘り横
まずは、風評被害ですが、確かに目に見えない放射性物質は、今も拡散し続けていることに、日本のみならず世界中へとその不安は拡大している。
身近な問題として福島に対する風評被害は大きい。
そこで、今回の原発事件において避難をしている地区は福島県の浜通りと言われる地区の一部になっています。
それでは、福島県の広さはどれだけのものなのでしょう。
面積は 北海道を除いて県では岩手についで第二位の広さを誇ります。
13,782.75K㎡ ですが 、福島県の中にこれだけの都府県が入ります。
大阪府・東京都・香川県・沖縄県・神奈川県・佐賀県、それでも691.33K㎡ あまります。
この通り、これを福島県 一県の問題と考えていいのでしょうか?
あまりにも無知な官僚や政府の言動に怒りを感じます。
しかし、放射性物質は非常に怖いものでもあります。
正しい知識と正確できめ細かい情報の提供を国の責任でやるべきだと思います。
今回の三陸の津波は予想を越えるものでした。
宮古市の重茂半島では、38.9mに達し、大船渡市の綾里地区では 38.2mの記録。
田老地区の小堀内漁港近くでも37.9m逆上高(斜面を駆け上がった津波)が記録された 。
こんな高さでは、太刀打ち出来ませんね。
今回の震災で多くのことを学びました。
地震直後、店内からいち早く売り消えたもの・・・・
電池・カセットボンベ・粉ミルク・自転車などなどetc
大きな問題は、雪の降る寒い時期にぶつかった為、灯油や病院などの発電システムに必要な重油などの燃料でした。
自動車のガソリン・軽油についても異常な行動を民衆はとりました。
開く予定も無い、スタンドに500台以上も並んで、道路はもの凄い状態。
車が動けば、水のある所に水を・・・食料のあるところ食料を求めに行けます。
お風呂にだって行けるのです。 つまり足がなければどこにも行けなく何も手に入らないのです。
だから、並ぶしかなかったのです。
以前にも述べましたが、救援車両以外にも、物資・燃料の車両も高速道を使わせていればもっと時間を短縮できたはずです。
こんなことがありました。多賀城市で、ボーリング会社が地下水の提供初めました。
市民は水を貰いに通い始めました。そこの社員はボランティアで一日中水の提供を続けました。
地域の人はありがたさにわずかばかりですが寸志を会社に提供しました。
多賀城市にバックアップの依頼をすると、多賀城市はもし水質が悪かったら責任取れるのですか!!
と逆に叱ったのです。
しかし、それは自己責任で市民も貰いに行ってるわけです。
そのあと、県に申し出ました。
県は15万円掛かる水質検査を無料でやってくれました。
結果は、水道水より綺麗な水だったことがわかりました。
多賀城市は最初の申し出の時に早急に水質検査をし、市民に安心を提供すべきだったと思います。
それを跳ね除けた市の行動に腹が立ちました。
なんと今は、テレビの給水場所のテロップにはそこの会社が出ております。
水道が不能の時、ペットボトルなどの容器の蓋にシャワーのように穴を開け、利用しました。
説水に役立ちました。手や食器を洗うのに便利でした。
また、ラップが大活躍、ご飯はラップに分けました。食器にラップを被せてから盛ってもいいですね。
この地震で下水場も破壊され、できるだけ排水を流さないように報道されていました。
トイレの水を使わないようにするには、紙オムツや尿取りパットが便利です。
お湯を沸かすのには、石油ストーブが役に立ちましたね。
ファンヒーターのストーブは我が家に2台ありましたが、電気が無いと全く価値がありません。
普通の反射式は、3台あったため重宝しました。
たまたま、灯油は沢山ありましたので、調理にも役立ちました。
7日の二度目の余震で再度、停電と断水・・・・
また、元の生活に戻ったことにショックをうけました。
わりと早く電気が通電。
明るくなると気持ちが明るくなるものです。私は入院が重なったことで、髪に白髪が目立ち始めていました。
水を無駄に出来ない事もありほったらかしでしたが、電気がついた時、娘が髪を染めてくれました。
普段は私の髪など染めることはありません。
電気が点いたことで気分が良かったのでしょう。
すごく嬉しかったです。家族の絆を感じました。
こんな、地震に負けられません。 私は、もう若くありませんが、また家を建ててやるぞ!
と覚悟しました。
下の写真はマリンゲート付近ですが、車窓より撮影の為うまく撮れませんでした。
貞山堀周辺
決壊した砂押川(多賀城市)
多賀城のゴミ廃棄所ですが、最初の頃は山が低くグランドに捨てていましたが、テンコモリになり、隣接した土地にも廃棄場所を広げました。
当初、宮城テレビの前には系列テレビ局の中継車が沢山ありましたが、今は日テレだけが駐車していました。
この記事を最後に震災に関連した記事は終了します。
復興に向けて気が付いた画像があれば、またUPすると思いますが・・・
PS:にゃんころりんさんへ、返信用のメルアドを送っていただけますか?
まずは、風評被害ですが、確かに目に見えない放射性物質は、今も拡散し続けていることに、日本のみならず世界中へとその不安は拡大している。
身近な問題として福島に対する風評被害は大きい。
そこで、今回の原発事件において避難をしている地区は福島県の浜通りと言われる地区の一部になっています。
それでは、福島県の広さはどれだけのものなのでしょう。
面積は 北海道を除いて県では岩手についで第二位の広さを誇ります。
13,782.75K㎡ ですが 、福島県の中にこれだけの都府県が入ります。
大阪府・東京都・香川県・沖縄県・神奈川県・佐賀県、それでも691.33K㎡ あまります。
この通り、これを福島県 一県の問題と考えていいのでしょうか?
あまりにも無知な官僚や政府の言動に怒りを感じます。
しかし、放射性物質は非常に怖いものでもあります。
正しい知識と正確できめ細かい情報の提供を国の責任でやるべきだと思います。
今回の三陸の津波は予想を越えるものでした。
宮古市の重茂半島では、38.9mに達し、大船渡市の綾里地区では 38.2mの記録。
田老地区の小堀内漁港近くでも37.9m逆上高(斜面を駆け上がった津波)が記録された 。
こんな高さでは、太刀打ち出来ませんね。
今回の震災で多くのことを学びました。
地震直後、店内からいち早く売り消えたもの・・・・
電池・カセットボンベ・粉ミルク・自転車などなどetc
大きな問題は、雪の降る寒い時期にぶつかった為、灯油や病院などの発電システムに必要な重油などの燃料でした。
自動車のガソリン・軽油についても異常な行動を民衆はとりました。
開く予定も無い、スタンドに500台以上も並んで、道路はもの凄い状態。
車が動けば、水のある所に水を・・・食料のあるところ食料を求めに行けます。
お風呂にだって行けるのです。 つまり足がなければどこにも行けなく何も手に入らないのです。
だから、並ぶしかなかったのです。
以前にも述べましたが、救援車両以外にも、物資・燃料の車両も高速道を使わせていればもっと時間を短縮できたはずです。
こんなことがありました。多賀城市で、ボーリング会社が地下水の提供初めました。
市民は水を貰いに通い始めました。そこの社員はボランティアで一日中水の提供を続けました。
地域の人はありがたさにわずかばかりですが寸志を会社に提供しました。
多賀城市にバックアップの依頼をすると、多賀城市はもし水質が悪かったら責任取れるのですか!!
と逆に叱ったのです。
しかし、それは自己責任で市民も貰いに行ってるわけです。
そのあと、県に申し出ました。
県は15万円掛かる水質検査を無料でやってくれました。
結果は、水道水より綺麗な水だったことがわかりました。
多賀城市は最初の申し出の時に早急に水質検査をし、市民に安心を提供すべきだったと思います。
それを跳ね除けた市の行動に腹が立ちました。
なんと今は、テレビの給水場所のテロップにはそこの会社が出ております。
水道が不能の時、ペットボトルなどの容器の蓋にシャワーのように穴を開け、利用しました。
説水に役立ちました。手や食器を洗うのに便利でした。
また、ラップが大活躍、ご飯はラップに分けました。食器にラップを被せてから盛ってもいいですね。
この地震で下水場も破壊され、できるだけ排水を流さないように報道されていました。
トイレの水を使わないようにするには、紙オムツや尿取りパットが便利です。
お湯を沸かすのには、石油ストーブが役に立ちましたね。
ファンヒーターのストーブは我が家に2台ありましたが、電気が無いと全く価値がありません。
普通の反射式は、3台あったため重宝しました。
たまたま、灯油は沢山ありましたので、調理にも役立ちました。
7日の二度目の余震で再度、停電と断水・・・・
また、元の生活に戻ったことにショックをうけました。
わりと早く電気が通電。
明るくなると気持ちが明るくなるものです。私は入院が重なったことで、髪に白髪が目立ち始めていました。
水を無駄に出来ない事もありほったらかしでしたが、電気がついた時、娘が髪を染めてくれました。
普段は私の髪など染めることはありません。
電気が点いたことで気分が良かったのでしょう。
すごく嬉しかったです。家族の絆を感じました。
こんな、地震に負けられません。 私は、もう若くありませんが、また家を建ててやるぞ!
と覚悟しました。
下の写真はマリンゲート付近ですが、車窓より撮影の為うまく撮れませんでした。
貞山堀周辺
決壊した砂押川(多賀城市)
多賀城のゴミ廃棄所ですが、最初の頃は山が低くグランドに捨てていましたが、テンコモリになり、隣接した土地にも廃棄場所を広げました。
当初、宮城テレビの前には系列テレビ局の中継車が沢山ありましたが、今は日テレだけが駐車していました。
この記事を最後に震災に関連した記事は終了します。
復興に向けて気が付いた画像があれば、またUPすると思いますが・・・
PS:にゃんころりんさんへ、返信用のメルアドを送っていただけますか?
しかしライフラインが切断された地域にこういった情報が届いていたのか、また現地の情報がこちらに届いていたのかが気になるところです。
双方向の情報交換があってこそ意味のあるものになると思います。
インターネットが使える自治体等が情報を集約して住民に配信するなどの試みはなされていたのでしょうか。
励ましのメッセージは上滑りのような気がして、どのように申し上げたらよろしいのかわかりませんが、心を寄せ、息の長い支援を考えていきたいと思います。
道のりは険しいけれど、一日も早い復興を祈念しております。
福島から他県へ避難した子供がいじめにあったとか
子供のしたこととはいえ憤りを感じます
多賀城のボーリング会社の記事は新聞で見ました
うちのご近所さんも地下水をわけてくれました
前に検査した数値では飲料には向かないとなってたようですが
最終的には市からポンプに使う燃料が支給されていましたよ
多賀城も被害は大きかったようですが、あまり報道されていないような気がします
避難している方々に物資は届いているのでしょうか?
つまり行けるということです。
ただ情報が集まっていないのが現状でした。
情報の集約場所を一箇所に決め、マスコミも得た情報をそこに集約すればもっと詳細なデータを作れたのではないかと思います。
現場の停電した街からは何の情報も発信出来なかったのです。
情報を収集し発信する機関の役所が無くなったのですから。
今後の課題ですね。
みたいなことを言われているようです。
辛いですね。
原発の事故
どこまで情報が開示されてるんでしょうか?
都会のための原発
ありえません
この原発を使いたい人のところに持って行けと・・
その気持ちわかりますね。