たくさんの人にありがとう。
と素直に言えれば何の問題もありませんでした。
言えないばかりに、ずいぶん苦労しました。
真逆の馬鹿野郎と強がって生きてきました。
役割分担など決めないで、出来る人が出来る時にやっていれば、
丸く収まったはずなのに、これはあなたの役目なんて決めつけちゃったから
争いになったのかもしれません。
何だか自分だけ苦労しているみたいな感じになったんだと思います。
損なことなんて何もなかった。
苦労した分だけ、頑張った分だけあとで自分を助けてくれた。
こんなことが先に解っていれば、苦労は買ってでもしたはずです。
今日のテーマは、「ごめんねを言わない」です。
謝りたいことは、山ほどあります。
弁解したいことも、山ほどあります。
甘んじて受け止める度量がありませんでした。
「ごめんね」と言うくらいなら、しなければ良いのです。
弁解をしたって始まらない。一度芽生えた疑惑はぬぐえないのです。
争うなら、法廷闘争です。
自分がやったこと。
自分ができなかったこと。
あの時、こう言えばがなんとか修復できたかもしれません。
勇気を持ってやっていれば出来たかもしれません。
結局は、出来なかったんです。
「ごめんねを言わない」
口から出まかせの「ごめんね」なんて言わない。
誰にも間違いはあります。
事実だけが残ります。
歯を食いしばって強がりましょう。
腹が立っても許しましょう。
「ごめんね」の心で、その後を生きるのです。
言ってしまった。やってしまった。
石を投げられようと、「ごめんねを言わない」ことです。
この頃、不倫をしたり、悪さをしたら儀式のように謝る風潮があります。
性根は変わらない。口先だけ、謝罪すれば一応許してあげる。
ふてぶてしく最期まで貫いて欲しい。
過去の大物は、悪事がばれたって誰も謝ったりしなかった。
誤解は、する人に任せれば良いのです。
解ってくれる人は必ずいます。
すべての人に謝るなんてできない。
生きる道を選ぶなら、「ごめんねを言わない」で欲しい。
「ごめんね」を腹に据えて生き抜いて欲しい。
いつか真実を話す時が必ず来ます。
生涯に無くても良い。
黙る人 眼が語るとて 胸を張れ
2016年7月13日
<<投稿後>>
疲れてしまい、何も出来なくなりました。
しばし、休みました。
あれこれ言い訳を思いました。
そんな気持ちを蹴っ飛ばしたくなりました。