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ナスカの地上絵
1936年6月22日、米ロングアイランド大学歴史学部でホール・コソック教授が古代の農業技術を研究のために古代の灌漑設備の視察でペルー南部上空を飛行中、砂漠の表面に巨大な図柄を発見。700本もの直線や渦巻きが描かれていた。さらに幾何学模様や昆虫、鳥、人間の絵まで描かれていた。
この大発見を世界に公表。後に「ナスカ」の地上絵(LINES OF NAZCA)と知られるようになった。
高度300㍍以上でなければ見ることができない大きなものもある。
ナスカはペルー共和国南部の太平洋とアンデス山脈にはさまれた520平方㌔㍍の広大な砂漠が広がる地域である。驚くことに700本もの直線は数㍍から65㌔㍍にまで及ぶ。一口に65㌔㍍といっても日本でいえば東京駅から神奈川県平塚までの距離である。
しかも驚くほど正確にまっすぐに描かれているという。それも高低差のある地表でもまっすぐに描かれているのである。模様の大きさは10㍍から300㍍まである。精密に一定の間隔をもって描かれているから凄い。
動物を型どった様々な絵は300㍍にも及ぶものまである。コンドルの絵などは120㍍、サッカー場ほどの大きさである。クシグモなどは驚異的な描写力で、さらにリキヌレイという1㌢㍍にも満たないクモをモデルにしているという。顕微鏡でしか確認できないような右足先端の微細な生殖器まで描かれている。
因みにリキヌレイは南米でもアマゾンの奥地にしか棲息していないという。
アメリカ人でペルー史研究家のウィリアム・ダンカン・ストロング博士は地上絵付近に残されていた木片を放射性炭素測定法で調べたところ今から2000年前のものであることが判明した。つまり地上絵も2000年前に描かれたと推測される。........
出土された土器などから2000年前ここではナスカ文明が栄えていたとされる。色彩が施された大量の土器と美しい色彩豊かな織物、優れた灌漑設備を残し、これらを産み出したのが古代ナスカ人であり、件の地上絵もナスカ人が描いたものと考えられる。
2000年もの間、地上絵が残っていたのは地質的特徴を抜きには語れない。砂と粘土と方解石からなる黄色い大地の上に赤褐色の細かい岩石が覆っている。したがって5cmも堀れば下の明るい地面が現れてくる。
地面をひっかくことで簡単にラインを描くことができる。そこに気候的特徴が加わる
ナスカ平原では約1万年間まとまった雨はふっていない。2年に1度、30分程度ごくわずかな雨が降るにすぎない。しかもその雨は80㌔㍍も離れた太平洋から運ばれて来る塩分を大量に含んだ雨のため、地表を酸化させ大地を固めたのである。
さてこの巨大な絵は思ったより簡単な方法で描かれている。もとになる原図の中心に基準点をとり、原図の線上にいくつもの点を施し、基準点から各点までの距離を測り、拡大したい倍数のところに点を打って行く、総ての点に対して同じ作業をくり返し、最後に拡大された点と点を結べば、原図を拡大した図が得られるのである。
その巨大な地上絵は何を意味するのかというと、宇宙人へのメッセージ、UFOの滑走路の道標、宗教的儀式、暦上重要な時期の太陽の位置を正確に示したもの(直線部分)など様々に推測された。興味深いことに多くの直線はある1点でで交差しており、その中心点から見た直線や図形の位置がある季節の星の位置と対応していた。
例えばクシグモの手足がオリオン座の星の位置と対応。古代ナスカ人にとって雨の降る時期を把握することは最も重要なことであった。つまり地上絵は季節を知る上でのカレンダーだと主張する学者もいる。
しかしどの学説も決定的なものはなく、仮説の域を出なかった。
ところが国際探検家協会ディレクター、ジム・ウッドマンはナスカの地上絵の付近から多くの布を発見した。彼は出土された土器に描かれた絵には気球が描かれているが、多くの布は気球に用いられた物ではないかと推測をし、調べたところ、布の密度は軍事用パラシュートのそれよりも丈夫で密度が高いものであることを明らかにした。
時期を同じくして地上絵付近に大きな円形の焦げ穴が発見されていることなどから、古代ナスカ人は巨大な布で作られた気球を飛ばしていたと確信した。
気球が歴史上初めて登場したのは1783年、フランスのモンゴルフェ兄弟が空に昇る煙を見て気球を発明したとされているが、それと同じことを古代ナスカ人も気球を発明していたという事実があっても不思議はない。
また数多く発見されたナスカの織物には空を飛ぶ人をデザインした織物が数多くある。これは古代ナスカ人にとって、人間が空を飛ぶということがごく一般的であったことを示している。
件のウッドマンは「ナスカ・プロジェクト」を打ち出し、当時の材料と技術を用い気球を制作することにした。
肝心のパラシュートとなる部分は長い螺旋状に縫い、円筒形を作り上部を縫い合わせる。次に上部に対して垂直に下部を縫い塞ぐ。正四面体の牛乳の紙パックのような形ができあがる。さらに任意の一角を切り落として空気の入る穴をつくる。
次にゴンドラとなる部分だがペルー南部に古くから伝わるアシで編んだボートを使用。
火力部分の代わりに焦げ穴で火を焚き、その煙を気球に溜めた。
かくしてコンドル1号の飛行準備は完成し、1975年11月24日早朝、火を焚き始めて4時間後、コンドル1号は高度130㍍まで上昇。ナスカ・プロジェクトの成功を見ることができたわけである。
しかし、これには大変危険な現象が伴う。それは太陽増加現象(SOLAR GAIN PHENOMENON)といって気球が上空1500㍍まで達すると太陽光線によって気球内の空気が暖め続けられ、太陽が輝いている限り、上昇を続けてしまうことである。つまり気球は太陽熱だけで飛び続け地上に戻れなくなってしまう現象である。
実はウッドマンもこの危険に直面し、危うく地上に戻れなくなるところであった。
恐らく古代ナスカ人もこの危険な現象を知っただろう。ウッドマン新たな仮説を立てた。
王などの死者を太陽の元へ送り葬る、地上絵は生きている人間が上空から見るためのものではなく、葬られた王への贈るためのものではないかと…。いわば副葬品である。
それ以来ナスカ人には、弔いの形として形式だけが受け継がれ、死者を葬る際に気球の布や地上絵と同じ絵が施された土器などの副葬品が埋められていたのである。
しかし、まだあくまでも仮説の段階でまだすべてが解明されたわけはない。
件のクシグモだが、なぜ遠くアマゾンにいる虫をモデルにできたのか、顕微鏡で確認できるような微細な性殖器を描けたのか…。高度な文明を持ちながら文字による記録が残されていないために多くの謎が残されたままである。
ナスカの地上絵
1936年6月22日、米ロングアイランド大学歴史学部でホール・コソック教授が古代の農業技術を研究のために古代の灌漑設備の視察でペルー南部上空を飛行中、砂漠の表面に巨大な図柄を発見。700本もの直線や渦巻きが描かれていた。さらに幾何学模様や昆虫、鳥、人間の絵まで描かれていた。
この大発見を世界に公表。後に「ナスカ」の地上絵(LINES OF NAZCA)と知られるようになった。
高度300㍍以上でなければ見ることができない大きなものもある。
ナスカはペルー共和国南部の太平洋とアンデス山脈にはさまれた520平方㌔㍍の広大な砂漠が広がる地域である。驚くことに700本もの直線は数㍍から65㌔㍍にまで及ぶ。一口に65㌔㍍といっても日本でいえば東京駅から神奈川県平塚までの距離である。
しかも驚くほど正確にまっすぐに描かれているという。それも高低差のある地表でもまっすぐに描かれているのである。模様の大きさは10㍍から300㍍まである。精密に一定の間隔をもって描かれているから凄い。
動物を型どった様々な絵は300㍍にも及ぶものまである。コンドルの絵などは120㍍、サッカー場ほどの大きさである。クシグモなどは驚異的な描写力で、さらにリキヌレイという1㌢㍍にも満たないクモをモデルにしているという。顕微鏡でしか確認できないような右足先端の微細な生殖器まで描かれている。
因みにリキヌレイは南米でもアマゾンの奥地にしか棲息していないという。
アメリカ人でペルー史研究家のウィリアム・ダンカン・ストロング博士は地上絵付近に残されていた木片を放射性炭素測定法で調べたところ今から2000年前のものであることが判明した。つまり地上絵も2000年前に描かれたと推測される。........
出土された土器などから2000年前ここではナスカ文明が栄えていたとされる。色彩が施された大量の土器と美しい色彩豊かな織物、優れた灌漑設備を残し、これらを産み出したのが古代ナスカ人であり、件の地上絵もナスカ人が描いたものと考えられる。
2000年もの間、地上絵が残っていたのは地質的特徴を抜きには語れない。砂と粘土と方解石からなる黄色い大地の上に赤褐色の細かい岩石が覆っている。したがって5cmも堀れば下の明るい地面が現れてくる。
地面をひっかくことで簡単にラインを描くことができる。そこに気候的特徴が加わる
ナスカ平原では約1万年間まとまった雨はふっていない。2年に1度、30分程度ごくわずかな雨が降るにすぎない。しかもその雨は80㌔㍍も離れた太平洋から運ばれて来る塩分を大量に含んだ雨のため、地表を酸化させ大地を固めたのである。
さてこの巨大な絵は思ったより簡単な方法で描かれている。もとになる原図の中心に基準点をとり、原図の線上にいくつもの点を施し、基準点から各点までの距離を測り、拡大したい倍数のところに点を打って行く、総ての点に対して同じ作業をくり返し、最後に拡大された点と点を結べば、原図を拡大した図が得られるのである。
その巨大な地上絵は何を意味するのかというと、宇宙人へのメッセージ、UFOの滑走路の道標、宗教的儀式、暦上重要な時期の太陽の位置を正確に示したもの(直線部分)など様々に推測された。興味深いことに多くの直線はある1点でで交差しており、その中心点から見た直線や図形の位置がある季節の星の位置と対応していた。
例えばクシグモの手足がオリオン座の星の位置と対応。古代ナスカ人にとって雨の降る時期を把握することは最も重要なことであった。つまり地上絵は季節を知る上でのカレンダーだと主張する学者もいる。
しかしどの学説も決定的なものはなく、仮説の域を出なかった。
ところが国際探検家協会ディレクター、ジム・ウッドマンはナスカの地上絵の付近から多くの布を発見した。彼は出土された土器に描かれた絵には気球が描かれているが、多くの布は気球に用いられた物ではないかと推測をし、調べたところ、布の密度は軍事用パラシュートのそれよりも丈夫で密度が高いものであることを明らかにした。
時期を同じくして地上絵付近に大きな円形の焦げ穴が発見されていることなどから、古代ナスカ人は巨大な布で作られた気球を飛ばしていたと確信した。
気球が歴史上初めて登場したのは1783年、フランスのモンゴルフェ兄弟が空に昇る煙を見て気球を発明したとされているが、それと同じことを古代ナスカ人も気球を発明していたという事実があっても不思議はない。
また数多く発見されたナスカの織物には空を飛ぶ人をデザインした織物が数多くある。これは古代ナスカ人にとって、人間が空を飛ぶということがごく一般的であったことを示している。
件のウッドマンは「ナスカ・プロジェクト」を打ち出し、当時の材料と技術を用い気球を制作することにした。
肝心のパラシュートとなる部分は長い螺旋状に縫い、円筒形を作り上部を縫い合わせる。次に上部に対して垂直に下部を縫い塞ぐ。正四面体の牛乳の紙パックのような形ができあがる。さらに任意の一角を切り落として空気の入る穴をつくる。
次にゴンドラとなる部分だがペルー南部に古くから伝わるアシで編んだボートを使用。
火力部分の代わりに焦げ穴で火を焚き、その煙を気球に溜めた。
かくしてコンドル1号の飛行準備は完成し、1975年11月24日早朝、火を焚き始めて4時間後、コンドル1号は高度130㍍まで上昇。ナスカ・プロジェクトの成功を見ることができたわけである。
しかし、これには大変危険な現象が伴う。それは太陽増加現象(SOLAR GAIN PHENOMENON)といって気球が上空1500㍍まで達すると太陽光線によって気球内の空気が暖め続けられ、太陽が輝いている限り、上昇を続けてしまうことである。つまり気球は太陽熱だけで飛び続け地上に戻れなくなってしまう現象である。
実はウッドマンもこの危険に直面し、危うく地上に戻れなくなるところであった。
恐らく古代ナスカ人もこの危険な現象を知っただろう。ウッドマン新たな仮説を立てた。
王などの死者を太陽の元へ送り葬る、地上絵は生きている人間が上空から見るためのものではなく、葬られた王への贈るためのものではないかと…。いわば副葬品である。
それ以来ナスカ人には、弔いの形として形式だけが受け継がれ、死者を葬る際に気球の布や地上絵と同じ絵が施された土器などの副葬品が埋められていたのである。
しかし、まだあくまでも仮説の段階でまだすべてが解明されたわけはない。
件のクシグモだが、なぜ遠くアマゾンにいる虫をモデルにできたのか、顕微鏡で確認できるような微細な性殖器を描けたのか…。高度な文明を持ちながら文字による記録が残されていないために多くの謎が残されたままである。
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