あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

韓国時代劇にはまりつつあります

2008-04-19 14:28:50 | 日記

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「砂時計」を先日を見ました。
現代の韓国事情や歴史をそれなりに知るために
参考になりました。
ときどき涙を流しました。
親子の愛もそうですが
友情という古びたようなものが
韓国にはしっかり残っているのだということが分り
なるほどと思い、そして、泣きました。
ありえない状況を作り出して
それを巧みに利用するドラマの面白さを
大いに楽しみました。

「冬のソナタ」はまだ見ていません。
メロドラマはじれったくて
「好きなら好きで、本当のことを早く言っちゃえよ」
「彼があそこに立っている。ちゃんと見えるだろう」
と怒鳴りたくなるから、現在は苦手です。

韓国の時代劇で見たのは
「ホジュン」
「チャングニの誓い」です。

そして、やっと
「朱蒙」にたどり着きました。

韓国の時代劇は面白いですね。
「ホジュン」と「チャングニの誓い」は
時代劇というよりサクセスストーリーです。

「朱蒙」は紀元前の国取り物語です。
韓国の事情なのでしょうか
かなりの俳優が「ホジュン」「チャングニの誓い」
と重なっています。
ですから、この俳優は「チャングニの誓い」では
この役だった思い出します。
かのチャングムを苛めた女官も個性ある役柄で登場しています。
ミステリードラマで、出演する俳優の力量で犯人が見えてしまうのと同じですね。
俳優もいろいろな役を演じられていいですね。

今日は6話まで見ました。
韓国映画は、時代劇やアクション映画を多く手がけており
殺陣は十分に習熟しているので
手馴れているので、ここまできたのか
そんな工夫がいたるところに感じられませすね。
楽しいです。今の日本の時代劇は元気なのでしょうか?
あまり劇場でも上演されませんね。

韓国の時代劇を見ると
紀元前の服装はどうであったとか
戦い方法はどんなものか
いろいろ自由に発想しえいるのがわかりますね。
映画関係者も
分るはずもないことをあれこれ想像し
戦闘場面を作るのですから
大変でしょうね。
でも、活気を感じますね。

アクションなどは、確かめようもないことなのですから
なんどもありでしょうが、
不自然な立ち回りだと
退屈だし
作る人たちも大変です
でもやりがいがあるでしょうね。

このドラマは
50話以上あるとのことです
ぼちぼち見ます。

きっと、遅れてきたおじさんだと思います。
「朱蒙」はとっくに流行は終えていたかもしれません。
私の周辺の生真面目な人たちは
「朱蒙」というタイトルを知りません。
同じ空気を吸っている時代
さまざまですね。

まあ、いいか!

昨日の大雨は、今日昭和記念公園に出かけるチャンスかな

2008-04-19 06:23:43 | 日記
梅岩寺の桜(青梅)

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昨日は大雨
あちこちで被害がありました。
クレーンが倒れたり
屋根が飛ばされたりしている様子をテレビで見ると
日本家屋の屋根は、実にお手軽で頼りない構造になっていることが分りますし
クレーンでさえ倒れてしまう風があることを知ります。
構造物は頼りないものだと知りました。
最低限でいいや!
そんな感じが分ります。

私が都会で何かあったなと感じるのは
駅構内ですね。
多くの人が動いている構内で、
「本日、国分寺駅構内で信号トラブルがあり・・・」
「本日、川崎駅構内における人身事故により、大幅に遅れが出ています・・・・」
とアナウンスされており、
掲示を見て
サラリーマンが慌てたり、困っている様子が見ると
サラリーマンも大変だなと思ってしまいます。
そして、ドキッとします。

人身事故とは自殺のことなのですね。
毎日のように自殺者がいる。
それを淡々と放送している。
それでいいのですが、何か違う感じです。

「ありゃ、後1時間ぐらい遅れるのか」
と事務的なことを心配している。
そして、無表情に改札に向かっている。
多くは出勤時間があるサラリーマンですね。
大多数の老人は通勤時間には駅にはいない。

だから、駅には日本の限られた縮図しかないでしょう。
でも、この人たちによって支えられていると思うと
多少のわがままもいいような気がします。
急いでいる人のためにも道をゆずりましょう。

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このブログ
写真と小さな洒落た文章を組み合わせたものを・・・・・
そんな意図で始めたのに、
もう、日記と言うより、日々のメモ

「鋭い切り口」などと言われたい
そんな願いもとっくになくなり
わずか一ヶ月でわき道にそれてしまい
そのずれてしまった角度が時間が経つほど
大きくなっていきます。

写真にしても
日常的な匂いがするものを
そんなプロのスタイルを真似する魂胆も
植物図鑑というか
アルバム写真の域を出ないし

文章もちっとも思い浮かばない。
また、
余白を利用したり
・・・・
を利用して余韻を作ったり
ふくらみをもたせる技法もない。
だいたい、文法的に不都合なことが多過ぎる。

それと、論理的に合わないようなことが並び過ぎている。
それも個性だというほど
洒落たものではない
単に思いついたことを書いてみて
その文章に刺激されて
次の文章を書いてしまう
そのとき
「こんな文章書いたらやばいかな」という不安を和らげるために
バランスをとるような文章をくっつけてしまう。
それがいけないのかな
そんなことを思います。

でも
ブログに書き込むと
ゴミを業者が袋ごと運んでくれるように
こだわりとして溜まっていたものを
言葉にし
そして、廃品として
一気に運び出してもらえるような気分にもなります。

それは自慢話も同じです。
どれもこれも残すつもりで書きはじめても
容易に、消えてしまうものですね。
それを「思い出つくり」とすることもありますが
それは、一時の話題にすぎませんでした。

でも、書く場所があり
そこにゴミを定期的に出すような思いがあると
意外と気楽ですね。

これをトイレの中で考えています。
まさに、排泄と同じですね。

これが自分の健康状態をチェックする方法かも

まあ、いいか!