故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

顛末

2024-12-04 06:48:47 | よもやま話

絵のタイトルは、「切株」です。
昭和記念公園で見た、まだ新鮮な切株でした。
切った後に分かる苦労と成長です。
残す木のために切られました。


今日のタイトルは、「顛末」です。
女子を好きになって、そのままということはない。
ますます好きになる。
こんな人だったのかと、どちらからともなく別れを告げる。

料理でもそうです。
早く火が通るものと、そうでもないものを分けて炒めた。
卵を絡ませているうちに、あれれ。
ご飯を混ぜる頃には、何か変。
さらに火を通し、炒飯になるころには、ぐちゃぐちゃです。
こんなはずじゃなかった。
野菜の筋だけが残って不味い。

初めからおかしかった。
子供も生まれ、続けるしかなかった。
筋だけが残る気まずい暮らしです。
やはりおかしかった。
後戻りはできない。
修復も簡単ではなかった。
勢いだけでは続きませんでした。

顛末は、
一緒の墓に入る入らない以前の問題となり、熟年離婚が脳裏を横切る。
ああ、30年を返しておくれ。
ボタンの掛け違いはどこだったのか。
夫婦生活なんてそんなものとあきらめるのか。

引き算をやめてから、人生が変わった。
あんなこともできる。
些細なことだけど、こんな嬉しいことがあった。
この人と一緒だから起こる奇跡です。
日々発見の毎日が続く。
私の目に狂いはなかったと、独り鼻の穴を膨らます。
定年後、「奥様に興味がある」といつしか嘯く(うそぶく)自分がいる。

顛末は、終わってみなければわからない。
過去の嬉しいことも、哀しいこともみーんな捨てちゃえ。
今何ができると、挑戦の日々となる。
右がだめなら左を使い、目がだめなら勘頼りです。
何とでもなる。
出来ぬからと下を向かず、遠くを見るうちにかかあが手伝う。

2024年12月4日
(あとがき)
顛末とは、
(「顛」は、いただきの意)事の初めから終わりまでのありさま。
事のいきさつ。一部始終。
(広辞苑より)
今日は、ゴルフに行く日でした。
私の風邪が治ったころ、妻が引きました。
移して正解、移されても正解。
二人とも疲れているのです。
「だめだめ、見ちゃだめ」で、熟年夫婦の顛末を書いています。
時間のある方は、ハイライトをクリックしてください。
(筆者)
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