故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
この娘、どんな男に出会うのでしょう。
幸多かれといのるばかりです。
今日のタイトルは、「真面目ばかりじゃ肩がこる」です。
パキスタンでは、物を買う時いつも「来いよ」の眼に会いました。
値切ることが、コミュニケーションの始まりでした。
ドイツでは、家族で経営するホテルのおばちゃんに、
煙草を喫いすぎだ。
だから、お前はこの料理の美味しさがわからないと、残した私は叱られました。
沖縄の社長には、お前は馬鹿か鈍いのかと言われました。
断る理由の無理難題に食らい続けたからでした。
初めての現場で、小指を落としたムショ帰りの男が残した元付のワイヤーを、
15mの高さに昇り、取ってきました。その晩から兄貴扱いでした。
無駄無理を繰り返してきたと言っても良い。
愚直なまでに、直面する難題に向かっていきました。
本当に疲れる性分です。
飲んだ酒と煙草で、家が何軒買えたでしょう。
男が廃ると、勝てない相手に挑んだことでしょう。
ごめんなさいと、何度女に謝ったことでしょう。
オンとオフ。
馬鹿野郎たちが、繰り返す乱痴気騒ぎ。
思わず、ニタリ。
洋の東西、どこでも見られる頭に血が上った男達です。
飲まなきゃ、いい男なのに。
しゃべらなきゃ、美人なのに。
ギャップが醸す、すえた匂いのする生きざまです。
眉がピクリ。
男の顔に、真面目と不意真面目さがしわを刻みます。
ある人は、渋いと言います。
綱渡りのような危ない人生です。
刀の刃の上を歩むがごとくです。
毎度のことながら、道具を元あった場所に片付ける。
昔からこうだったと、風のように消えていく。
「真面目ばかりじゃ肩がこる」とうそぶく自分が消えていく。
思い切り こん棒で手打つ 未熟者
2018年2月18日
可愛い顔しているけど、意志が強そうです。
頑張れ。
今日のタイトルは、「自由にさせる」です。
地域おこし協力隊になって半年が過ぎたころ、
役所の扱いに変化が起きました。
役所というのは、コントロールしたがるものです。
年配の経験者でも同じ扱いです。
商工会、役所、果樹組合、町内会のイベントに毎週のように出ました。
イベントのない休日は、居ぬきの家の片づけを延々としました。
住めるようになるまで、3か月かかりました。
イベントの手伝いは、それはそれで面白いのですが、
タダ働きをして、誰かが得をする構図でした。
市民の大半(90%)の会社員は関心を持っていないと感じました。
点と点を行ったり来たりしているだけだと思いました。
都会と同じでした。
誰に相談することもなく、持ち主の「好きにして良い」という
許可をもらいました。
昔の由緒ある通りが、伸びすぎた草と木々でうっそうとしていました。
とにかく、来る日も来る日も刈りました。
休耕している畑には、篠竹が伸び放題でした。
一本ずつ切り、草を刈りました。
こちらだって、3か月かかりました。
切り取った木々は、枯れた頃クリーンセンターに運びました。
一人でやりました。
妻は、何のためにやっているのか、気が狂ったんじゃないかと思ったそうです。
役所は、こいつはコントロールできないと思ったのか、
今日のタイトル「自由にさせる」と決めたようでした。
役所にも、地域おこしについて自論をぶつけました。
一人の課長が面白がってくれました。
陰で支えてくれていると感じました。
地域おこしに正解などありません。
どこかの成功例も通用しません。
しかし、研修会に出て他の地域の取り組みを学び続けました。
誰にも相談せず、やり続けました。
空き家の草を刈っている時、すずめ蜂に刺されました。
対処方法を検討していたら、市役所が派遣したすずめ蜂駆除のプロが退治しました。
通りを行き来するおばちゃんが、「ようやってくれた」と褒めてくれました。
通りの中間にある埋もれていたカフェの持ち主と賃貸契約の交渉をしました。
借りることができるまで、半年のロングランの交渉でした。
内部は荒れ放題で、片づけ傷んだ箇所を手直ししました。
全ての電燈をLEDに交換しました。
親の眼が行き届く、俯瞰で見える2階にしました。
年寄りが、安心して来られるアプローチと階段にしました。
開店までに2か月かかりました。
補助金では足りず、家の手直しもカフェの手直しにも自己資金を投入しました。
地域おこしをするには、自らリスクをとる覚悟でした。
俺にも手伝わせろと、役所からも市民からも声が上がるようになりました。
その声を聞くまで1年かかりました。
プロジェクトマネジメントの初めは、いつもこうでした。
お客さんや協力業者は、素人に何が出来ると冷ややかでした。
この人(組織)はなんか違うと思い始めるまで時間がかかります。
常に同じ土俵でやる。理解するまでとことん勉強する。
プロジェクトエンジニアーの仕事は、いつも初舞台です。
恋と同じです。
相手に想いを告げ理解していただくまで努力するのは当たり前です。
これと見込んだ人には、「自由にさせる」とはらはらしながら任せます。
いつでも尻ぬぐいはしてやると覚悟をしなければなりません。
親孝行 生まれ始まり 一生分
2018年2月17日
久々に描いた一枚です。
描いてと頼まれて、できていませんでした。
それ以来、来られません。
これで何時来られても安心です。
久しぶりに自分の時間が持てます。
妻が骨折し、混乱の2週間でした。
妻がメインでやっていたパン、アップルパイ、料理と手順だけは覚えることができました。
なんとかなるものです。妻もしごき甲斐があったというものです。
今日のテーマは、「自分の時間」です。
8時ごろ寝て、3時に起きる。
朝ご飯を用意する7時までの4時間をゆっくりと過ごす。
自分が自由に使える時間は、貴重です。
昨日は、カフェにお客さんは来られませんでした。
日中の温度が上がり、日陰の道路の凍結した雪が融け始めました。
融け始めても、夕方にはまた凍る道路です。
小学生が隊列を組み、恐る恐る凍結した道路を歩いていました。
凍結した雪氷を、剥がしました。
融け始めた側からスコップを入れると面白いほど取れました。
カフェでは、パンの試作をしました。
私達は、全粒粉を使ったハード系のパンを作っています。
外は固めで、中はもっちりとした食感を目指しています。
バターを少し多めにしました。
生地の扱いをより優しくしました。
二次発酵の温度を低めに(時間は長く)しました。
焼き上がりに、パンにショックを与えました。(膨れたままの姿を維持のため)
二人で試食をします。
発酵時の気泡が、上に伸びていることを確認します。
生地に入れ込んだ豆やレーズンが均等に散らばっていることを確認します。
次は、ピザの一次処理です。
一次発酵した生地を規定寸法まで伸ばし、ピザソースを塗り、
トッピング(ハム、茸、玉ねぎ、ピーマン、サラミ、チーズ)をします。
形が崩れないようにラップをして、ビニール袋に入れます。
冷凍庫で保管します。
昨年収穫したじゃがいものうち、小さめサイズのものが多く残っていました。
夕飯のカレーを作ります。
余ったじゃが芋で、コロッケを作ります。これは冷凍保管です。
ピザ作りで余った野菜とサラミでスープを作ります。
りんごジャムまでは作れませんでした。
似顔絵描きまでは出来ませんでした。
今日、私が出張するため、「臨時休業」の案内を表に出しました。
今朝は、日報を書くことにしましょう。
「自分の時間」が持てるようになりました。
義兄の緊急入院とその後の対応、妻の骨折と修行の始まり、
自分の白内障手術の準備と、この3週間とても忙しかった。
なんとかこなせました。
忙しいのはいつものこと。
気になっていることが解決する「自分の時間」はとても貴重です。
気が休まります。
雪融けし 獲り忘れ菜も 草芽吹く
2018年2月16日
明るい笑顔です。
どんな大人になるのか楽しみです。
今日のタイトルは、「似顔絵を描こう」です。
この地域に来てから、似顔絵を描き始めました。
約2年になります。
似顔絵を描くきっかけになったのは、会った人の顔を覚えたいからという理由でした。
この地域に来てから書いたブログで、
116回も似顔絵について、なんらかの記事を載せています。
1枚の似顔絵を仕上げるのに、平均2時間かかります。
苦しんでいる証拠が、ブログで似顔絵について書いていることになります。
妻が美容院に行きました。
カフェのオーナーと似顔絵を描く人が、同一人物と最近知りました。
と、私が描いた一枚の似顔絵を持って来られたそうです。
美容師さんの息子さんの似顔絵でした。
その話を聞いたとき、私は嬉しく思いました。
大事にしてくれていると感じたからです。
地域おこしとして、私にできることは限られています。
人の力を借りなくてもできることを探しました。
歓んでもらえるかもしれないと続けました。
自分のためにもなると信じていました。
続けることが、力です。
6,000枚の目標を上げました。
まだ、わずか1/12の実績です。
平均1枚/日弱です。
このままのペースで行けば、約20年間かかることになります。
そこまで待っていただけない方々もいます。自分さえも怪しい。
せめて、半分の10年間としたい。
頑張らなければなりません。
「似顔絵を描こう」でした。
女狐が バレンタインと カフェの裏
2018年2月15日
ただいまと帰って来る
お帰りと迎える。
いつもの風景です。
今日は、バレンタインデーです。
会社に勤めている頃は、ささやかながらチョコレートをいただきました。
机の上でなく、引き出しに入っているとかメッセージ付きは少し嬉しかった。
お返しに、食事に誘ったりして、何倍もの出費になりました。
さて、今日のタイトルは、「甘えられる人」です。
女は、結婚して家を出ます。
実家に甘えること(無心)は慎むようになります。
心配をかけまいとする心根がそうさせます。
甘える先は、夫となるようです。
男と女の関係は、全てをさらけ出せる序章なのです。
緊張感のない甘味な世界です。
男はというと、少しだらしなくて母親に甘えようとします。
お袋の味が忘れられないのです。
お袋すなわち故郷かもしれません。
周囲の人で、甘えられる関係を築けるとなると、理解者ということになります。
時には厳しくもあり、優しくもある。
理解者は、話を聞いてくれます。
必要な時は、アドバイスもくれます。
力にもなってくれます。
社会人の先輩となると、一方的に頂くばかりになります。
返す力がついてきたころには、いないのが常です。
かつての田舎(地域)には、コミュニティーがありました。
子供は、家全体あるいは村全体で見るような感じでした。
子供達は、ぬくぬくと遊び惚けていたものです。
経済の仕組みが、手作りから大量生産に代わる頃に時代は変化してきました。
会社(組織)がコミュニティーに変わってきました。
会社の都合が優先し、家族はばらばらになってきました。
右肩上がりが止まる頃、見直されてきました。
社会保障の時代です。
皆でお互いの面倒をみようとなりました。
甘える先が、変化してきました。
中小企業の社長は、社員を家族同様に優遇してきました。
せちがらくなるにつれて、健康保険、社会保険でカバーせざるを得なくなってきました。
もう一度、考え直しましょう。
甘えられる人のことです。
老人になるにつれて、子供には迷惑をかけたくないと思うようになります。
社会保障が進んで、地域のケアマネやヘルパーが手助けをしてくれます。
心の闇に、灯りをともしてくれる人のことです。
痒いところに手が届く言葉を求めています。
少しだけ、体力的にサポートが必要です。
身体を揉みあう関係です。
私たちにとって、甘えられる人は案外近くにいるのではないでしょうか。
鎧を脱ぐ時が来ているのです。
組織で役立った鎧のことです。
地域にあった歯車が欠けているように見えます。
実は歯車はまだまだあるのです。
埋もれています。見ようとしていないのです。
私は、甘えてもらえる人になりたい。
私が出来なくても、甘えられる人がいることを発見したい。
そんな人がいるんだと、皆に伝えたい。
「甘えられる人」でした。
キスマーク 嬉し恥ずかし 水仙が
2018年2月14日