平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い1975 感動の警察官 

2020-09-08 10:04:21 | 日記

今朝、NHKラジオで聴いた、警察官の感動のお話し。
佐賀県・唐津市の増田神社に祀られている、増田敬太郎巡査(当時27歳)が、125年前流行した
コレラ感染防止のために、身命を掛け、活動し、殉死し、全国唯一の警察神となったお話し

1895年日清戦争が終わり、兵士が帰還すると、全国的にコレラが流行。
この年のコレラ患者数は、全国で55,144人、死者は40,154人。
佐賀県・唐津市(当時は入野村)高串でもコレラ発生、真性40人、疑似34人、死者9人と猛威を振るった

警察本部は、病気がちだった前任巡査の後任として、巡査教習所を優秀な成績で卒業し、衛生知識があった
増田敬太郎に、防疫の大役を果たして欲しい、と、任命、派遣。
「コレラを防ぐには、一刻も早く、患者と健康な人との接触を絶つ」対策を講じ、
「生水を飲まない」「生で魚介類を食べない」など厳しく指導。
感染を恐れて、コレラで亡くなった遺体が放置されていたのを見かねて、増田巡査が、消毒し、筵を巻いて
背負い、急な坂道を何度も登って、埋葬したのだ

増田巡査は、不眠不休で働き、疲労はひどく、巡査拝命後3日後に、ご自身もコレラに感染。
「とても、恢復する見込みは無いことは覚悟しています。高串のコレラは私が背負って行きますからご安心
ください。十分お世話せねばならぬ私が、大変ご厄介になりました」と言い残し、翌日死去。
増田巡査の言葉通り、猛威を振るっていたコレラは終息し、再び発症する村人はいなかった

今では、全国唯一の警察神として、尊ばれ、出生地の熊本にも顕彰碑が建てられている。
新型ウィルスで、世界がキリキリ舞いしているこの時に、感動の実話に震えました。
新型ウィルスの最前線でご努力されている、お医者さんや看護士さん、保健所の皆さまに、増田巡査の
ご加護がありますように

ウォーキング中に出会った花。

9月8日「今日は何の日カレンダー」より
サンフランシスコ平和条約調印記念日、国際識字デー(ユネスコ)、米の日(毎月)
▲元号を明治に。これまでは天皇の即位の他、瑞祥や災異があったとき、また辛酉や甲子の年などにも改元。
年号の軽薄感をなくすため岩倉具視が一世一元を発意し、天皇が許可(1868)
▲君が代、初演奏。このときの君が代はフェントンの作曲(1870)▲漱石、イギリスへ留学(1900)
▲アメリカ軍のジープによる東京進駐開始(1945)▲吉田茂全権大使がサンフランシスコ対日講和条約と日米安全
保障条約に調印(1951)▲東京五輪の聖火リレーはじまる(1964)▲神奈川県大和市で米軍機2機墜落(1964)
▲気象衛星ひまわりが初画像送信(1977)▲長寿番付、発表。長寿日本一は故・泉重千代さん当時106歳(1981)
▲土井たか子社会党委員長に。初の女性党首(1986)▲巨人2リーグ制後史上最短優勝(1990)▲大相撲力士
大麻吸引事件で、北の湖理事長辞任(2008)▲全米オープンテニスで、大阪なおみが決勝へ(2018)