故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

持たぬ

2022-05-14 08:11:39 | よもやま話

二股は 嘘の上塗り できてこそ

今日のタイトルは、「持たぬ」です。
2022年4月30日投稿記事「納屋に代わるもの」では、

「良い解決策はないものか。
動物の巣の不動産鑑定をしている番組を視た。
さるのように木の上に寝て、2Km四方全体を居住エリアとする。
持たぬことが、最良の策と報じていた。
その手があった。

持たぬとはどういうことか、次の稿で考えよう。」
(記事より抜粋)

「持たぬ」ことというと、
ごみを持たない(捨てる)。
ごみを分類する。
ごみを作らない。

記憶の中にも、ごみがある。
分類することも、思い出を作らないことも無理なことに思える。
私たちの年代になると、物忘れがひどくなります。
記憶の壺に限界があるのか、記憶の連鎖に支障がきたすのか、科学者の判断に任せます。
脳の一部が破壊され認知症になることさえある。

私は、エリアで記憶することに切り替えた。
書類にタイトルを付け、内容詳細は覚えないことにした。
書類の所在さえ、誰に聞けば知ってるか覚えることにした。
技術の分類もやめて、誰が専門知識を知ってるか覚えることにした。
そして、あれとそれの会話が夫婦間で展開される。

生きていれば嫌なことが続きます。
上司のパワハラは、将来書こうであろう小説の主人公に置き換えた。
なんだ、その程度か、と許せた。
うその上塗りができなくなって、正直に生きることにした。
悩みは共有することにして、ブログに書き止め、友人に話す。
生き死にの場面になったら、戦う相手の耳を歯でちぎるぐらいはしようと決めた。
鼻たれ老人が、ある夜から疾駆する天狗になるのである。

ごみの話に戻ろう。
捨てるもの、迷うもの、残すものに分類する。
迷うものを再分類すると、えいやと80%は捨てるものになる。
残すものさえ、一年(1シーズン)使わないと捨てる。
年月が経って、必要になったとき、どこの誰に相談するか覚えておけばよい。

記憶のごみだって、夢に現れさんざん苦しめられる。
これは夢で、現実ではないと判断できればよしとする。
トヨタ看板方式の考え方を取り入れている。
掃除機がまっすぐ走れるハイウェイを家の中に創造する。
よって、箪笥も棚も不要である。
旅館がベストである。
何が問題か、毎朝壁に貼るようにブログを書いている。
整理することで、自分で気づき、将来ヒントを探すインデックスになる。

「持たぬ」ことは、経済的なことや血縁関係など複雑で解決しにくいこともある。
アサヒビールが夕日ビールと呼ばれたころ、スーパードライで一発あてた。
会う人すべてが功労者(俺がこうしたからと皆が言われた)です。
よいことをすれば、誰かが俺がやったといわれます。
よいことも忘れて持たぬことです。
成功体験が、石橋を壊す結果にもなりかねないからです。

まだまだ、思考と試行は続きます。
今日は、ここまで。

2022年5月14日
コメント
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