【シンドラ作戦】
山鹿市に通い始めて1ヶ月。決戦の日が迫りつつあった。初めの頃は、ジオドラマの原稿作成のため軽い気持ちで始めた現地調査だった。山鹿を含めた県北地域は、仕事でこれまで数えきれないほど訪れていて、地質についてはある程度のことを知っていた。しかし、「首引き」伝説については、おぼろげな記憶しかなく、人からの話しを聞いて思い出す程度のものだった。なので、物語に出てくる山々や地域について書くためには、自分の地肉となる本当の知識を得るためにはどうしても身体を使う必要があった。そして、前知識としての予習も重要だった。
不動岩を登る前に明らかになったことは、彦岳、震岳も、古来より、厚い信仰を集めていた極めて由緒正しい霊山であることだった。だから「首引き」伝説は、今風に言えばこの三つの山をディスった物語ということになりはしないか。何故なら、彦岳と震岳を実際に登って崇高な気分に浸った私は「首引き」伝説を甚だ不謹慎な物語に感じてしまったからだ。と同時に、この物語は何かの風刺ではないのかと直感したのだった。もし、そうだとすれば、この物語が生まれた当時、この俗世的かつ凄惨な「首引き」は、庶民の間でバズりまくったに違いない。
後の調べで明らかになることだが、『山鹿市史』では約1ページを割いて、彦岳権現と震岳について『肥後国誌(昭和41年)』からの記載を引いて伝説の背景を考察している。それによると明応年間(1492年〜1501年)は高天山神主の吉田親政氏が震岳と彦岳の神主を兼帯する期間がある。また、震岳には三十六坊があって山伏が居た天正7年(1579年)に、この山伏を保護していた芋生氏が赤星氏の一族に破れて山伏が断絶するという波乱が起こっている。このような霊山を巡る対抗関係が伝説の背景にあると考察しているのだ。つまり、現代風に言えば、彦岳、震岳、不動岩の霊場としての利権争い、綱引きが、伝説の背景ではないかといことだ。伝説や昔話は、史実がもとになっていることが多いと言われている。だとすれば、「首引き」伝説は、史実と自然事象を掛け合わせた想像性豊かなユーモア溢れる傑出した作品として評価すべきなのかもしれない。
これ以外に、この1ヶ月間、ふつふつと湧き出してきた疑問があった。
それは旧村名ともなっている「三玉」だ。これは「首引き」伝説の出発点にもなっている。簡単におさらいすると、「首引き」伝説はこの「三玉」を巡る争いの物語だ。当初、伝説中の「三玉」とは、先に示した三つの山を暗示しているのではないのかと思ったが、それは余りにも乱暴な考え方だと思い撤回した。
三玉地区周辺には、この「首引き」伝説だけでなく様々な昔話や言い伝えがある。これまでお伝えしてきたように、これらの物語には全て現存している物象をモチーフとしている特徴がある。であるならば、「三玉」があってもおかしくはない。むしろ、あると考えるほうが自然なように思えるのだ。
「首引き」伝説の中で母神のモチーフとなっているのは、その昔、彦岳の山頂に祀られていたという姫竜神。そして、古来より竜神に描かれている口と両手に持った合計三つの玉がその「三玉」だと伝えている。つまり、「三玉」のモチーフを探すということは、竜神が所有する玉を探すということでもある。
下らないとは思いつつ、私は、自身の疑問解消に向けて自分自身を奮い立たせるため、そして、今後の調査をさらに楽しむために作戦名を必要としていた。
作戦名は「シン・ドラゴンボール」。略して「シンドラ」。この間抜け感、脱力感がたまらない。
《参考文献》
山鹿市史編纂室 「第三章 古代・中世」『山鹿市史 上巻』 山鹿市 昭和60年3月 p.489-490
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