1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

『景行天皇伝説を巡る冒険』14.山鹿・菊池地域の地質事象と伝説

2022-12-03 13:40:00 | 景行天皇の記録
【山鹿・菊池地域の地質事象と伝説】
私は地質や地盤調査を生業としている技術者です。ですので、物事を自分の専門性からいろいろ考えるクセがあります。次は、菊池川流域が古代から中世にかけて肥後国の中心になった理由を地質技術者の目線で考えてみようと思います。

山鹿・菊池地方の菊池川流域が古代の肥後国の中心地となった背景に、茂賀の浦の湖水が引いた後に現れた、水稲に適した肥沃な土地の存在は欠かせません。茂賀の浦の湖水は縄文時代から弥生時代にかけて次第に引いていったことが分かっていますが、具体的にどのような過程を経て引いたのかについては地質学的な課題として残っています。しかし、一説には菊池平野南縁で崖を形成している断層活動(地震)によって発生した鍋田付近からの決壊が原因ではないかと考えられています。これは、先の伝説でも紹介したように、景行天皇を出迎えた阿蘇大明神が鍋田の石壁を蹴破った話しを思い起こさせます。



盆地の南縁が活断層かもしれないと考えられています。
中原 英『太古の湖「茂賀の浦」と「狗奴国」菊池』p.35
筆者も活断層ではないかと疑っています。


類似した話は阿蘇神話伝説として名高い健磐龍命(たけいわたつのみこと)(阿蘇大明神)の蹴破り伝説が有名です。日向の国から肥後に入った健磐龍命(たけいわたつのみこと)(阿蘇大明神)は湖水を湛えた阿蘇谷をご覧になり、この水を流して広い土地を拓くことによって米が取れる豊かな国を作ろうとお考えになります。命(みこと)は地形をよく観察なされカルデラの西側に位置する立野の火口瀬をひと蹴り。湖水は西方へゴウゴウとすざましい音をたてて流れていったという伝説です。

立野付近には2016年4月の熊本地震を引き起こした「布田川断層帯」が通っています。布田川断層は宇土半島から益城町を通って南阿蘇村へ連なる活断層ですが、今回の熊本地震の発生によって阿蘇カルデラ内にまで伸びていることが分かりました。阿蘇カルデラに過去に湖が存在していたことが分かっていますが、湖水の流れ出しの原因は断層の活動であることが有力視されています。

「布田川断層帯」Wikipediaより

茂賀の浦から水が引いた原因を考えるための引き合いに、阿蘇の蹴破り伝説と地質事象である「断層」の関わりを挙げましたが、菊池川流域が肥後国の中心となった他の地質学的な背景について、さらに踏み込んで考えてみようと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『景行天皇伝説を巡る冒険』1... | トップ | 『景行天皇伝説を巡る冒険』1... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

景行天皇の記録」カテゴリの最新記事