
不法投棄を禁ずる杉木立の中に、「しょうじょうばかま」(絵のタイトル)はひっそりと生えていた。
3年前に、地域の友人に教えられ見に行った。
今年も咲いた。友人は知っていた。

絵のタイトルは、「昔からそこにいたような」です。
今秋も乱舞した。
NHKBSの深夜の番組で、徳島県の山奥で暮らす人々について視聴した。
害獣駆除をしている男性(50代)は、かつて蔦監督が率いた池田高校の野球部だった。
高校時代のほうが、今よりきつかったと言われた。
その経験があったから、今も頑張れる。感謝しかないとも。
山奥を人々が訪ねる。桜が咲いた。チューリップが咲いた。
なんとも、のどかな景色である。都会にはない。
桜もチューリップもここで暮らす人々が植えている。
今年はどれだけの人が見に来てくれるだろうかと、夫婦(80代)はチューリップを植えた。
そのチューリップの芽を野生の鹿が食べた。でも、無事に今年も咲いた。
今日のタイトルは、「宝物」です。
親が作ったゆずの収穫に、都会から子供や孫が帰ってきた。年に一度の農作業です。
子供の頃は、手伝いが嫌で仕方がなかった。年をとったら農作業が楽しいと、都会で暮らす子供が言う。
明日から酒田を訪ねる。大学時代の友人と飲み、ゴルフをするためである。
我が家の畑で収穫した野菜を土産にしたいと、恐る恐る友人に聞いた。
「もっけだの」(ありがとうと言う意味らしい)と答えた。
いくらか日持ちのする芋類(さつま芋、里芋、保管中のジャガイモ)と豆(インゲン)を収穫した。
里芋を今夜試食した。里芋は、親芋の周りに子芋ができ、またその周りに孫芋ができる。
親芋が一番美味しかった。新鮮だからだろう。親芋は市場に出ない。時が経つと捨てるもの。
カフェで焼いた栗入りパウンドケーキとフランスパンも用意した。
辛子味噌も追加する。
里山の風景や暮らしが、住民の「宝物」です。
故郷の山河が、こころの原風景だと言われる。
「宝物」だから、大事にし、守る。
都会で暮らすものは、近所の付き合いやお祭りが、宝物であろう。
ここでもいろんな行事がある。
今度は、何をしたらよい。とボランティア活動をする人々が積極的に動く。
それは、何百年と続いた奉納相撲と盆祭りである。
なぜか。
暮らしそのものであり、皆さんの「宝物」だからでしょう。
苦労して習得した言語能力(英語、フランス語、ドイツ語、中国語など)を受け継ぐことはできない。
親世代の苦労を子世代は継承できない。
AIは、過去のデータを記憶し進化させると言う。
人間は忘却の生き物である。だから、戦争はなくならない。
私は、それが残念だと考えた。
どうやら、違う。
刻まれたDNAが記憶する。進化の過程に生きている。
言語能力を習得するのに、子どもと外国で暮らす。
外国人と話し、異文化と交流する。
言葉は分からなくても、肌で価値観を感じることができる。
「宝物」は引き継がれる。
無駄な生き方もなければ、無用な自然も人々もいないはずである。
人々の「宝物」を奪うことはできない。形にないものだから。
桜愛で 父さん植えた 宝物
2020年10月10日