★星空日記コリメート風goo★

星や旅などの話題を「ひらい」が札幌から発信。2010年開設。2022年7月にteacupからgooへ引越しました。

帯状疱疹の再発か?

2025-01-09 06:00:00 | 家族の記事
 今から40年前の1985年5月から札幌市南区郊外の滝野という場所に個人用の天体観測所を作っていたとき、作業を開始して3ヶ月後の8月に帯状疱疹を発症しました。
 仕事がシステムエンジニアと忙しかったことに加え、休日になると朝早くから夜まで土木作業と建設作業で疲労が溜まっていたからだと思います。


 自分の観測所を持ちたい一心で、日没後も鉄骨に錆止めを塗っている私です。この数日後に発症しました。
 40年前は左の脇腹に見事な発疹が肋骨に沿ってというか神経に沿って並び、軟膏を塗布し2週間ほどで軽快した経緯があります。その頃は30歳代と若かったので早めに治ったようです。


 時は流れ、2025年の初日の出を新ひだか町の海岸で見終え、帰宅して元日の夕飯を食べていた時のこと。
 右腕の脇の下にちょっとした痛みを感じました。疲労かなと思い早めに就寝。

 1月2日(木)、起床すると右足大腿部にもピリピリとした痛みが出始め、40年前の痛みと似ていたことから帯状疱疹の再発を疑いました。
 元日夜から2日朝に見た初夢はとてもハッピーな良い夢だったのに、現実は帯状疱疹かとガッカリです。

 1月3日(金)、痛む範囲が右肩全体と右脇腹にも広がり、右腕上部に15mm×7mmほどのウイルス性と思える発疹が出ていました。素人判断ですが帯状疱疹に違いないと思いました。

 1月4日(土)、ヒリヒリとした痛みが鈍痛に変化し痛みも3/10ほどの増加。寝返りするたびに痛むため安眠ができません。体温は平熱のまま。

 1月5日(日)、右脇腹にも35mm×15mmの発疹。背中の右側にも広い範囲で発疹が出始め、以上の経過をメモ書きした紙を持って休日当番病院に通院。偶然ですが、私が高血圧治療で定期通院している札幌禎心会病院がこの日の休日当番病院でした。


 私のメインバンクならぬメインホスピタルの札幌禎心会病院です。9時半に病院到着。日曜日の基幹病院なので激混みでした。受付番号は132番。どうやら私の診察は午後になるようです。


 診察待ちで溢れかえる場所から離れ、人がほとんどいないスペースでブログ記事の下書きを書いたりコーヒーブレイクして待ちます。100mほど奥の診察室前は椅子に座れない受診者さんが床に座わるなど大混雑しています。

 30分おきに診察室前のディスプレイで診察の進行状況を確かめました。受付番号の推移をみると、30分間で8人分しか進みません。私の診察時刻は15時過ぎと推察。まあ、これはある程度予想していたことですが、具合が相当悪い人もいて待つのも辛そうです。

 昼少し前から医師が増員されたようです。どんどん順番待ちが減っていき、私の診察開始は13時ちょうどでした。
 救急診察は以前の私の高血圧治療の主治医H先生でした。お久しぶりですと挨拶し経過メモと発疹を見てもらうと「お察しのとおり帯状疱疹ですね」と確定診断。H先生は非番でしたが応援要員として急きょ駆り出されたとのこと。医師も大変です。H先生から「今週中に皮膚科を必ず受診してくださいね」と再受診を促されました。

 会計を終え当番調剤薬局に向かうと、待合スペースが凄い人混みです。最低でも30分お待ちくださいとのこと。病院に戻り先ほどの休憩コーナーで昼ごはん。50分後に調剤薬局へ行き処方された7日分の抗ウイルス薬を手に、帰宅したのは1月5日(日)14時半でした。

 1月6日(月)、母の在宅訪問診療の主治医S先生に母の体調のことで電話すると、
「ひらいさん、帯状疱疹になったんだね」とS先生からいきなり告げられました。
「えっ、どうして知ってるんですか?」と電話口で聞いたところ、
「グループ系列の禎心会病院が激混みだと聞いて電子カルテを見ていたら、ひらいさんが帯状疱疹で受診したのを見つけたんだよ」とのこと。これにはビックリ。
 母の在宅訪問診療の際には私の体調も気遣ってくれるS先生のことを「セカンドオピニオンなどを相談できる私の家庭医」だと勝手に思っています。(笑)

 1月7日(火)、禎心会病院の皮膚科を受診。もっと強力な抗ウイルス薬と軟膏が処方されました。日曜日の激混みに比べると皮膚科はとても空いていて通院・受診・会計・調剤薬局・帰宅に要したのは1時間半でした。しばらく静養します。

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