あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

久しぶりに響く短歌にであう。

2009-01-26 21:02:44 | 日記
観音崎

・・・・・・・・・・・・・・

今日、いい短歌に出会いました。

「親不孝通りと言えど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす」(ホームレス)

朝日歌壇(月曜日・朝刊)に登載された短歌
日常的な上品な切り口の作品の中で異彩を放っていたので
目に付きました。
きりきり腹が痛くなるような作品ですね。
「親もなく親にもなれず」がリアルですね。
言葉の並びも無駄がなく、一読しただけで覚えてしまいました。
確か、神奈川県のどこかにそんな名前のとおりがあったように
記憶しています。
日の出町か黄金町だったか、それとも別のところか
思い出せません。
この作品を読んだとき
歌壇にときどき登場する
郷隼人というアメリカの刑務所に収監されている
人の短歌を思い出しました。
歌に命を掛けている人の潔い言葉が印象に残ります。
もう刑が執行された島秋人の
作品もしみじみしますね。
短歌の言葉は叙情性が含まれているからでしょうか
響きが遠くまで届きますね。
この短歌を見つけただけで
今日は謙虚になれました。

            あきオジ



水と安全はただだと思っている

2009-01-26 05:36:37 | 日記
横須賀港

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

横須賀に出かけました。
JRのトンネルを抜けると
いきなり巨大な軍艦が目に入ります。
そのことに驚きました。
忘れていた風景です。
このような巨大軍艦が隣にある
そんな生活を想像したこともありませんでした。
「ユダヤ人と日本人」という本があり
その中の
「日本人は水と安全はただだと思っている。」という
記載は目から鱗でした。
このような風景を見ていると、世の中、話し合いで解決できるほど
おめでたくできていない。そんなことを実感しますね。
今の、どこそこの安定した状態も
横須賀基地、厚木基地、沖縄基地の存在があるからかもしれません。
そのようなことは頭で考えるときには気づくことでも
それ以外の時には、何も考えることも気づくこともありません。
でも、このような基地の町にくると
飛行機とか船
そしてアメリカ人とかに出会います。
そんあとき、「ああ、そういうことか」と気づきます。
アメリカ軍の軍人や家族は街を歩きながら
日本人の当たり前の人たちをどのように見ているのでしょうか。
「自分たちが日本人を守ってやっているのだ」と思っているのでしょうか。
そのような不思議な現実を見ているいているような日でした。

          あきオジ

相模湾の日曜日

2009-01-25 20:05:17 | 日記
相模湾

・・・・・・・・・・・・・・・・

元気ですか。
今日、相模湾を見てきました。
昔のままですね。
対岸の房総の煙突、観音像などがかすかに見えました。
漁船と大型貨物船が散らばっていました。
これじゃ、衝突事故が起きてもおかしくない。
そんな込み具合でした。
あなたの勤務していた基地はここではなかったのですか。
海岸では釣りをしている人
その人を見ている人
バーベキューをしている人など
様々でした。
さすが冬場で人も少なかったですが
この地方の人は、相模湾の海岸で遊ぶのですね。
それにしても今日は上天気で歩くのにもいいですし
バーベキューをする人にとっても幸運でした。
ふだんなら寒さに震えたでしょう。
こんなとき、年寄り独特の感想が沸いてきます。
外を歩き回れることだけでもありがたいし
体力が衰えたとはいえ
そこそこ歩けること
そして、自分の言葉で語られることは
ありがたいことだと思うことです。
当たり前だったことが
これは感謝すべきことなのだというように
変わっているのですね。
そして、感想はいつもワンパターン
そんなことを話しながら歩きました。
この地方で働いていた頃は横須賀に出るのは
仕事仲間との飲み会
業界仲間での会食
そんなことばかりでした。
ですから、店の名前は覚えていても
昼の顔を知らないままなのですね。
今日、久しぶりに来て
商店街の明るいこと
すっきりした表情であることに驚きました。
海軍カレーの宣伝はそのままにしても
「どぶ板」と愛唱されていた面影はありません。
山口百恵の歌唱した風景はどこにもありません。
どこにでもある商店街であり
マンションでした。
そして、鎌倉方面から電車で来ると
トンネルを越えると
突然、軍艦が見える異様さは
昔のままでしたね。
今度、一緒に歩きましょう。
「おさらい回顧旅・老人編」とでも呼称しましょうか。
後10年で何かできそうですね。

               あきオジ

「山で最期を迎えたい」ドキュメント

2009-01-25 18:22:21 | 日記
観音崎

・・・・・・・・・・・・・・・

ちょっと、感動をお裾分け
日曜日夕方
「山で最期を迎えたい」という番組を見て
久しぶりに感動の涙を出しました。
いい番組でしたね。
山奥の人家もない開拓地に夫婦で入植し
その山奥で暮らし始めます。
厳しい自然条件のの中で
子ども達を育てあげます。
時代が過ぎ、
子ども達が嫁いで去った後も
山に残り夫婦で生きてきます。
そして、80歳を越えてから取材は始まります。
電気も水道もない生活であっても
二人にとっては桃源郷です。
二人は、その生活に十分に満足しています。
子ども達の勧めがあっても
同居を誘われても夫婦は断り続けます。
そして、年が過ぎ
体力が維持できなくなって老人ホームに入っても
山での生活が忘れられず
体力が回復すると夫婦で山に戻ります。
子ども達もその夫婦の希望をかなえてやろうと
協力するように変化します。
そして、その両親の姿を見て
「それでいいのだ。十分なのだ」と語り合います。
長い期間の取材があり
時間の経過を骨太にとらえている。
その夫婦が素晴らしい。
それは、今の時代にはないスタイルです。
働きずめの人生であったのにもかかわらず
山での生活を愛し
「早起きして、山の空気を思い切り吸って、感謝する」
それで十分だという。
じいちゃんの眼差しがいい。
こんなエピソードが紹介されます。
じいちゃんが前立腺の病気で
治療生活に入ると
ばあちゃんは部屋の隅で
「これまでじいちゃんが何でもやってくれた。
自分は言われたことをするだけだった。
じいちゃんがいなくなったらどうしよう。」
そう言って80歳を過ぎたばあちゃんが、泣きじゃくります。
その姿が美しく
泣くばあちゃんを見つめる
じいちゃんの姿が痛々しいけれど神々しい。
山に戻ったとき
ばあちゃんに手を差し伸べるじいちゃんが男らしい。
ばあちゃんの懸命に前に進もうとする表情もいい。
じいちゃんをばあちゃんを見守った子ども達は
結局はじいちゃんとばあちゃんを山で暮らしてもらい
週末などに子ども達がたずねるという方法を選びます。
土曜日に子どもや孫が訪ねてきて
じいちゃん、ばあちゃんを囲んで語り合うシーンがいい。
じいちゃん、ばあちゃんの嬉しそうな表情の美しさは
感動です。
自分も涙が止まりませんでした。
子ども達も
「これからの人生をいっぱい教えてもらった。
こんな素晴らしい人生をすごし
どうしたらよいか教えてくれた人はいませんね。」
と語ります。
じいちゃんが亡くなり
痴呆症になったばあちゃんが
「じいちゃんはどこにいってしまったのだ」と娘に尋ね
娘に勧められ
山に向かって「じいちゃん」と叫ぶシーンはいいですね。
涙で画面がかすんでしまいました。
今日は、この番組を見て本当によかったと思いました。

       あきオジ

山口放送の番組案内

 田中寅夫さん(93歳)、フサ子さん(88歳)。山口県、中国山地の山奥に、ふたりの山はありました。

 終戦から間もない頃、復員した寅夫さんはフサ子さんと一緒にふるさとに近い山を買い、夫婦で切り開きました。「食べてゆくだけのものは、自分で作りたい」。自給自足の生活です。そこで3人の娘たちを産み育て、親兄弟を呼び寄せ、貧しいですが賑やかな日々を送りました。

 高度経済成長期に入った頃、娘たちの将来を考えて家族で大阪へ出ました。しかし夫婦は還暦を過ぎると、都会の生活を捨て、また不便な山に戻ったのでした。「自分らしく老いてゆきたい」それが理由でした。

 電気も水道も通っていない、山奥の小屋住まい。何の気兼ねもないふたりだけの生活が続きました。

 夫婦には大阪で暮らす3人の娘たちがいました。「山を下りて欲しい」「大阪で同居しよう」と娘たちは言い続けました。寅夫さんとフサ子さんは拒み続けました。しかし少しずつですが、ふたりは確実に老いてゆきました。

 時が、経ち、90歳に近づいてもなお山の暮らしにこだわり続ける両親を見て、3人の娘たちの気持ちは変化していきました。娘たちもすでに孫を抱える年齢になり、親たちの生き方を受け入れ、背中を押すようになったのでした。

 夫の寅夫さんは病に倒れてもなお、山に執念を燃やしました。信念を貫こうとする親と、支える娘たちの生活が続きました。

 「いい人生の歩き方を教わった」「自分たちもそう生きたい」「親から生きる力をもらう」という娘たち。親と向き合い、親を看取ることで、自らの生き方と向き合いました。

箴言集はなぜかお気に入りですね。

2009-01-24 20:59:42 | 日記
神代植物園

・・・・・・・・・・・・

「ラ・ロシュフコー箴言集」のことですか
よく、そんなことを覚えていましたね。
数年前、岩波文庫は訳者を替えましたね。
どこがどう変わったのか分りませんが読みやすくなりました。
確かに若いことからこの箴言集を読みましたね。
慰めとしての章句になりました。
ロシュフコーの短い文章の集積とての箴言集は
当時のフランスでのサロンでは流行だったのですね。
あれこれいっぱいあったようですね。
モンテーニュの随想録も同じ流れの中にあるのではないでしょうか。
最近は、ロシュフコーは「面白いけれど嫌味なおじさんの皮肉」としか
思わなくなりましたが
「誉めるより非難があり、くさす賛辞がある」など
近代フランスのおしゃれな言葉で好きです。
江戸時代の趣味人というか都都逸のような匂いがありますね。
切れるだけではナイフではない。
そんな感じだったのでしょうか。
パスカルも面白くて好きですが
ロシュフコーの人間臭い
負け惜しみが含まれた文章がいいですね。
そう、結局のところ彼の章句は負け惜しみですね。
社交界の寵児になる野望が下心にありましたからね。
パスカルもその気になっていたようですが
途中で軌道修正してしまいましたから。
その差なのでしょうね。
自分の彼のスタイルに憧れており
別のブログではその路線を貫いています。
パスカルは信仰心が中心にあり
宗教論争の渦中で書かれたのが「パンセ」なので
箴言集というのにはちょっと無理があるようです。
それでも、いいですね。
エピクテイトス、マルクス・アウレリウス、パスカル
自分の枕頭の書です。
これでお分かりでしょうが
自分は膨大な言葉で構築された思想は苦手なのです。
まあ、そんなことです。
時代が必要とすることがあり
時代が捨ててしまうことがあるのですね。

           あきオジ

「思えば遠くにきたもんだ」知ってますか?

2009-01-24 06:06:10 | 日記
神代植物園

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

思い出の曲ですか?
いろいろありますが
「思えば遠くに来たもんだ」
海援隊の曲ですが
昔から気になっていた曲です。
当時、武田鉄矢の長髪姿がどうも好きになれず
そのために曲も好きになれませんでした。
声も、そして、歌い方も好みではありませんでした。
時代はちょっと前後しますが
加藤登紀子の「帰りたい帰れない」が
なんともいえぬ時代の気配を曲にしていました。
編曲の巧みさもあり
感傷に浸ったものです。
この曲もそんな寂しい景色が好きでした。
ですから
「思えば遠くにきたもんだ」は「帰りたい帰れない」の
亜流の曲に聞こえたのですね。
その後、アリスが「遠くで汽笛を聞きながら」
を発表しましたが、お気に入りでした。
「帰りたいのに帰れない」
「自分の故郷なのに足が遠のく」
どれも同じですね。
でも、それが自分のリアルな感傷だったのですね。
それにしても、どうしてこの曲がすきなのでしょうか。
ふるさと九州を離れて流浪する。
そんな日々を振り返りながら、ふるさと回帰したい。
そんな思いかもしれません。
でも、その土地で生まれ
親の仕事を継ぎ
その土地で結婚し
子を産み、そして育てている
幼い頃の友達は懐かしく
そして羨ましく思えるのです。
「根っこがある」ことへの尊敬かもしれません。
人は根っこを求めている。
そんなことを思うことがあります。
そのことに気づいたときから
「思えば遠くにきたもんんだ」という泥臭さが好きになりました。
今は、ふるさとは懐かしくても
帰る場所のない場所になってしまいました。
「まあ、いいか」だけではすまないのです。

             あきオジ

「思えば遠くに来たもんだ」

踏切りの側に咲く
コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる
そして夕陽に消えてゆく
十四の頃の僕はいつも
冷たいレールに耳をあて
レールの響き聞きながら
遥かな旅路を夢見てた
思えば遠くへ来たもんだ
故郷離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ
この先どこまでゆくのやら

筑後の流れに
小魚(こぶな)する人の影
川面にあわく浮かんでた
風が吹くたび揺れていた
20歳になったばかりの僕は
別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた
恋は一度と信じてた
思えば遠くへ来たもんだ
今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ
あの頃恋しく思い出す

眠れぬ夜に酒を飲み
夜汽車の汽笛聞くたびに
僕の耳に遠く近く
レールの響きが過ぎてゆく
思えば遠くへ来たもんだ
振り向くたびに故郷は
思えば遠くへ来たもんだ
遠くなるよな気がします
思えば遠くへ来たもんだ
ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ
この先どこまでゆくのやら






料理が出てくる時代劇はいいですね。

2009-01-23 18:46:39 | 日記
神代植物園

・・・・・・・・・・・・・・・・・

相変わらす暇なようですね。
でも、贅沢ですね。
何もしないでいられうのですから。
まあ、人のことを言えませんね。
テレビですか?
私も暇ですから、テレビはよく見ます。
でも○○将軍や奉行が身分を隠して登場する時代劇と
血がいっぱい出るミステリーは好きではありません。
殺人を娯楽にしているというか
正義のためなら何をしてもいいというか
そんなことが
好きでない理由です。
でも昔、放映され、今も続いている「ショーロック・ホームズ」シリーズ
と「ポアロ」シリーズは毎週見ますね。
同じシリーズを繰り返し流すので二度三度と見ています。
時代劇では、唯一「剣客商売」
を見ます。これも評判がいいのか
5回までのシリーズを繰り返し流しており
繰り返し見ています。
このシリーズは、題名を聞いただけで
だいたいの展開と台詞が思い出せるようになりました。
以前は「鬼平犯科帳」を見ましたが
大人の感覚がそれなりにいいのですが
最近はそれが嫌味でみません。
そのうちということで・・・・
二月からは「刑事コロンボ」のシリーズが始まりますが
どうしましょうか?
「剣客商売」は日本人の洒落た精神を上手に表現している
珍しいドラマだと思いますよ。
それと、前にもお話したように音楽がいい。
一度ご覧になってください。

    あきオジ

福寿草、そして、次は何でしょうか?

2009-01-23 07:25:28 | 日記
神代植物園

・・・・・・・・・・・・・・・

「何となく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山」西行法師

そんな感じの季節になりましたね。
この季節、じっと、小さくなって生活
凍り付いた坂道で転ばぬように注意し
仕事で粗相がないように気を使い
そして健康であることを何よりも心がけて暮らしていきます。
岩手はこれからが本格的な冬の寒さですね。
寒い日は寒い日の過ごし方ですね。
膝の調子が悪いとか
痛みと折り合って暮らすしかありませんね。
無茶をなさらないようにしてください。
寒い日はお孫さんに手紙を書いたら如何でしょうか。
年をとったら、明日でいいといえるほど
余裕はありませんね。

           あきオジ

予定実行

2009-01-22 18:06:21 | 日記
神代植物園

・・・・・・・・・・・・・・

神代植物園の花情報

桜は蕾が膨らむ
蝋梅は見ごろ
白梅は咲き始め
紅梅は咲き始め
椿は花がない
山茶花は終わり
福寿草は蕾も見せず

とりあえず、そんなことです。
梅を楽しむなら来週以降
福寿草も来週がいいかも

         あきオジ