
昨日は、11月の第4木曜日。毎月、さいたま市内の特別養護老人ホームに傾聴訪問している日。
8月の第4木曜日、22日に、傾聴訪問のため歩いて向かう途中で、横浜の病院から、兄が救急搬送され、
危険な状態なので、すぐ来てほしい、との電話があり、傾聴訪問を止め、3時間ほど掛かったが、夕方に、
病院に着き、兄が11月13日に亡くなるまでの苦闘が始まった。
昨日は、4か月ぶりの、傾聴訪問だった。
1年振り近く、お顔を見せなかった傾聴訪問の大先輩が、久しぶりに、いらっしゃった。
私が40時間の養成講座を終えた後に、傾聴訪問先のアドバイスを頂き、傾聴活動の基本に徹した後ろ姿に、
研修では得られない学習をさせて頂いた方で、会議やスキルアップ研修など、必ず参加され、控えめに話さ
れる体験談には、ものすごく説得力があり、みんなから尊敬されていた方なのです。
今年の1月、ご長男を亡くされ、失意の毎日に「傾聴どころではない」という状況かなあ、と思い、時間が
解決してくれるまで、静かに待っていようと、心配する仲間と決めていました。
傾聴活動後、久しぶりにお会いしたので、お茶をご一緒した。
伺ったお話に、ただただ驚き、言葉を失った。
ただならぬ、ご子息の死に向き合い苦悶されて、「死ぬこと」だけを考えていたというのです。
更に、死ぬことを考えている自分まで嫌になって、苦悶が泥沼のようになってしまっていたみたいです。
職場では、明るくムードメーカーで人望があり、仕事をバリバリこなし、将来を嘱望されていたご子息が、
突然、自ら命を絶ったのです。
1月4日に、マンションの一室で、命を絶っていた、というのです。
連絡が取れない、悪い予感に怯えつつマンションの部屋に入ることができたのが、死後約1週間後。
「何で?」・・・。親より先に逝く親不が、「許せない」と、「死に時」を考える日々になってしまった
ようです。母としての、我が子に対する、重い思いがあったようです。(続きは、明日に)
ブログアップ失礼かと思いましたが、あまりの衝撃に、また、4年前の、私の長男の突然死もダブりました。
同じ悩みを抱えていらっしゃる方の「光」になるのではと、勝手に思いました。お許しください。
ウォーキング中に出会った花。紅葉が始まりました。



11月29日、「今日は何の日カレンダー」より
初議会開設記念日、いい服の日、肉の日(毎月)、三りんぼう
▲新島襄、同志社英学校を創立(1875)▲東京電灯会社が市内配電を開始(1887)▲第1回帝国議会開催(1890)
▲南極探検隊出発(1910)▲日本で「第九」演奏(1924)▲日本ラグビー協会が設立(1926)
▲日本初アメリカン・フットボール試合を神宮で開催(1934)▲熊本・大洋デパート火災。死者104人(1973)
▲第一回世界女子柔道選手権開催(1980)▲川崎市で金属バットによる両親殺害事件(1980)▲同時多発ゲリラで、
通信ケーブルが切断され、国鉄がマヒ(1985)▲金賢姫らによる大韓航空機爆破(1987) ▲国連安保理が対イラク
武力行使容認決議、湾岸戦争へ(1990)▲イラクで日本人外交官2人射殺される(2003)▲富山・立山で雪崩
東工大生3人巻き込まれ1人死亡(2016)▲横綱日馬富士巡業中に起こした暴力事件の責任を取り引退(2017)