あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

仲良くしている人

2008-04-14 21:40:06 | 日記

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私が敬愛する人の共通すること

ときどきドジ
かなり不衛生で
食べ散らかす
不精
かなり出不精
ときどき間抜け
しばしば勘違い
かなりの思い込み違い
そして、小さな嘘つき
ときどき極端に世間知らず
ときどき怖いもの知らず
ときどき無作法
ときどき過激な発言
思い出したような親切
あまり動ずることなく
他人と比較して自分を語らない。

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当たり前は懸命さによって支えられているのですね。

2008-04-14 20:33:04 | 日記
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「当たり前のこと」(昭和という時代)

映画館へ行けば小粋なラブロマンスを楽しめる。
ファミレスへいけばドリンクバーで粘ることができる。
餃子が食べたいと思えば餃子を
ハワイに行きたいといえばハワイへ
無理ないローンを組んでマイホーム
まあ、大変だけれど手に入る。
それは戦後を経験した人のささやかな夢の形だった。

それでも、そうなっても、世の中の人
不満がいっぱいだし、何も手に入っていないと嘆く
相手に対する不満を過剰なまでにぶちまけ
自分の支配下に入れてしまおうとする
理不尽な若者も増えてきている。
「うつ」になってしまう人も溢れるほどいる

「当たり前の人」は、総てが自分の努力と多少の金で手に入る。
そんな時代なのでしょう。
もう、欲深くしたところ
他と比較して「俺が勝っている」程度のことしかありません。
外国へ出かける回数とか
高級車自慢であったり
ドンヘペリをキープしたり
部屋数が一つだけ多いとか
そんなものしかありませんし
愛せない人が愛して欲しいと渇望し
暴力的に手に入れることしか分らない
そんな形も爆発的に増加しています。

あきらかに
「ないのが当たり前の時代」のないものが欲しいのと違います。

戦後、貧しいのが当たり前
食べるものがないのが当たり前
着るものがなく、服を再生利用するのも当たり前
「お下がり」という言葉もありました。
何とかしたいのになんともならないのが当たり前だと感じた。
それを、誰も疑ったりはしない。
でも食べ物がなければ、満腹を望み
金がない子が将来を夢見るのは
親孝行したい
そして、食い扶持を一つ減らす
それだけだった。
でも、「今のままでは嫌だ」
それが「這い上がるエネルギーだった」
でもたどり着いたところには何もなかったのです。

もし、恐慌が起こったり
天災が襲い掛かりして
総てを失ったとき
「当たり前にある」根拠を失ってしまう。

失職したり、会社が倒産したりしたら
餃子を食べられないのが当たり前
「ハワイ旅行」は、夢となる。
それがもはや這い上がる原動力にはならない。
「ない」から出発するのと
「あったものを失った」から出発するのとは違っている

でも、失ったとき、自分の望むが見えてくる
這い上がるべき世界が何かが見えてくる。
きっと、自分が望んでいたことが
今と変わらないことに驚くだろう
でも、「当たり前」で何も考えないことと
「当たり前」を願うこととは本当は違うことなのだろう。

自分は今のままでいいと思う。
今以上を望まない。
それを贅沢と言うのだろう。

それでは堕落ではないか
そのような問いかけをする人のそれとどこが違うのか
どこも違っていないことをいっぱい経験した。
せいぜい、落ちこぼれない程度の努力はするにしても
望まなければ、失わない。