「夕雲燃ゆ」というタイトルの絵です。
青信号を渡りたくないほど、赤く燃えた雲が美しかった。
今日のタイトルは、「赤信号を渡る」です。
大阪人のお客さんと飲み屋への道を急いでいた。
わずか3mの赤信号を両側を見ながら渡った。
東京人が行儀よく待っていた。そして、渡る私たちを注意した。
子供のためにならぬと言われた。
大阪人のお客さんは、青信号とて信用はできないと言われた。
赤信号と青信号、どちらも注意して渡りなはれと子供に教えるのが本当ではないだろうかと、
茶目っ気たっぷりに話した。
社会では、ルールがある。
交通の安全のために信号がある。
両側の安全を確認せずに、青信号を渡れますか。そんな危ないことはできない。
そもそも信号なんてなかった通りです。わずか3mの横断歩道に信号が必要なのか疑問です。
決めたことに文句を言うことはありません。
ルールが守ってくれる。
信用するなと言いたいだけです。
赤信号みんなで渡れば怖くない。
ビートたけしの名言です。敢えて、迷言ではなく名言と言おう。
世の中の人々の多くが、偉い人に忖度をして生きている。
部長が言うことはすべて正しい。
「時間x能力」が、私の評価と言い放った部長がいた。
ふざけんな。時間を掛ける必要はない。
能力がないものが、長く働けば評価がよくなる。こんな馬鹿なことはない。
当時部下であった私は、部長にくってかかった。
サービス残業を暗に指示しているに違いない。
定時に帰ろうとすると、偉い人が時計を見る。早いじゃないかとその眼は言っている。
こんな風景は見飽きるほど体験した。
年度初めに、上司をまじえて年度の目標を設定する。
目標をクリアーできれば、私の給料と身分は保証される。
目標に達せなければ、それなりの評価と給料となる。
営業をしている時、無理難題の目標設定を上司に指示された。
マーケッティングをして、20年は使われる機械の売れる可能性(台数/年)を示して、
無理だと言った。それでも、指示し続けるので周辺機械を売るエンジニアリングをすることにした。
機械を売らずに、エンジニアリングだけを売ることにした。
そうして食いつないできた。
目標は、時として「赤信号」である。
皆で渡ることはできないので、信号のシステム(進む方向)を変えることにした。
赤信号は渡らないけど、90度違う方向(信号は青)でも、商売をすることにした。
赤信号を無理やり渡ることはない。向きを変えれば青信号である。
顔を真っ赤にして、時にはパワハラまがいに青くしておっしゃる上司に従うことはない。
逆説的な言い方かもしれません。
そもそも「赤信号」とは、なんなのか。
黄色から変わったばかりのオレンジだったかもしれない。
世の中には、「赤信号」に覆いをして渡れという人がいる。逆もしかり。
自分の目で見て、心で感じて正しければその色が「赤」と「青」なのです。
昔の中央線を渡ろうにも、40分も開かずの信号を待ったものです。
電車が2分刻みに走るダイヤに無理があった。何十年もかかって、中央線は高架になった。
ルールそのものを見直す勇気と決断も問われるのです。
かたずけろ 親が子に言い 子が親に
2019年10月2日
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