1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

『三玉山霊仙寺を巡る冒険』〜5.震岳での戦いとピザ窯〜

2021-12-19 17:21:00 | 三玉山霊仙寺の記録
『三玉山霊仙寺を巡る冒険』

〜5.震岳での戦いとピザ窯〜

残念ながら、震岳の山頂から眺望を得ることはできなかった。しかし、震岳は霊山であり、地元の人達は昭和の頃までは初詣をしていたとのこと。初日の出や素晴らしい眺望を前にして新年の始まりを祝っていたのだ。震岳は、菊池盆地を囲む北縁の山として最も標高が高く、地元の誇りでもあったはずだ。

景行天皇が九州討伐に際して、ここに行宮を営んだのは当然だろう。何故なら、眼下の山鹿市の市街となっている方保田地区をはじめとする台地上には、その昔から集落が形成されており、震岳はこれらを一望できる要衝になったからだ。邪馬台国の所在については諸説あるのだが、この菊池平野は、近年、景行天皇の先代が築いた邪馬台国と対峙した狗奴国であったのではないかと指摘されている。もし、そうであったとすれば、そのことを先代からの伝えとして知っていた景行天皇は、この景色を感慨深く眺めたのかもしれない。

景行天皇は数年に及ぶ九州討伐の終盤に、現在の玉名方面から菊池川を遡ってこの地にやって来たことが伝えられている。このとき、「茂賀の浦」の濃い霧にはばまれた天皇の軍勢を村人が松明を掲げて好意的に出迎えたことが「山鹿灯籠」の起源の一つとされている。

景行天皇は、震岳の頂上から「茂賀の浦」の水面の輝きと、遠望される九州山地を見つめて、これまでの討伐の日々を振り返ると同時に、最後の聖地奪還の行軍に向けて決意を固めたに違いない。ただ、終盤の戦いも順風満帆とは言えず、宇土の木原山(雁回山)からは津頬の逆襲によって退却を余儀なくされ、高天山に籠城しなければならなかった。伝えによれば、天皇の祈りによって彦岳から届いた霊光が勝利の謂れとなっている。しかし、震岳の地形に着目すると、南北に伸びる稜線を挟んだ斜面は、標高が増すほど傾斜がきつくなり、自然が作り出した「武者返し」になっている。また、山頂付近には、硬質であるものの適度に亀裂があってハンドリングしやすい「変はんれい岩」が豊富にあり、それらは現在の弾薬・ミサイルに替わる「投石」や「石落とし」に転用できる軍事物資になったはずだ。景行天皇は行宮を造営した当初から、戦局を決するための作戦は「籠城」と考えており、あえて敵を震岳におびきだして大勝を収めたのではないだろうか。

景行天皇の九州討伐は、一般には九州巡幸と呼ばれていて、各地に様々な戦いの伝説や地名の説話が残っている。近年、この行軍は、大陸からの侵略に備えた大和政権の九州支配強化の一環と考えられているが、戦いの伝説は軍事記録的な意味合いのほか、戦術秘匿の役割も担っていたのではないかと考えるのは穿ちすぎだろうか。

一方で、各地に残る戦いの伝説からは、景行天皇には類い稀な戦闘センスが備わっていたことが窺われる。しかし、さすがの景行天皇も、震岳で勝利を呼んだ「変はんれい岩」が、なぜ山頂にだけ存在するのか理解に苦しんだのではなかろうか。そして、山頂にある岩石と同じ「変はんれい岩」で出来ている隣に鎮座した彦岳に対して霊的な力を感じ、厚い神恩を抱いて彦岳に神宮を造立したのではないどろうか。いささか想像が膨らみ過ぎたが、地質屋の視点で震岳の伝説を紐解くと、このような物語が見えてくるのだ。

さて、出発地のNさん宅に戻ったのは、予定よりだいぶ遅れた正午の遅い時間だった。Nさんは既に昼食を済ませ、午後の作業に取りかかっていた。畑に行って自分の戻りを告げると一つ歳上のNさんは、私の帰りを待ってくれていたようで、革手袋を外しながら労いの言葉をかけてくれた。そして、私は山で拾ってきた岩石を示しながら、見てきたことや感じてきたことを興奮気味に話した。

一息着いたところで、Nさんがピザを焼いてくれると言う。庭先にはピザ窯があった。それは週末に実家へ通いながら3ヶ月を要した自慢の傑作で、窯の黒い鉄扉は温度計まで設えた特注品だった。しかし、窯そのものは自然石のようなランダムな形の岩石で組まれていたのが不思議だった。

一般には、DIYで作る窯には既製の耐火レンガなどが使われる。しかしNさんから話を聞くと、この岩石は、代々引き継いできた先祖の土地からでてきたものとのこと。先代はこの「ろう石」を生活の糧の一つとして商売にしていたというのだ。私は驚いて、ピザ窯の材料として余っていた「ろう石」を手に取り観察した。岩石の破断面の新鮮なところは青灰色を基調としながら全体には油脂状の光沢が特徴的で、手触りは極めて滑らかだった。手元にあった車の鍵で岩石の表面を引っ掻くと表面には簡単に傷ができた。私はこの「ろう石」に含まれる鉱物を「滑石」と同定したのだった。

つづく

参考文献
三玉校区地域づくり協議会 『三玉「お宝」ガイドブック』 平成24年3月
川村哲夫『九州を制覇した大王ー景行天皇巡幸記』海鳥社 2006年
安本美典「邪馬台国学」『遺跡からのメッセージ古代上編 熊本歴史叢書1』熊日出版 平成15年

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