故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

「今日もご安全に」(絵のタイトル)と、工事現場の朝礼の時、仲間通しで掛け合いました。
どこ吹く風はいけません。
たまには、安めの皿を投げ合ってください。
老夫婦 つんぼの喧嘩 今日もまた
今日のタイトルは、「お肉たれてるよ」です。
妻が、一オクターブ高い声で叫びました。私の腹のことです。
いやいやと、私はよたよたと歩きながら、人差し指で妻の胸を目指します。
「おっぱい、たれてるよ」と妻が言い。
そうです。
昨日は、近日になく4組のお客さん(9人)が来られました。
開店(12時)一時間前に、三人連れのお客さんが来られました。
ピザとお好み焼きを一枚ずつ注文されました。
焼き手が買い物に行っており、12時頃になります。
と妻が応え、買い物中の私に「早く帰りなさい」と電話で催促した。
「話してたら、一時間くらいすぐよ」とお姉さん方は動じません。
夕方になり、私は雨の中、長靴を履いてゴルフの練習を始めました。
何か冷たい視線を感じました。「呑気にゴルフ」と聞こえたような気がしました。
妻は夕飯の料理にかかろうとしました。
多くの小蝿が、窓際に止まっていたそうです。
殺虫剤を吹きかけるために、窓際に置いている洗い物かごや鍋を片づけている音がしました。
私は汗を流すために風呂に入り、シーカーサー果汁入りの焼酎のタンサン割を飲み始めました。
いつもは聞かない鍋釜を落としたり、皿が当たる音が台所でしました。
朝になり、私が料理担当の番になりました。
皿を投げてやろうか。と妻は夜明けにつぶやいた。
鍋釜と料理道具がいつもの場所にありません。
よくなったことは、妻の手柄。
不具合は、私の落ち度です。
2021年5月21日
<<あとがき>>
歳をとると、頭は動いても身体は動きません。
私は悪くない、相手が悪いと思い込みやすくなります。
カフェに来られるお姉さん方が、夫にどれだけ手がかかるか、述べ立てられます。
私は、夫を代表して、
「いつまでも、恋人気分が抜けなくて、ごめんなさい」と謝ります。
お姉さん方、「ええそういうもんなの」と鳩が豆鉄砲です。
そうなんですよ。
私きれい?
と化粧台の前でささやかれるでしょう。
夫どもは、寝たふりです。
(筆者)

絵のタイトルは、「どうか伸びてください」です。
大人とは、「手を出さない勇気を持てる人」と教えていただきました。
今日のタイトルは、「必ず道はある」です。
暁烏 転ぶ子手貸す ばくち打ち
これが無かったら、あれをしなかったら。
必ず、過去を悔やむものである。
夏休みの宿題を今年こそは、期限までに終わらせようと、休みの前に決意しました。
ぐずぐずしていたばっかりに、他の男に彼女を盗られてしまった。
ぐずぐずしていたのには、理由があった。
少しでも早く迎えに行きたいと、なけなしの金を博打につぎ込んだ。
自己嫌悪で酒に溺れました。
これしかない。
苦労しないでも、人より優れたものにしがみつきました。
後がないと頑張るしかなかった。
気づけば、悔やんだことさえ忘れていました。
でも、本性は変わりません。
自分の弱さと向き合い、同居するように抱え込むことにしました。
昔のどろどろは、今や笑い話です。
あなたも私も生きています。
そうです。
生きていていいんだよ。
2021年5月19日

絵のタイトルは、「ロッククライミングウォール」です。
グッドの到達点など要らぬ。
誰もが届かないグレートこそ、望む到達点。
今日のタイトルは、「カフェ閉店」です。
渡り鳥 終の棲家は 風に聞く
フェイスブックをやめました。
30日間の猶予期間(再登録など)があり、アカウントは完全に削除され、自分が書いた記事も消える。
毎日、人が書いた記事が10~20ほど届いていました。いいねをしたりしなかったり。
一切見ることができなくなりました。
あれは何だったのか。とりつかれていたもの(気になり定期的に開く)から解放された。
ブログ記事の「お気に入り登録」がゼロになった。
何人様が触ってくれたのか気になるブログです。
アクセス数が多かろうと少なかろうと、書くことに変わりはない。
「カフェの閉店」のお知らせを店外の掲示板に載せた。
字が小さいのか、反応はない。
どこかの商店街の靴屋のように、「閉店セール」を今後10年も続けることはできない。
「残念だ」と数人に言われる。
多くの方は、「この時期(コロナ禍)だから仕方がないか」と言う顔をされる。
「どこかに行くの」と、次なる質問を受ける。
カフェを開店したのは、地域活性化のためと思っていた。
自分探しの一つであった。
空き家通りにあるカフェである。
数年もすると、開店前の状態に戻ることだろう。
開店前から閉店に当たり成長したことは、
ここのよいところを持ち帰り、ここへ面白いことを運びたいと思えるようになったこと。
巷で言われる、移住とセットの「人生の楽園」ではなかった。
厳しい現実を身体で体験したのが、恵みであろう。
誰からも期待されない不自由と、何をしてもよい自由を理解した。
誰が来られるか、どこから来られるか分からないので、
限られた空間で、変わらぬ人間関係のルーチンワーク(会社勤め)より、ずっとスリリングだった。
初対面のお客さんと接することで、世間が広がり自分たちが濃密になった。
何でも話せる空間を創出できた。
カフェ閉店後の人生は、これからも続く。
生きてる限り、苦楽に終わりはない。
2021年5月18日

絵のタイトルは、「永観堂」です。
これしかあるまい。
また聞いた 入り出が違う 面白し
今日のタイトルは、「悲喜交々(こもごも)至る」です。
夫婦でも、相手を理解することはやっかいなことである。
ましてや、出会ったばかりの他人となると、さらに簡単ではない。
どうしたら、このやるせなさから脱却できるのか考える。
プレゼンテーションの機会を得て、決まった「テーマ」で発表することがある。
伝わったか、甚だ疑問である。
むしろ、初めから質問を受けて応える方が効率的かなとも思うことがある。
自分の理解を超える話を聞くことがある。
興味があれば、どうして、それは何と、質問できる。
まったく興味がない、また面白くない話を聞かされる時は、辛いものである。
本であれば閉じる。
テレビであれば、消す。
ビジネスであれば、あいさつだけで辞する。
それができない時は、困りごとになる。
初めての子を持ち、泣き止まぬ子に途方に暮れた経験は、母なら誰でもあることです。
心配を重ねて、なんだそうだったのかと、一つずつ知っていくことになる。
頻繁におしっこに行く男の子が、カフェに来た。
お漏らしをさせたくない母の心配が、そうさせるのです。
この子は、学校に行くようになったら困るだろうな。と妻が言う。
おしめを、またパンツを濡らす経験をして、この子は初めて自分の限界を知る。
解ってもらえない時は、次には方法を変えて挑戦しようと思うことにしている。
聞く耳持たぬ人に、アタックすることが無理でした。
一方、気の合う人とだけ暮らすのが無理だと知ったら、頑張るしかないでしょう。
少なくとも、自分はこう考えると発信することです。
何かの足跡は残した。
何故かなと思ってくれるパートナーであることを期待します。
やはり駄目かとあきらめないことです。
それが、相手への思いやりであり、自分の成長です。
誰も、春団治のようには生きていけない。
なんど空振りしたって、今度こそ笑わしたろ。
2021年5月18日
「悲喜交々(こもごも)至る」とは、
悲しみと喜びが代る代わるに起こること。
(広辞苑より)

絵のタイトルは、「のほほんと」です。
私の印象を言葉にしました。
その人そのものではありません。
絵の印象です。
故郷の ない人見つけ 山菜を
NHKの番組「ヤングケアラー」について、視聴しました。
ヤングケアラーは、幼くして両親や祖父母の介護をし、自分の時間を犠牲にしている。
誰にも相談できずに苦しんでおり、孤独である。孤独が、二次的な不具合を作る。
今日のタイトルは、「似顔絵の効用」です。
番組を視ていて、中学生の17人に1人がヤングケアラーであることを知った。
ヤングケアラーを見つけても支援ができない。
学校は、家庭に介入できない。
介護は、本人の支援制度であって、世話する人を支援できない。
ヤングケアラーと似顔絵の関係について考える。
私の似顔絵に、描かれる本人も「私ではない」と感じる。
あるいは、何故この顔を知っているの?と言われる。
私が感じる「この人らしさ」を表現します。
私が勝手に素敵だなと感じたところを中心に画面いっぱいに広げていきます。
さて、「似顔絵の効用」のこと。
似顔絵を描く時は、平均2時間半本人の顔と向き合います。
どんな人か、想像します。そして、脳に摺りこまれます。印象が言葉になります。
一人につき、一枚しか描きません。
似顔絵のモデルの方が、カフェに来られます。
「あれ」と、私は一瞬変化に気づきます。
なんかなあ。
髪を切ったんだ。
なんか悩みを抱えているな。
良いことがあったんだな。
ずいぶんと、経年変化しましたな。
描きたいなと思う人の似顔絵から、描きます。
妻は、あなたの似顔絵は若い女性が多い。と冷やかします。
いえいえ、爺様も描きますよ。
ヤングケアラーを見つけても、具体的な支援は容易ではない。
市役所や介護施設で、少人数の担当者がつく。
少人数の方たちが、市役所(介護施設)内で横断的に他部署に働きかける。
役所には、(縦割りだけど、)市民のサポートのためにいろんな専門部署がある。
ヤングケアラーへのおせっかいが始まる。
似顔絵を描くことで、モデルの支援はできません。
私は、草を刈る。
伸びた木を剪定する。
やりたくてもできない持ち主に代わり、耕作放棄地の草を抜く。
美味しいコーヒーを淹れる。
お好み焼きの味を追求する。
邪魔にならないよう、話しかける。
しゃべり過ぎないように、視点を変える話をする。
馬鹿話だったり、作り話だったりします。
私が知っている「素敵な表情」が出てくることもある。
2021年5月16日