【景行天皇の伝説とゆかりの地】
『日本書紀』には景行天皇が九州巡幸のときに発したお言葉や、九州の主な地名の由来となった出来事が書かれてあります。
その代表とも言えるのが「火の国」です。
『日本書紀』の一節を引用すると、
景行天皇18年5月 葦北より出帆されて火国に至られた。ここで、日が暮れてしまい、夜の暗やみで岸に着くことができなかった。遠くに火の光が見えた。天皇は、船頭に詔して、
「まっすぐに火の見えるところに向かえ」
と仰せられた。そこで火をめざして行くと、岸に着くことができた。天皇は、その火の光るところについて、
「何という邑(むら)か」
とお尋ねになった。その国の人が、
「ここは、八代県(やつしろのあがた)の豊村(とよのむら)ですと申し上げた。さらに天皇は、その火について、
「それは誰の火か」
とお尋ねになった。しかし火の持ち主を見つけることができなかった。そこで、人の燃やす火ではないことがわかった。
それゆえ、その国の名づけて火国(ひのくに)というのである。
『日本書紀(上)』井上光貞 監訳 中公文庫 p325〜326 2020年
『日本書紀』には「火の国」の由来のほかに「火の国」での行程も書かれています。天皇は、宮崎県の小林市から人吉・球磨に入り葦北から海路で八代方面を経由して島原にお渡りになります。そして、玉名から菊池を通って阿蘇へ寄ったあとに福岡県の浮羽方面へ向かわれます。
また、『日本書紀』には熊本でのいくつかの討伐のようすが書かれてありますが、全体としては巡幸についての概説か要約のような印象です。
しかし、熊本県内には、まるで『日本書紀』の内容を補足・補強をするかのような景行天皇についての伝説や伝承、ゆかりの土地が数多く存在します。
次回以降は、巡幸の路に沿って『日本書紀』に書かれたものも含め、各地に残る言い伝えなどを紹介したいと思います。