
炊飯器には、明日のためのごはんが仕立てられていたし、冷蔵庫には、食材が用意されていたと伺い、
ご子息は、死ぬことを考えていなかった筈。
大きなイベントを成功裏に終わらせたあと、ウツ症状が出たらしく、会社に「しばらく休養」するために、長欠
願いを出しており、数日前には、母のところで泊り、長欠のことも話していたようです。
検死では、強迫性うつ病(聞きそびれたので正確の名前ではないかも)による、発作的な自殺とのこと。
母としては、泊まった時に、「何故、私の胸に飛び込んで、『助けて』と言ってくれなかったのか、何故私が
気付いて上げられなかったのか、わが身に代えても、母として、出来ることを何でもしてあげたのに、・・・」
と、悔やむと同時に、「母の、出来たかも知れない役目を、させないまま命を絶った息子を許せない」と怒る。
母の、「悔いと怒りの堂々巡りの、血を吐くような苦しみ」が、死ぬことでしか、解決出来ないと、思い詰める
ことに追い込んでいったのではないか、と感じました。
亡くなられたご長男のお姉さまである、お嬢さんが、故人のPSなどから、会社でも、母に対しても、明るく、
心配させないように振る舞っていたが、病状が進んでいたらしいことも伺われると、母に知らせ、
「お母さんに心配させたくなかったという気持ちを解って上げて。病気が発作的に命を絶たせたのだから、
怒ったら可哀そうよ。お母さんが死んだら、悲しむわよ」
と、母の「死にたい願望」を食い止めるために、一生懸命だったと思います。
お嬢様の一生懸命と時の流れで、私が無事にお会いできる運びになった。感謝です。
かと言って、「悔いと怒りの堂々巡りの、血を吐くような苦しみ」が、解消した訳ではなく、時・所構わずに
出てくると思います。4年前に突然死した息子に対する私の悔いが、いまだに、時・所構わずに出て来ます。
時の流れでも流しきれない「母の重い思い」は、ご長男への供養であり、命を全うして、三途の川を渡る時に
重い苦しみからから解き放たれるのではないかなあと、自分にも都合良いように、勝手に思っています。
ご長男さまのご冥福をお祈り申し上げます。そして、4年前に、逝った息子にも、合掌。
供花。




11月30日、「今日は何の日カレンダー」より
カメラの日、みその日(全国味噌工業協同組合連合会1982 毎月)、そばの日(日本麺業団体連 毎月末日)
▲初めての対等条約、メキシコとの修好通商条約を締結(1888)▲北里柴三郎、福沢諭吉の援助を得て芝公園内に
木造2階建ての「大日本私立衛生会伝染病研究所」設立(1892)▲日本ラグビー協会設立(1926)
▲東京都首都圏衛生局、初めてのスモッグ警報(1965)▲金田正一引退(1969)▲32年ぶりにアメリカ軍立川基地を
返還(1977)▲世界初自動焦点カメラ「コニカC35AF」発売(1977)▲日本学術会議で初の女性会員誕生(1980)
▲史上最も遅い台風28号が紀伊半島に上陸(1990)▲オランダで世界初安楽死法成立(1993) ▲米・銃規制法
(ブレディ法)発効(1993)▲衛星アナログハイビジョンTⅤ放送終了(2007)▲新元素ニホニウムなど正式
名称決まる(2016)▲相鉄線がJRと相互乗り入れで、都心へ直通(2019)