故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

つる予感

2024-02-15 00:13:39 | よもやま話

タイトルは、「魚とり」です。
この頃も、夢中でした。
深みにはまり、夕暮れでした。


畑仕事をすると、夜が怖い。
今日のタイトル、「つる予感」がします。
深呼吸をして、何とか危機を脱するも、他の筋肉がつりそうです。
このままだと、朝まで慄(おのの)きながらまどろむことになる。

風呂上がりに、ストレッチを手抜きしたのが祟りました。
仕方がないと、つらないように布団から起き上がりました。
若い時だって、つりました。
だから、年齢じゃないとストレッチを始めました。
気持ちがよい。
伸ばせ、伸ばせ。
各所筋肉がほぐれたところで、疲れがぶり返しました。
頭もぼーっとしてきて、戸外で一服です。
暖かい春の夜です。

爆睡の妻も、筋伸ばしをやっています。
年齢じゃないぞ。
夢中になり頑張り過ぎました。
妻は玉ねぎの間の草を抜き、私は剪定した枝を燃やしました。
共に面白くて止まらない。

2024年2月15日
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間抜け

2024-02-13 23:27:19 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「跳べよ未来へ」です。
立川駅前にあった銅像です。
この人の夢を陰ながら支えた人がいたはずです。
その人は、さぞかし苦労しただろうな。


今日のタイトルは、「間抜け」です。
かつて、付き合った女がいます。
何をするにしても、いつも一生懸命でした。
私は営業でした。
移動中に、恋文めいたものを送り続けました。
帰ってくるのは、1番目に送ったメールから3番目のものまで、数行にまとめた返信でした。
それも、途中まで書いたものが返信されました。
島まで帰る高速艇で書いたメールです。
どうやら、寝惚けて途中のメールを発信したらしい。

9時から晩ご飯を作り10時までに済ます。
それから明日の準備をする。
夜中の2時を過ぎたころ、メールが届きました。
私は、携帯を握ったまま眠る癖がつきました。
すぐに、返信しました。
会社に行き、同僚に
「女が夜寝かせてくれない」と愚痴を言いました。
同僚は、「果報なこと」と笑っていました。

間抜け。
いや、間抜きでした。
彼女は、10時から2時まで休んで(寝て)いました。
夜中の2時に起きだし、さっさと洗い物をし、簡単に準備を済ませていました。
知らぬは私ばかり、間抜けでした。

疲れたときは、短時間でも居眠りをする。
所謂、「間抜き」です。
頑張ることはありません。
15分も熟睡すると、元通りです。
やっと座われた通勤電車では、極上でした。

彼女は、相変わらず「間抜き」だそうです。
いつしか眠ってしまい、仕掛けたパン生地がふたを押し開けそうなくらい膨らんだらしい。
やおやおの生地では、ベーグルにならない。
そんなことを聞きました。

2024年2月14日

間抜けとは、
間(ま)の抜けたこと。
する事にぬかりのあること。
また、その人。
とんま。
(広辞苑より)
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先輩来る

2024-02-05 04:39:01 | よもやま話

絵のタイトルは、「今晩のおかず何にしようか」です。
悩むことはない。
冷蔵庫にあるものを食べる。
それだけです。


今日のタイトルは、「先輩来る」です。
スケジュールが埋まらないよ。
先輩のいつもの口癖です。
今朝一便の飛行機で来ます。
空港まで迎えに行って、ゴルフ場に向かいます。
あいにくの雨予報です。
風邪を引かずに帰ってこれれば良しとしましょう。

後見をしていた義兄に食材を届けるために、毎週土曜日に昭島から川崎まで通った。
早朝の多摩川沿いのドライブは楽しかった。
届けたあと、先輩にゴルフを教えてもらえることになった。
妻にとって、初めてのゴルフで面白かった。
2年間通い続け、その後は東北に仕事で移住した。
広島に移住するまでの7年間に、先輩は60回ばかり東北を訪ねてくれた。
先輩は、その間に胃の全摘手術をし、復活した。
東北の友人も加わるゴルフをやって、地域の人たちといっぱいやって帰るの繰り返しだった。
私たちが北関東まで、先輩は東京から、共に1時間半かけ北関東でもゴルフをやった。
先輩のおかげで、ゴルフ仲間が飛躍的に増えた。

先輩は、週末まで滞在する。
今回も2ラウンドする。
合間に島を巡り、先輩の友人夫妻と広島で食事をし、カラオケに行く。
今月は、先輩に関するスケジュールだけが決まっている。
誰からも電話はなし。
出かける用事もなし。
私たちには、好都合です。
2月、3月は農業の準備が忙しい。
この時期だけ、草が刈れる場所もある。
山に帰らんとする耕作放棄地です。

雨が降ったと本を読み、晴れたと畑や釣りに出かける。
緊縮財政のなか、やりくりしてゴルフや旅行に行く。
追われて追って、スケジュールは目白押しです。
健康ゆえにできることです。
ストレッチとスクワット、ルーチンワークは外せない。
ピンピンコロリも、埋まらないスケジュールも関係ない。
毎日が大事で、かけがい(かわりとして用いるもの。かわり)のない日々です。
そして、日々反省と成長です。

2024年2月5日

目白押しとは、
(メジロが木の枝にとまるとき、押し合うように沢山並んでとまることから)
子供が大勢で押し合い、押されて列外に出た者が、また端に加わって中の者を押す遊戯
多くの人や物事がぎっしり並んだり続いたりすること
(広辞苑より)
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ブログを書く

2024-02-03 06:05:43 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「うーん」です。
初めて上海を訪れました。
無錫で見た霞を、同僚のドイツ人はスモッグと教えてくれた。
西洋建築が立ち並ぶ通りで、中国人と思える若い娘に声をかけられた。
ちんちんマッサ、いかっすか。
教えた日本人の馬鹿野郎。


真っ白な原稿用紙を眺めながら怖気づく。
誰しもが経験した作文の宿題です。
今でも、ブログを更新するごとに胃がちじみ上がります。
今日のタイトルは、「ブログを書く」です。

先輩のうちに、定期的に旅日記が届くそうです。
最初は興味を持って読んだそうです。
そのうち、同じ下りに飽きが来て積読になったそうです。
捨てるわけにもいかず、貴重なスペースを埋めるごみとなる。

私のブログも、毒にも薬にもならぬ代物です。
たまに、「面白かったよ」と友人から励ましをもらいます。
毎日、「針が落ちて笑い転げる」ような些細な珍事に気づけません。
空ぞうきんをさらに絞るようなかすかすの記事が並びます。

じゃあ、何で書くの?
誰も読んではくれないのに、少ない読者全員が持つ感想です。
あなたも馬鹿なのね。
それなら、まだ救われます。
まだ書いてるの、飽きもせず。
こんな声が聞こえてきます。

ここまで書いてすっきりしました。
ずーっと感じていた疑問でした。
芥川賞、直木賞、さらにノーベル賞をいただいた作家まで、書けなくなって自殺を試みます。
笠置シヅ子さんのように、進駐軍が去ってブギから泣き節に代わった時にすっぱりと歌手をやめる。
書くことに行き詰ったら、書くことをやめれば良いのです。
自分に嘘をつき、世間を欺くことは格好悪いし、精神を蝕むことでしょう。

今しか書けない。
明日になったら、違う気持ちになっている。
思い出せない。
誰しも経験するジレンマです。
たけしが言う、ゴルフの上達ループです。

書いていてよいことが一つだけあります。
真剣に突き詰めるほど引き出しが増えて、誰かと話しているときパッと浮かんできます。
さらによいことは、区切りを付けられます。
日々の考えは、堂々巡りです。
これでおしまい。

私の記事は、Know-howものではありません。
読んで得することはありません。
あいつも馬鹿だね。
から、こいつ相変わらずだね。
と親近感を持っていただければ幸いです。

2024年2月3日
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親離れ子離れ

2024-02-01 00:43:31 | よもやま話

海ほたるに、大きな掘削刃が展示されていました。
タイトルは、「トンネル掘っちゃった」です。
川崎と木更津をつなぐ夢道路でした。
島から都会に通ずるフェリーも橋も、
島の働き手が欲しかった都会のニーズから始まった。
行くばっかりじゃない、帰ることも可能です。


昨日のゴルフは、散々でした。
もう少しで、妻に負けそうでした。
体重が500g少なくなったことで良しとしましょう。
過日、市役所主催の「未来総合計画」の話し合いに参加してきました。
話し合いのあと、コンセプトを皆が一人ずつ発表しました。
私は、「親離れ子離れ」(今日のタイトル)とし、説明しました。

20歳で、こんな島嫌だと東京に出ました。
親離れです。
還暦を迎え再婚を機に、自分の家を出ました。
子供が引き継いでくれればよいと考えていました。
そう簡単には行きませんでした。
家族が残したゴミを捨て、傷んだ家を治し、我が家の屋根を覆う裏山の木を伐りました。
亡くなったかみさんの義兄の後見と家の解体をしました。
所謂、子離れに10年かかりました。

故郷へ帰るときは、子供を連れて帰らなければ、迷惑をかけるだけだと思っていました。
高齢の親や兄嫁を助けられるんじゃないかと、逡巡もなく故郷に帰ることにしました。
終の棲家として、島に家を買いました。
さてこれからというときに、二人とも他界されました。
恩返しの真似事もできませんでした。
実家が空き家になり、育ててくれた農地が耕作放棄地になりました。
これから10年かけて、ルーツ離れをしようと模索しています。
終の棲家に住むにつき、すべての名刺を捨て、アドレスを消去しました。

故郷故、血縁関係と地縁が残っていました。
都会に住み縁遠かった血縁関係は、自ら薄くしてしまいました。
地縁といっても、浦島太郎状態でした。
残像のような多島美が見たくて、許可をもらい耕作放棄地を再生しました。
思い出がつまった畑が荒れるのが忍びない。
近所の年寄りの要請で、困りごとの手伝いや耕作放棄地の草刈りをすることになりました。
時間持ちになって、「こんな暮らしがしたかった」と、外に出ています。
親離れする前より、地域に密着しています。
地縁・血縁ではなく、個人の資格で行っていることです。
親離れも子離れも、故郷さえも縁遠くなってできることでした。

故郷が人口減少で過疎になっています。
耕作放棄地が増えています。
害獣対策の柵がないと畑は作れません。

棘のように刺さっていた後ろめたさはいつしか消えていました。
この際、親離れも子離れも卒業したい。
地縁・血縁からも逃れたい。
故郷を終の棲家と決めた限り、一個人として生きてもよいと思うようになりました。
誰かの助けになろうとも考えない。
何事もニュートラルに判断したい。
故郷を出たものの、簡単ではなかった生きざまが後押ししてくれました。

これからの地域活性は、地縁・血縁や故郷という枠組みから離れ、
隣村とも一緒に賑やかに、世界規模で発展を捉えていきたい。
島は、エンドではない、始まりでもある。
住みたい外国人(地縁・血縁のない都会人も)がいれば、門戸を開放し、
耕作放棄地を継承していただき、穀物や野菜を作ることも可能です。
多くが暮らしていたころは仲違いもしたが、限界集落ともなれば協力せざるを得ません。
多民族国家のように、おらが村の自由を発信すればよい。
故郷(ある地域)だけが、住んでいる人だけがよくなることなんて、もうないのです。

2024年2月1日
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