時間など気にせずにテレビを観たりした。
どうして今回、こんなにネームに苦労しているのか?
いろいろ考えたりした。
答えは出ない。
でも、いろいろ考えた。
創作活動をしなくなったクリエイターは消えるだけ。
なぜ創作活動をしなくなるのか?
何年もやってきたクリエイターが、歳をとるにつれて
作品を生み出さなくなる。
そういう人もいるし、どんどん作品を作る人もいる。
義務感を感じて、嫌になっちゃうのか?
僕は、「創作」と言えるほどの事はしてこなかった訳だけど、
でも何かを作り出そうとしてきた。
それが、全部ひっくるめて過去のすべての作品の「焼き直し」や「組み換え」である可能性がある事も分かっている。
でも確実に言えるのは、
僕が、萎縮していたということ。
作品を描くにあたって、自由に、
本当の意味で自由に描いたことがない気がする。
何か大きな物に、枠組みを決めてもらって、
誰かが望むものを描こうとしてきた気が。
誰も頼んでもいないのに、勝手に窮屈になって身動きとれなくなって、
小さくまとめてため息をつく…そんな繰り返しですよ。
「創作」とは本来「義務」であってはいけない。
「創作」とは「楽しみ」なのである。
僕は「義務」として感じていた。
感じようとしていた気がする。
その方が楽だから。
思い込みの「義務」。
そうする義務があると思い込んで、
その上で、「やりたくないのに…」とすねる。
僕には義務なんてない。
自由に創作していい。
今やっている『ZUBA!』は確かに義務だけど、
これが終わったら、持ち込み用の漫画に入る。
それは義務じゃない。
クリエイターとして、
「私、こんなことできます」
と見せる場所だ。
「義務」を感じていては何も生まれない。
いま、僕には、発想の転換が求められている。
大きく物事を見ないと。
大きく世界を見ないと。
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