同じような時期にまったく対照的な2つの記事を見つけた。1つはオークションで「自分の友情」を出した青年の話。もう1つは「おじいさんとして受け入れ家族を募集」している話。共にヨーロッパであった似たような話やけど、考え方のスタンスが全然違うように思った。
「友情」を売っている青年は入札者のために癒しの存在になってあげるような事を言っている。しかし、そんな一時的にお金で解決できるような友情ってあるんやろうか?友情の押し売りのように思えるんやけどなぁ。
おじいさんの方は新聞広告で「元教師の年寄りです。おじいさんとして受け入れてくれる家族を募集しています。お金は毎月お支払いします」と出したそうです。それを見た家族を大切にするお国柄のイタリア人は心を打って多数の受け入れ申し込みがあった。そして申し込まれた中で元の生徒の家族に受け入れられた。
こちらの方はなんか心の温まるようなお話です。多分おじいさんがお金を支払うって言ってもホストファミリーはお金のためだけでおじいさんを受け入れた訳ではないでしょう。この辺が友情を売る青年と大きな違いがあると感じた。
【オークションで『僕の友情』が出品される】(AZOZ Blog)
【”元教師の年寄りです。おじいさんとして受け入れてくれる家族を募集しています。お金は毎月お支払いします”】(ABC振興会)