故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

健康

2015-12-31 05:21:27 | よもやま話


昭和記念公園で出会った普通の風景です。
私は来てよかったと感動しました。



健康を失ってから、健康でいたいと思うのです。
何にもいらないから、元通りの身体に返してほしい。

それは欲張りというものです。
健康でないのには、何らかの原因があるのです。
例えば、暴飲暴食したとか、働き過ぎたとか。
あるいは、パワハラやモラハラにあったとか。
節制すべきは、闘わなければならなかったのはもっと前にあったのです。

私も腰痛になってから不自由を感じました。
しかし会社を一月休むと決めて、
じっくりと痛みがない姿勢を何時間でも、
とり続けることを始めた途端回復に向かいました。

腰痛が去ってからしばらくして、恐る恐る身体の強化に勤めました。
腰の周りの強化のため、体幹を鍛える運動を続けました。
草取りもその一つです。

さて、「ツレがうつになりまして」という映画がありました。
病気になって初めて新しい自分に出会えたという話でした。
障害者の親は、気落ちすることなくかえって強くなると、妻から聞かされました。

昨日、柔道家の古賀さんと吉田さんがテレビに出ておられました。
バルセロナオリンピックでは、二人とも金メダルをとられました。
実は、古賀さんはバルセロナに入ってから練習の時、大けがをされました。
じん帯損傷(試合に出るまで2.5ヶ月かかる)という致命的な大怪我でした。
練習をした相手が、吉田さんだったのです。しかも、二人は先輩後輩の仲です。
バルセロナの選手村でも同室だったのです。

古賀さんは、この大けががなければ、
二人とも金メダルを取ってなかったかもしれない。
と言われました。
気遣う吉田さんと、何としても出ると決められた古賀さん。
不幸を乗り越える体験を、ふたりは土壇場で勝ち取りました。
古賀さんの決勝戦は、判定でした。
古賀さんは、大怪我をしているため何とかしなければと攻め抜いたのです。
これが審判の「積極性」という判断になりました。
二人のその後の人生を大きく変えた瞬間でした。

私は、多くの挫折を経験しました。
その都度、周りが支えてくれました。
私も何とか這い上がってきました。
私は、相当な馬鹿者だったのです。

キレキレの姿は、もう到底望めなくなりました。
しかし、「何とかしちゃるけん」という傲慢さはなくなりました。
「させていただきます」に変わりました。
持っている、残された力で精いっぱいのことをさせていただく。
いただいたチャンスに感謝です。

冒頭の絵は、昭和記念公園の晩秋です。
訪ねたハローワークの職員の方から、「ここが今見頃です」と
教えていただきました。素晴らしい景色に出会えたのです。

焼け野原 何とかすると バトンつぐ 

2015年12月31日

2015年3月30日投稿「泣くこと」を参照ください。
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