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タイトルは、トマト誰の子。
種を撒いた人、それとも育てた人のもの。
いやいや花を咲かせ、蜂の協力を得て実を付け、トマト自身のものです。
私達は、その命をいただいています。
今日のタイトルは、「非は我にあり」です。
成功した人が、一様に言われるのは、「人のせいにしない」です。
上手くいかない原因は、自分にあると考えることで、次の展開が生まれる。
失敗が糧になる。その人を成長させる。
こんな具合に話されます。
そうなんだけど、わかってはいるんだけど。
不幸のすべてを背負うには、辛すぎる。
誰かに助けてほしい。
求めれば救われる。
そうだ。
何々がしたいと思う。
何かが足りないと思うのは、何かがしたい時に思うこと。
他人のせいにはできない。
何かをしたいと思うのは、自分だから。
目指した道が遠のいたとしても、やりたいことに少しは挑戦できた。
今はいろんな理由でうまくはいかないけれど、きっとできる日が来る。
やりたいことをしている時は、何となくうれしい。
あまりやりたくない時に、なんでこんなことをしなくちゃならないの。
上手くいかないのを、他人のせいにしたくなる。
生きるために、あまりやりたくないことも我慢してやるか。
我慢してやっているうちに、やりたくないこともできるようになった。
そして時間が出来てお金も少しは貯まり、やりたいことができるようになった。
やりたくないものに背を向け、安易に遊びお金がなくなり金を借りる。
金を借りたら返さなくてはならない。
やりたいことどころか、生きていくのさえ危うくなる。
ここまできたら他人のせいにはできない。
さらに頑張るしかない。
足りないこと(学力、金力、体力、運)を嘆くなかれ、
足りないことを知ることが大事です。
思い通りにはならぬまでも、努力すれば近づくことはできる。
できなければ、違う道を探すこともできる。
どうあったら良いのかを決めるのは自分だから。
自分のことを他人任せにはできないのである。
「非は我にあり」を理解するのは難しい。
だから凡人であり、気付いたとしても少し遅かりしです。
長雨に 白菜植える 鍬重し
2018年9月9日
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