1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

人間はアフォ、ボクは馬鹿

2009-07-01 13:08:13 | 雑談の記録
こないだの日曜日は練習がお昼までということになり、リョー坊は友達とルーキーズを観にいくということになったから、ボクはお一人様になった。それもなんだか寂しいので、部活から帰ってきていた長女のユーに一緒にお出掛けしないかと声を掛けたけど、結局フラれてしまい本当にお一人様になってしまった。

それでボクは、トランスフォーマーが観たいなぁと思ったけど、新田次郎の同名小説が原作の「剱岳 点の記」を観に行った。小説は、土木系の仕事を始めるようになった30歳になったばかりの頃、大学の先輩の勧めで読んだことがあった。山岳小説はわりと好きなほうだし、新田次郎の作品はこれまで読んだこともあったし、先輩がワザワザその本をくれたというのもあったから、一気に読んでしまったのを憶えている。そして、すっごい感動して、先輩がなんでその本をボクに勧めたのかわかったし、こりゃぁゼッタイ映画化すべきだなと激しく思ったもんだった。


話はかわるけど、子供の頃、たぶん小学校高学年の頃だと思う。新田次郎の「アラスカ物語」を読んでめちゃめちゃ感動したのは憶えているけど、詳しい内容はイマイチ思い出せない。だけど、「剱岳」の件でいろいろ調べているうちに「アラスカ物語」がその昔に映画化されていたことと、その映画のあらすじを知って、今、ちょっと驚いている。


ボクは今の仕事に就く以前は鉱山会社に勤めていて、担当は金探鉱だった。大学でもその方面の研究をしていて、学生の頃から地質図や文献、自分の研究結果を照らし合わせて、ここには金鉱床があるなんて考えながら地図を睨んだりしていたし、会社に入ってからも本当に鉱徴地を発見して新聞にも載ったし、極めつけは、タケシのなんとかというテレビ番組にも出演させてもらった(タケシには直接会ってないけど・・)。
今、考えると、スゴイことやってたなぁと思うけど、その頃は命を懸けてたし・・・。


さてさて、「アラスカ物語」は実在した人物の話らしいんだけど、そのあらすじってのは・・・、

宮城県石巻。二十歳の安由恭輔にとって海は理想と冒険であった。明治十九年、単身アメリカへ渡った恭輔は、フランク安田と名のって、アメリカ船に乗り込んだ。その年の冬、だれかが船の食糧を横流ししていることが発覚。恭輔はうたがわれ、結局、船をおりてしまった。そして、ポイントバローのブロワー交易所の助手となり、エスキモーとも友達になり、美しい娘・ネビロを知る。やがてエスキモーにとって大事な季節がやってきた。鯨漁である。しかし、恭輔たちのがんばりもむなしく、不猟で終ってしまう。ここでも、恭輔はエスキモーの習慣、漁へ出発する前には、かならず女を抱かなければならないということを拒否したからだとせめられる。恭輔は、ネビロと一緒に、四○○キロ離れた場所へ移った。そして、毛皮の交易で成績を上げ、一年ぶりでポイントバローへもどってくる。しかし、そこは白人達の乱獲により、エスキモー達が飢餓状態でいた。恭輔は、この飢餓状態を救うには、内陸の動物にたよらなければならないと考えるが、運悪く、アラスカを襲った麻疹により、娘や多数のエスキモーの命がうばわれてしまう。そんな時、恭輔は、カーターと出会い、金脈探しに協力する。これには、エスキモーの新天地を探すことも含まれていた。そして、かなり遠くまで足をのばし、インディアンと友人というジョージ大島と知り合う。金探しも二年目に入る。ついに、カーターは金探しを中止することにきめるが、恭輔の説得により金探しを再開。恭輔とカーターは、二手に別れて探すことにした。これは、恭輔の最後の賭けであった。ネビロの胸が恭輔に出会った時のように鳴った。ついに恭輔達は、シャンダラー河の河底から金を発見した。カーターは発掘権を取り、大規模な開発を始めた。恭輔達も、エスキモーをシャンダラー河域に大移動させることを始めた。この移動も大変であるが、隣接するインディアンの大酋長がエスキモーの居住を許してくれるかという問題もあった。恭輔はジョージ大島の仲だちにより、大酋長と三日間に渡って話し合いを続け、やっとシャンダラー河域を認めてもらった。こうして新天地、ビーバー村は誕生した。

・・・・・ってかんじ。

この「アラスカ物語」、ボクが感動した理由はその内容じゃなく、実は、「小さい文字の大人が読む小説」を初めて読破したという成功体験のほうがはるかに大きい・・・と、思っていたけど・・・、
本当は、その内容のほうが強烈に猛烈にすり込まれていたのかもしれない。


去年の今頃、ボクは、ナニゲに「白球の絆」なんていう少年野球を題材にした短編アホ小説を書いたけど、それにはアラスカがでてくるんだよなぁ~。

なんかさぁ、人間なんて、チョー単純なのかもしれないねぇ。


ちなみに、中学生になってからは大藪春彦を読みあさり、貯めこんだ本を学級文庫に寄贈したら、技術家庭科の暴力教師に「オマエラには早すぎる!」と言われ、全部没収されてしまったことを思い出しちゃったり・・・・。
コメント
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