あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

相模湾の日曜日

2009-01-25 20:05:17 | 日記
相模湾

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元気ですか。
今日、相模湾を見てきました。
昔のままですね。
対岸の房総の煙突、観音像などがかすかに見えました。
漁船と大型貨物船が散らばっていました。
これじゃ、衝突事故が起きてもおかしくない。
そんな込み具合でした。
あなたの勤務していた基地はここではなかったのですか。
海岸では釣りをしている人
その人を見ている人
バーベキューをしている人など
様々でした。
さすが冬場で人も少なかったですが
この地方の人は、相模湾の海岸で遊ぶのですね。
それにしても今日は上天気で歩くのにもいいですし
バーベキューをする人にとっても幸運でした。
ふだんなら寒さに震えたでしょう。
こんなとき、年寄り独特の感想が沸いてきます。
外を歩き回れることだけでもありがたいし
体力が衰えたとはいえ
そこそこ歩けること
そして、自分の言葉で語られることは
ありがたいことだと思うことです。
当たり前だったことが
これは感謝すべきことなのだというように
変わっているのですね。
そして、感想はいつもワンパターン
そんなことを話しながら歩きました。
この地方で働いていた頃は横須賀に出るのは
仕事仲間との飲み会
業界仲間での会食
そんなことばかりでした。
ですから、店の名前は覚えていても
昼の顔を知らないままなのですね。
今日、久しぶりに来て
商店街の明るいこと
すっきりした表情であることに驚きました。
海軍カレーの宣伝はそのままにしても
「どぶ板」と愛唱されていた面影はありません。
山口百恵の歌唱した風景はどこにもありません。
どこにでもある商店街であり
マンションでした。
そして、鎌倉方面から電車で来ると
トンネルを越えると
突然、軍艦が見える異様さは
昔のままでしたね。
今度、一緒に歩きましょう。
「おさらい回顧旅・老人編」とでも呼称しましょうか。
後10年で何かできそうですね。

               あきオジ

「山で最期を迎えたい」ドキュメント

2009-01-25 18:22:21 | 日記
観音崎

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ちょっと、感動をお裾分け
日曜日夕方
「山で最期を迎えたい」という番組を見て
久しぶりに感動の涙を出しました。
いい番組でしたね。
山奥の人家もない開拓地に夫婦で入植し
その山奥で暮らし始めます。
厳しい自然条件のの中で
子ども達を育てあげます。
時代が過ぎ、
子ども達が嫁いで去った後も
山に残り夫婦で生きてきます。
そして、80歳を越えてから取材は始まります。
電気も水道もない生活であっても
二人にとっては桃源郷です。
二人は、その生活に十分に満足しています。
子ども達の勧めがあっても
同居を誘われても夫婦は断り続けます。
そして、年が過ぎ
体力が維持できなくなって老人ホームに入っても
山での生活が忘れられず
体力が回復すると夫婦で山に戻ります。
子ども達もその夫婦の希望をかなえてやろうと
協力するように変化します。
そして、その両親の姿を見て
「それでいいのだ。十分なのだ」と語り合います。
長い期間の取材があり
時間の経過を骨太にとらえている。
その夫婦が素晴らしい。
それは、今の時代にはないスタイルです。
働きずめの人生であったのにもかかわらず
山での生活を愛し
「早起きして、山の空気を思い切り吸って、感謝する」
それで十分だという。
じいちゃんの眼差しがいい。
こんなエピソードが紹介されます。
じいちゃんが前立腺の病気で
治療生活に入ると
ばあちゃんは部屋の隅で
「これまでじいちゃんが何でもやってくれた。
自分は言われたことをするだけだった。
じいちゃんがいなくなったらどうしよう。」
そう言って80歳を過ぎたばあちゃんが、泣きじゃくります。
その姿が美しく
泣くばあちゃんを見つめる
じいちゃんの姿が痛々しいけれど神々しい。
山に戻ったとき
ばあちゃんに手を差し伸べるじいちゃんが男らしい。
ばあちゃんの懸命に前に進もうとする表情もいい。
じいちゃんをばあちゃんを見守った子ども達は
結局はじいちゃんとばあちゃんを山で暮らしてもらい
週末などに子ども達がたずねるという方法を選びます。
土曜日に子どもや孫が訪ねてきて
じいちゃん、ばあちゃんを囲んで語り合うシーンがいい。
じいちゃん、ばあちゃんの嬉しそうな表情の美しさは
感動です。
自分も涙が止まりませんでした。
子ども達も
「これからの人生をいっぱい教えてもらった。
こんな素晴らしい人生をすごし
どうしたらよいか教えてくれた人はいませんね。」
と語ります。
じいちゃんが亡くなり
痴呆症になったばあちゃんが
「じいちゃんはどこにいってしまったのだ」と娘に尋ね
娘に勧められ
山に向かって「じいちゃん」と叫ぶシーンはいいですね。
涙で画面がかすんでしまいました。
今日は、この番組を見て本当によかったと思いました。

       あきオジ

山口放送の番組案内

 田中寅夫さん(93歳)、フサ子さん(88歳)。山口県、中国山地の山奥に、ふたりの山はありました。

 終戦から間もない頃、復員した寅夫さんはフサ子さんと一緒にふるさとに近い山を買い、夫婦で切り開きました。「食べてゆくだけのものは、自分で作りたい」。自給自足の生活です。そこで3人の娘たちを産み育て、親兄弟を呼び寄せ、貧しいですが賑やかな日々を送りました。

 高度経済成長期に入った頃、娘たちの将来を考えて家族で大阪へ出ました。しかし夫婦は還暦を過ぎると、都会の生活を捨て、また不便な山に戻ったのでした。「自分らしく老いてゆきたい」それが理由でした。

 電気も水道も通っていない、山奥の小屋住まい。何の気兼ねもないふたりだけの生活が続きました。

 夫婦には大阪で暮らす3人の娘たちがいました。「山を下りて欲しい」「大阪で同居しよう」と娘たちは言い続けました。寅夫さんとフサ子さんは拒み続けました。しかし少しずつですが、ふたりは確実に老いてゆきました。

 時が、経ち、90歳に近づいてもなお山の暮らしにこだわり続ける両親を見て、3人の娘たちの気持ちは変化していきました。娘たちもすでに孫を抱える年齢になり、親たちの生き方を受け入れ、背中を押すようになったのでした。

 夫の寅夫さんは病に倒れてもなお、山に執念を燃やしました。信念を貫こうとする親と、支える娘たちの生活が続きました。

 「いい人生の歩き方を教わった」「自分たちもそう生きたい」「親から生きる力をもらう」という娘たち。親と向き合い、親を看取ることで、自らの生き方と向き合いました。