1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

「せん妄」or「幻覚」、「死ねッ!」からの「逃避」

2022-04-24 13:45:51 | ゴーストライター
私がベッドごと一般病室に運び込まれたとき、4人部屋は満室となったようだった。
窓側の隅の一角には見覚えのあるARPHAの黒のリュックと紙袋があった。中には着替えや入院道具が入っていた。着替えや衛生用品の全てに苗字が記入されていて、妻が準備してくれたことがしのばれた。

朦朧とした意識の中でそれらをなんとか整理する。コロナ禍なので本当の重篤患者でないかぎり自分でやらなければならないので。しかし、時おり、むせ返るような大きな咳が出てしまい、作業の手を止めてマスクの上から口元を押さえなければならなかった。
気管挿管の影響と思われ、喉には炎症があったのだろう。咳とともに痰もでてくる。しかも痛みもある。苦しい。

先に入院していた3名の方はかなりの年配者だった。つまり大先輩だ。
バイタルの測定に来た女性の看護師さんに、こういう場合はアイサツをした方がいいのか相談したが、それは看護師さんに仲介役になって私を紹介してもらいたかったからだ。しかし、意に介されなかったため、カーテン越しから精いっぱいの声で(挿管の影響で殆ど声が出せず、出せたとしても細いカスレ声)一応アイサツをしたつもりだった。果たして、その声は届いていたのだろうか。

午後10時、管内の放送とともに消灯となった。
暗くなった病室のベッドで昼間の出来事を思い出していた。ときどき、ゴボっ、ゴボっと咳き込んでしまう。その咳き込む寸前にタオルで口元を押さえるが、静かになった病室では全く無意味だった。病室を出たい衝動にかられるが、行動制限がありそれもできない。

ところが、そういった常識的な意識とは裏腹に、脳内には奇妙なことが起こり始めていた。

目を開けているとそこは確かに病室なのだが、目を閉じると瞼には鮮明な世界が広がるのだった。美術の世界だった。

耽美な風景画や人物画、グラフィック、風景写真、ポートレート、浮世絵、水墨画、和洋を問わない建築物、仏像、彫刻、ありとあらゆる美術が自分の視界を縦横無尽に流れていくような感じなのだ。もっと分かりやすくいうと、映画「インターステラ―」で主人公のクーパーを演じるマシュー・マコノヒーが物語の終盤で、娘のマフィーに重力の謎を伝えるため空間と時間を自由に行き出来る「テサラクト」という世界が描かれるのだが、その世界と激似なのだ。物語の中で行き来できる世界は娘のマーフィーの部屋に限定されているのだが、私の場合は、美術の世界を縦横無尽に飛んで移動しながら様々な作品に触れることができたのだ。
しかし、瞼をあけると元の暗い病室なのだ。目を閉じるとすぐさま美術のテサラクト世界が広がる。
自分はその二つの世界を行き来しながら、美術のテサラクト世界は、「せん妄」の一種ではないのかと思い始めていた。(後にわかることになるのだが、これは「せん妄」ではなく、治療のために必要だった強い鎮静剤からの離脱に伴う一種の幻覚であった可能性が高い。)

そして、リアルな暗い病室に意識が戻ったとき、左胸に痛みを感じ始めたのだった。
この痛みはなんだ?、発作なのか、いやわからない、しかし、苦しさはそれ程でもないが、間違いなく痛みである。

ナースコールのボタンを押すかどうか逡巡した。看護師さんや主治医の先生には、とにかく、なにか異変があれば直ぐにナースコールして欲しいと言われていた。だが、この痛みでいいのか、そもそも痛みとはなんなのか?さっきまで自分は別世界を行き来していてこの痛みも「せん妄」の一部ではないのか、、、、

枕元にあったナースコールのボタンを押した。

女性の担当の看護師さんが駆け付けた。
「どうしました」
「胸のここらへんが、痛むような、、、」
「どんな痛みですか」
「どんな、、、?」
「締め付けらえるようかんじですか?」
「そうではないような気がします、、」

この自身のクソSNSやブログでも以前記載していることかもしれないが、その昔、私はマイコプラズマ肺炎を患い、長期間の咳き込みによって肋骨にひびが入った経験がある(軽い骨折)。

意識が戻って以来、今までに経験したことが無いような胸の奥深くから発する大咳を何度も繰り返していた。

「ひょっとすると、咳のせいで痛みを感じているのかもしれません、、ゲボっ、ゴボっ、、、」
声になるかならないぐらいのカスレ声で答えたような気がする。

しばらくして、主治医の先生も駆けつけてくれた。

病室は自分の一件で物々しい状態になっていた。
周囲の患者さんにとっては迷惑千万なことは承知していたが、助かった命を自分の判断でみすみす台無しにするワケにはいかなかった。

鎮静剤若しくは痛み止めを処方されたのではないかと思う。

丸いメガネをかけた若い女性看護師さんが処置をしているときだった。

「死ねっ!」

通路を挟んだ向こう側のベッドから聞こえてきた声だった。

看護師さんと目があった。お互いに、その声が聞こえたことを目や表情で確認しあったように思う。

全ての処置が終わり病室に静けさが戻ったが、私の心は搔き乱されていた。
考えてみれば、この病院自体が県の重要基幹病院であり、この病棟や病室には重篤な患者が入院しているのだ。しかも、対象は循環器、つまり心臓だ。入院している個々人は、いやが上にも自身の命を考えざるを得ない。そんな状況において、睡眠の邪魔をして健康を阻害する者は、彼らにとっては「敵」でしかない。ある意味、この病室は個々人が命を懸けた戦場だったのだ。私はこの大部屋においては若輩者であり、大先輩から見れば未来もある。疎まれる資格は十分だった。それはわかっていた。だから、大部屋に入室した当初からちゃんとした人間関係を作ることが、予後を考える上での最重要課題と考えていたのだ。しかし、この考えは水泡に帰した。

通路を挟んだ向こう側のカーテンがシャーッと引かれた。その音に怒気が混じっていたのは明らかだった。続いてスリッパを引きずる独特の足音が聞こえ、その音は廊下入口近くのトイレに消えた。
水洗のフラッシュ音が終わるとドアが開き、独特の足音がこちらへ近づいてくる。
私の心臓が高鳴り始めた。私は薄目を開けて様子を窺った。スリッパの音が最も近づいたと思われたとき、カーテン越しに黒い影が映りその隙間から頭部のシルエットがくっきりと見えたのだった。全身、総毛だった。そのシルエットは5秒ほど止まっていたように感じる。
もし、その影がこちら側に侵入でもしていたら、おそらく大きな事件に発展していたと思う。殺気を感じていた私は、ボロボロの身体ではあったが向かい側の男性がベッドから起き上がったときから既に防御・戦闘モードだったのだ。黒い影はどうにか向こう側へと消えていった。しかし、胸の鼓動は静けさを割らんばかりの音をあげて己の身体を揺さぶっているようだった。

そして、つまらないことを思い出していた。子供のころ、酒乱の父に寝ているところを叩き起こされて暴力を受けたことが何度かあった。何故かわかないが、そのとき、思い出したくもないクソ記憶がよみがえり、体が突然震えはじめた。

カーテンの向こうから今度は奇妙な音が聞こえてきた。ジョリッ、ジョリッ、ジョリッ、、、
刃物で何かを削っているような音だ、、、これは幻聴なのか、、?、、

私は、ついに恐怖の嵐に放り込まれたのだった。
隣人のから危害を加えられるかもしれない恐怖。
大きな鼓動音、このまま心臓が止まってしまうのでは無いかという恐怖。
クソ記憶による恐怖。

この恐怖からなんとしてでも逃れなければならない。
逃れるにはこの部屋から別の部屋、できれば個室に移るしかない。
しかも一刻も早く。でも、どうやって?。

朝を待って事情を説明して種々の手続きを済ませていたら翌日になる可能性もある。
私の切実な思いも、鎮静剤からの離脱症状による幻聴、幻覚であると一笑に付されてしまう最悪の可能性もある。
どうする、どうする、どうする、、、この病院に知人、友人はいたであろうか、、、ある人物の顔が思い出されたが、確かな名前は思い出せない、、、。一睡もできず空が白み始めたころ、悪友である高校時代に応援団長だったK久にLINEを入れた(画像のとおり)。



そして、午前の早い時間にはこちらから正式に申し込みを行う前に、個室への移動の話しがが通っていた。1階の外来で心臓のエコー検査を受けたあと、病室まで車椅子を押してくれたのは病棟の看護師長さんだった。

悪友K久、それから後輩で事務副部長のM﨑君、本当に助かった、ありがとう。

しかし、その夜経験した恐怖は自身のトラウマ?となり、個室に移っても悩まされることになった。

つづく
#心室細動
#心筋梗塞
#心臓発作
#突然死
#生還
#心肺蘇生措置
#着用型AED
#せん妄
#幻覚
#離脱症状
#離脱作用

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 再会 | トップ | 【「恐怖」「幻覚」との闘い... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ゴーストライター」カテゴリの最新記事