故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

60過ぎ、再婚の是非(Part4)

2016-11-20 06:20:18 | よもやま話

この家(うち)で、一人と一匹を送りました。
大事な家族を失い、哭きくれたものです。
最後まで力を振り絞り、生きようとしました。
それでも力尽きて、亡くなっていきました。

亡き妻のことを思うと、慙愧の念に堪えなくなります。
犬のジンがもらわれてきて、亡くなる前には日向ぼっこが好きでした。
どちらも、息を引き取るのを見ました。

私は、きっと良い爺ちゃんになったでしょう。
毒にも薬にもならない人になったことでしょう。
そうなっても良かった。

ある人にあった時、この人を幸せに出来るのではないかと感じました。
この人はこのままではいけないと、勝手に妄想しました。
競争相手の存在しないレースでした。
多くのライバルに負けじと勝手に突っ走りました。
何が、私を突き動かしたのでしょう。

埋めるものが欲しかったのかもしれません。
外界と繋がるドアが欲しかったのかもしれません。
再婚を機に、私は間違いなく元気になりました。
体は締まり、気力も充実してきました。

よぼよぼになっても良いと思っていたのです。
今は小さいながら家族です。
この人のためにと互いに思っています。

新しい妻を家に迎え入れることが出来ませんでした。
よって、終の住処探しの旅に出ることになりました。
東京で就職をし、新たに東北で使ってもらっています。
仕事はできます。
得意なことを、人に出来ない工夫を突き詰めます。
仕事はそんなことで良い。

家族の在り方は、違います。
いつまでも真剣勝負です。
やれることをやれる人がする。
よぼよぼになることが許されるなら、それもよい。
再婚を機にすこぶる元気になりました。

再婚の是非は、人それぞれです。
お茶飲み友達とありながら、少し違います。
妻の最期をみとるのは、私です。

家族が増えたと、家族に思ってもらえるまで頑張りましょう。


七回忌 新たな旅路 終わりなき

2016年11月20日

「60過ぎ、再婚の是非」について、過去3度投稿しています。
多くの方が、同じような境遇になります。一助になればと思い発表しました。
リンクのコピーが出来ませんでした。新たに後日実施します。
「ブログを見る」→ 左のツールバーで「2015年2月3日」を検索すると記事が出ます。

2015年2月3日投稿記事「60過ぎ、再婚の是非」
2015年12月2日投稿記事「60過ぎ、再婚の是非、Part2」
2015年12月19日投稿記事「60過ぎ、再婚の是非,part3」




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漱石の試験を受ける

2016-11-20 05:33:42 | よもやま話

横浜に帰って、4日目となります。
今日のタイトルの「漱石の試験を受ける」夢をみました。
当時あったのかどうかわかりませんが、ガリ版刷の試験用紙でした。
試験の中味はというと、
文章を読み、空欄に適切な言葉や文章を入れなさいという内容であった。
「吾輩は猫である」からの引用文で、漱石先生直筆であった。
ガリ版が悪いのか、漱石先生が悪筆なのか、字が読み取れないで苦労しました。

インターネットで、漱石の「吾輩は猫である」について
書いていたものを読んだからなのか、
なぜ漱石先生の試験を受けることになったのか、
いつものようにわからない。

漱石先生の出題は、面白い内容ではないかと思った。
小説家漱石も行き詰って、若い柔軟な学生の知恵を借りようとしたのかもしれない。

漱石先生が住んだと記憶する熊本にも松山にも住んだことがない。
漱石先生の授業を受けるほど裕福でもなければ、優秀でもないはずである。

夢はいつもこうである。突拍子もない。
だから、面白いとも言えます。

自分の家を子供に譲って、終の住処を探す旅に出た。
帰るや、シンクの中の洗物をし、洗濯層に入れたままの洗濯物を干す。
小山のような洗濯物を洗っては干す。

申し訳ないけど、娘のカラフルな下着を目にする。
成長したもんだわい。

どこに行っても仕事はあるもので、休むところがありません。
孫たちに会う。
お姉ちゃんが、弟の言葉のことを言う。
甘えたいときは、大きな声が出せないの。
と説明してくれる。

亡き妻の七回忌を済ませると、東北に帰ります。
我が家と呼べるものは、今や東北にあるような心持ちです。

娘愚痴、三度目をすり 聞いたふり

2016年11月20日
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思わぬところで、名があがる

2016-11-17 03:54:56 | よもやま話

左の眼はクールです。
それに較べ、右の眼はホットです。
人の左右の眼は、表情が違います。
この方の印象がそうでした。
発見したときに、「あっ」となります。


いつものように、分水嶺をどちらに行こうかと迷っています。
寝ようか、頑張ろうか。

やるかとなります。
好きだからです。
自分で始めたことだからです。
やり始めれば、なんのことはない。

次から次にアイデアが転がり始めるはずでした。
迷いを引きずっています。眠いからです。寒いからです。

今日のテーマは、「思わぬところで、名があがる」です。
書類にサインをする。はんこを押す。
これは覚えがあること。責任の範囲です。

見ず知らずの方から連絡をもらうことがあります。
どんなことだろうなと真意を待ちます。
好意かな。勧誘かな。悪意かな。
と考えなくても済んだはずの考えを巡らせ始めます。

しばらく、あれこれと想像をしました。
気持ちが悪い落ち着かない。
自分の名が、知らぬうちに想いもよらぬ場所で、あがっているようです。

よく使われる「想定外」という言葉があります。
ほとんどが、弁明や弁解の時に使われます。
言い逃れをしようという魂胆が見え隠れしています。
物事には、裏と表がある。
「想定外」は、言ってはいけない言葉のように思います。
何事が起きても、正々堂々と真摯に対応すべきでしょう。
思わぬことにも、自分の行動の波紋にも責任があるはずです。
無責任では済まされない。

よって、待つことにしました。
何が出てきても驚かない。
気持ちが前向きになったところで休むことにしました。

道を聞く 私発つ鳥 波に聞け

2016年11月17日
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失敗一考

2016-11-16 05:42:15 | プロジェクトエンジニアー

昨日描いた似顔絵の方です。
こちらは渡せませんでした。よって描き直した次第です。
色使いが濃すぎました。これも勉強です。


今日のテーマは、「失敗一考」です。
失敗とは、やってみたが、うまくいかないこと。しそこなうこと。やりそこない。しくじり。
(広辞苑より)
やってみなければ、失敗はおこらない。
失敗を恐れて萎縮してしまう。
せっかくの機会を逃してしまう。
そんなことがあります。残念です。

失敗は成功のもと。
失敗しても、それを反省して欠点を改めていけば、かえって成功するものだ。
(広辞苑より)
アスリートの練習は、失敗ばかりの連続です。
さらに上をいく相手がいるからです。

怖いのは、失敗だったと気づかないこと。
つまり、反省がない。
むしろ、うまくいったと思い込むこと。
歳を重ね、実は失敗だったことに気付きます。
穴があったら入りたいと思うことばかり。
いい気なもんだと、開き直ります。

奥さんは、そうはいかない。
反省しても、もう手遅れです。
「あげまん」の反対だった。

一考。

我慢して、他に女をこさえるか。これもなんか変。
駄馬でも、自分のうちの馬を使うしかない。
スイス人から教わりました。
プロジェクトの仕事を受けるには、会社内の人材では不足だと上司である彼に話した時のことです。
断ることもできず、エンジニアリングだけの仕事を請け負いました。
かつて勤めていたエンンジニアリング会社の先輩(68歳)に手伝ってもらいました。
社内の若者の教育もお願いしました。
営業だった私がプロジェクトマネージャーをやりました。
協力会社の人財を使わせていただきました。
質を落とさずやり遂げることができました。

自分もそうですけど、人は変わるものです。
奥さんとて、自分の気持ちの持ちようで変わるはずです。
人の姿が変わるように、こころも変わります。
奥さんは、大事にしなければならない。甘やかしてもならない。
そんなことを考える余裕さえなかった。お互い必死でした。
喧嘩するのも当たり前の毎日でした。待ったなしの連続でした。
それしかなかった。

自分の人生は失敗だったと思うのは哀しいことです。
一勝一敗。私の人生考です。

霜柱 見るか踏むかで 大違い

2016年11月16日

2015年1月16日投稿記事「一勝一敗」も参照してください。
若いやんちゃな監督たちとの話です。
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寒いからどうした

2016-11-15 04:20:03 | プロジェクトエンジニアー

女の人は、いつまでも可愛い。
そんな方を描いていると、こちらが少し恥ずかしくなります。
どうして素直に生きてこなかったんだ。


大阪、西成のあいりん地区の活性化の話をネットで読みました。
橋本市長の時代にとりかかったプロジェクトだそうです。
縦割り行政の役人が、逃げられないように仕組む工夫が大半の努力であったと
書かれていました。
役人に限らず、誰だって危険な場所からは距離を置きたい。

今日のタイトルは、「寒いからどうした」です。
どうもこうもありません。寒いのです。
腹が立つほど寒い。
これからもっと寒くなるそうです。

足元が冷たい。
仕方がありません。動かすことにしました。
ありゃりゃ、冷たいけどなんとか血が通うようになりました。
体温が上がる感じです。靴下を履いているより温かい。

首がスースーします。
マフラーを巻いていました。
足首を上下させるだけで、首のスースーもどこへやら。
気にならなくなりました。

何かやれば良い。
黙っていることはない。
そうしてあいりん地区の活性化は始まりました。
市長も、仕掛け人もいなくなりました。
誰もが、自分たちが変わってその喜びを分かち合っている。
少しずつ街が変わる。自分たちが変えている実感があります。

「寒いからどうした」が今日のテーマです。
自分にかける号令でした。これからもっと寒くなります。
こんなことで背を丸めていたら笑われますね。

学生時代に、東京南千住の涙橋の酒屋で、朝6痔から働いたことがありました。
すりきりいっぱいのコップ酒を110円(梅干しつき)で売っていました。
仕事にあぶれた男たちが、朝9時には店頭で酔っぱらって横になっていました。
時には、頭から血を流していました。殴ったビール瓶が割れたから大事にはならなかった。
ジーパンを履いた刑事を初めてみました。
誰もがやりきれない。そんな街でした。

午後2時から夜8時まで、銀座の酒屋で掛け持ちでバイトをしました。
こちらでは、店の前に出された空き瓶のしずくを集める爺さんを見ました。
何時間かかったのでしょう。ボトル半分の高級酒の集まり。
爺さんは嬉しそうでした。これを仲間に売るのでしょうか。
こちらも同じくやりきれない街でした。

爺さんは、生きるために「寒いからどうした」とうごめいていたように見えました。
切実感が出ませんでした。続きは、「道」で読んでください。

2015年2月22日投稿記事「道」を読んでみてください。
一人の年寄りのプロフェッショナルについて書いています。

道半ば 雪道ひとり 行かねばと

2016年11月15日
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