【不動岩】
不動岩は、山鹿市の三玉校区(旧三玉村)にあり、山鹿市役所から東北東約4.5kmに位置する標高388.4mの蒲生山の中腹から頂上にかけて聳える、前不動・中不動・後不動の三つの岩峰から構成された岩山だ。このうち、前不動の高さは約80メートル、根回りは約100メートルと言われている。
不動岩では平安時代に山伏たちがこの山中にこもり、不動明王を本尊として祀り修行したことに由来する。当時は多くの山伏たちがこの岩の周りに坊を建て、修行していたと伝えられている。現在も不動岩の付け根には不動神社の拝殿がある。
不動岩のふもとまでは、車道もあって乗用車が5台駐車できる展望所やトイレも整備されており、気軽に立ち寄れる観光スポットとして県内はもとより県外からの観光客も訪れているようである。不動岩の麓には、これまで下見を含めて何度も訪れていたが、他の観光客やハイカーと出会わない日はなかった。
ただ、今回は絶好の登山日和にもかかわらず不動岩の周辺で人影を見ることはなかった。年度末の最後の土曜日というせいかもしれない。
金毘羅神社から登山道を10分程歩くと前不動のふもとにたどり着く。その岩峰の真下に立ってその表面をよくみると、多くは丸みを帯びた大小の礫がたくさん集まってできた岩石であることに気づく。「礫岩」だ。
不動岩の殆どはこの「礫岩」からできていて、この礫岩の地層は、今から約8千500万年前の山地に近い浅い海か若しくは陸域の扇状地のようなところで堆積しできたと考えられている。この不動岩を含む礫岩の地層は、実際にはもっと広く堆積し、その後に強い圧力と長い時間をかけて岩盤になって広範囲にあったはずなのだが、浸食等によって削られてしまい、現在は、金毘羅神社の谷部を中心に東西1.5km×南北1.5kmの範囲と、北西の「首石岩」と南東の蒲生池の一部に分布するのみとなっている。そして不動岩は、その礫岩の地層の中で浸食によって周囲が削られて岩峰として取り残された部分なのだ。
前不動の真下には不動神社があって、拝殿の上には落石に備えた防護柵が設置されているものの、それ以外の所には安全を確保する施設は全くなく、立ち入り禁止区域も設定されていない。つまり、この岩峰は、近代以降は安定的な状態が最近まで続いていて、浸食には途方もない時間を必要とするということなのだ。
岩盤に触れてみる。指先で引っ掻いても表面の黒っぽい苔類にキズがつく程度でびくともしない。ツルハシを使ったとしても、表面が僅かに削りとれるぐらいだろう。それほど硬い岩盤になっているのだ。
駐車場の横から、遊歩道となっている急階段をしばらく登ると、中不動の頂上にでる。足元はもちろん礫岩だが、これまで無数の踏圧を受けているにもかかわらず、えぐれができているどころか、逆に磨きがかかって滑らになっている。眺望は絶景。しかし、滑りやすい足元が、高い所を苦手とする私の恐怖心を増大させてくれる。中不動からは鎖場を経て後不動、そして蒲生山の山頂に達することができるようだが、高所恐怖症の私は後不動の下を回りこんでいる遊歩道を選択して頂上を目指した。
その途中に「へげ岩」がある。これは後不動の岩峰の東端の岩盤が、今まさに剥がれようとしているように見える大岩だ。後不動と「へげ岩」の間にできた幅数十cmの垂直の割れ目が地中深くまで続いている。割れ目の表面をつぶさに観察したが、これといったものは見つからず、深い割れ目が連続しているだけで、どちらかというと向こう側から差し込んでくる光に気を取られてしまう。ただ、こういった深い割れ目が岩峰の成因の一つになるのだろうと思ったのだが、この割れ目ができた理由については皆目見当がつかず、割れ目の向こうから届く光が少し憎らしく思えたのだった。気を取り直すと、その割れ目を離れて「へげ岩」の下に回った。そして、そこで、ついに私は見つけたのだった!
つづく
不動岩
へげ岩の割れ目
《参考文献》
島田一哉、宮川英樹、一瀬めぐみ「不動岩礫岩の帰属について」『熊本地学会誌』120 p.9-18 1999年