濃飛樹脂軌道

おもちゃ修理、鉄道玩具「プラレール」、独立型ソーラー発電、電気自動車など、理系技術系の話題がメインです。

頑固一徹←稲葉一鉄(戦国武将)

2019-01-28 18:23:28 | 社会・雑談
gooのお題が過去の偉人の逸話…そこでゲーム「信長の野望・戦国群雄伝」で散々お世話になった美濃国(岐阜県)出身の戦国武将「稲葉一鉄」の話を。
美濃国でゲームを始めると大名「斎藤義龍」が早々に寿命で亡くなる為、鉄砲隊で政治力・攻撃力ともに高い稲葉一鉄を後継指名していましたww
信長で美濃攻めしたときも大抵稲葉一鉄を召抱え、教育して軍師に仕立てます…政治アップで軍師判断の成功率も高めに!(80%前後)

頑なに自分の意志を通すという意味で「頑固一徹」という言葉がよく使われていますが、元を辿れば安土桃山時代(通称:戦国時代)の美濃国に住む武将「稲葉一鉄」の名前が挙がります。
美濃三人衆と呼ばれる群雄(安藤守成・稲葉一鉄・氏家卜全)の中で最も長生き、主君選びにも長けていて織田信長や羽柴秀吉に仕えるなどして戦国時代には珍しく最後は畳の上で老衰で亡くなりました。

彼の生き方で最も頑固一徹ぶりを示したエピソードが、姉川の合戦後に織田信長から褒章を受ける話があった時の辞退した様子。
一鉄は当初徳川家康の援軍だったのが、途中で戦況が変わり徳川援軍の必要がなくなり、一方織田×浅井で小田郡が苦戦していたところへ援軍して戦功を挙げたのですが…褒賞を受ける際「これは我輩のこうでなく徳川殿の功績、よって褒章は我輩でなく徳川殿へ」と具申したのが最たる例です。

言うまでもなく織田信長は独断専行型のカリスマ大名、彼に恐れをなして自分の意見をなかなか具申できない武将が多かった中、一鉄だけはちゃんと筋目を通してどんな相手も恐れず誠心誠意ありのままを伝える生き方をしていたのです!
…愚直というか頑固というか、でも中に一本筋が通るから存在が光っています。

外交にしても政略にしても、敵の若い間者に精一杯のもてなしをして味方にしたり、敵への使者として赴いたときも質素な身なりで横柄な振る舞いをしなかったため相手が共感して降伏したとか、いろんな逸話があります。
…それだけ彼の生き方は人間味があったってことでしょう。

さらに子孫も有名。なんと!孫娘は有名な春日局です
彼女を育てたのは老後の稲葉一鉄、彼の哲学が彼女の幼心に受け継がれたと思われます。

自分も頑固ですけど、そんな人間になりたいなぁと憧れます。シンプルイズベスト、実直で勇猛果敢…それが頑固一徹の正体なら自分もそうなってみせます(笑)。