城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

日本初 城郭ビイスタ論  受講者参加者型城郭ビイスタ図作成 米原学びあいステーシヨン!

2022-03-09 06:52:09 | 講演予定
 
◆一般者
巨大な彗星の如き輝きを放つ城郭研究家が
突然日本の令和に突然出現して驚いてます!
日本文化における。
 
①見晴
②見栄
③見当をつけて並べるレイアウトする発想。
④眺望
⑤映える
⑥栄える
 
 
◆対談者
戦前戦後をとおして日本最高峰も言える
長谷川先生の城郭ビイスタ理論動画は研究
家を中心に強烈な衝撃を与えております。
 
◆長谷川
過剰過分の賞賛を賜わりまして感謝致します。
しかし城郭見学、城郭研究とは少数が集まり
城自体を本当の城の先生や師匠として謙虚に
地味に見学研鑽をつみ重ねる慎ましやかなる
事が城郭遺跡見学城郭研究の根本と思います。
①謙虚に反省③目立たない④地味⑤否定せず。
否定しない柔軟発想こそ研究発展の基礎です。
 
 
日本初 城郭ビイスタ論  
受講者参加者型 城郭ビイスタ図作成講座
米原学びあいステーシヨン!
令和3年11月25日木曜講座の報告レポート
 
城郭ビイスタ論 上文字クリック
 
 
◆対談者
長谷川先生!城郭ビイスタ論動画視聴者が
1900人超えた驚くべき城郭新理論ですよ!
 
◆米原市民様
令和4年1月15日の長浜臨湖では長谷川先生
の城郭講演は好評だったと伝え聞いてます。
さて私達、米原、彦根、岐阜、長浜南部の
人々は長谷川博美先生の米原講演に期待を
しています。
 
◆木曜様 木曜定休様
仕事の都合で長谷川先生の城郭講演を一度
も参加した事がありません。同じ内容の講
演内容の繰返しでは無いと聞いていますが?
 
◆一般者
やはり城郭ビイスタ論が戦前戦後を通して
城郭研究論の革新的研究視点だと思います。
先生には多数の聴講客様の前で開催すべき
時節が到来したら是非とも城郭ビイスタ論
を是非とも受講したいと思っておりますが!
 
◆体験者米原市民様
米原の城郭講座3回受講致しました。
1回目 現代も使われる戦国語彙集
2回目 城郭から出土する石臼特集
3回目 衝撃城郭ビイスタ論でした。
毎回内容が万華鏡の様に変化する!
 
4回目 の講座に私は期待してます。
米原まなびあいステーシヨンの講座予定
予約先☎ 0749-52-2240
令和4年1月27日木曜 午前10時~11時
▲終了しました。
◆長谷川博美
今後の米原まなびあいステーシヨンの講座予定
予約先☎ 0749-52-2240
  4年3月24木曜 午前10時~11時
 
◆講座参加者A様
驚きました!いきなり安土城の図面に参加
者全員で城郭ビイスタ線を鉛筆で線引きを
する衝撃の歴史城郭講座に場内が騒然です。
 
◆対談者
なにしろ城郭ビイスタ図の画面を映像だ
けで見ているだけ、資料だけで見ていて
も、座学の講座としては身につかない!
私は安土城なんか若い頃から何百回も
現地説明会に参加してますが、まさか、
まさか、このように、城郭が設計測量
されていますと、聞いた事も見た事も
無かった訳です。これは画期的新説!
 
 
わたし伝前田利家邸
なんか何回も何回も言ってる訳でして
そんなもの、私は城郭通、城郭の図書
を100冊も読んでいてるから前田利家
邸なんて説明不用!と先生に言いまし
たら「あなたは城を見ていない」また
「あなたは城を考えていない」と言わ
れ利家邸が全く別の遺跡の様に感じら
れたんです!その瞬間に「私は素人」
「初心者だったんだ」何にも知らずに
城に行き、城の本を読んでいたと痛感
致しました今まで50年半世紀城の事に
関して人後におちないと自負していた
自負臣、絶対的確信がボロボロと崩壊
するような「私は何も知らなかった」
「城を知ってるふりしている人」だけ
だった事に気付いた「城に行き」「城
を考え50年」私は今初めて、スタート
ラインに気付いた城を学ぶ深い哲学に
開眼した。気付くべき事に気付いては
いなかったんです!長谷川先生は米原
まなびあいステーシン「旧米原公民館」
に講師として営業をかけて講師をされ
た訳でなく米原市内の有識者様の推薦
を受けて登場された方なんで私は先生
を全く知らなかった。長谷川先生自身
を推薦した人の眼力や洞察力に驚く!
 
 
◆講座参加者様B様
最初鉛筆でビイスタ線を引く事に非常に緊張
しましたが緊張は直ぐ「斬新さ」「目新しさ」
そして興味深さ「楽しさ」へと直ぐ変化した。
 
◆講座参加者様C様
城の見方観察の仕方が一度に変わりました!
まさに衝撃的!な城郭ビイスタ論でしたね!
 
◆講座参加者様D様
聞いていた長谷川先生の印象とは全く違う
素朴な性格や感性を持つスレていな学者様!
 
 
◆講座参加者様E様
日本で一番最初に実際にビイスタ線を書き
込む歴史城郭講座に参加出来て光栄ですわ!
真の城郭の先生と万人が気付かない重要事項
「城郭ビイスタ」に気付く先生こそ偉大な人。
 
◆講座参加者様F様
こんな素晴らしい先生が米原/滋賀に居られ
た事に非常に驚き嬉しいです。講座の様子
を録画しておられる方も見受けられて驚き!
 
◆講座参加者G様
講座1回2回3回と受講しました全く別の先生
が来られたのかと思うほど毎回多彩な内容!
城郭のビイスタって武田勝頼の新府城にも
存在する事は、図面に線を入れる事で以前
から知っていましたよ!長谷川先生の指導
は根拠なき仮想空論じやない本物の城郭論!
その証拠に『城郭ビイスタ論』動画もうとっ
くに日本全国の有識者1500人以上が動画閲覧
している事に京滋の城郭フアン、濃尾の城郭
フアン、京阪の城郭フアン、福滋城郭フアン
は目ざとく気付く敏感な感性が大切ですわよ。
なにしろ米原は北陸東海近畿の交錯する駅で
すし長谷川先生の講座はすごく新鮮に感じる。
 
▼九州 小倉城 城郭ビイスタ
▼備後国 三原城の城郭ビイスタ構造
 
 
 
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令和4年2月19日城郭フオーラム中止のお知らせ

2022-02-17 03:00:09 | 講演予定
令和4年2月19日城郭フオーラム中止のお知らせ

◆理由
 残雪、積雪による現地城郭遺跡見学不可能の為
 コロナウイルス蔓延に配慮した社会的対応の為

◆長谷川
 去る1月15日の長浜臨湖の塩津地区の城郭分布
 解説に多数御来訪を賜り改めて深く感謝します。

◆対談者
 2月19日参加申し込み者は多数あったと聞きま
 す。1月15日の臨湖城郭講演が好評でしたから。

◆次回開催予定
 令和4年3月19日土曜 小谷城(大嶽城関連遺跡)
 予約先☎0749-86-4145 
 ウッデイパル余呉城郭係り

◆質問者
 先生の講座や見学会に御参加された方に御推薦
 を申上げる事や要点や学習の眼目とは何ですか?

◆長谷川
 城郭用語や歴史用語を全て強記する必要は全く
 ありません。一回の見学会、講座で一番大切と
 感じた事や、強く印象に残った事を小さなメモ
 帳自分の『城郭メモ帳』に記録しておきましう。
  100の事項を暗記する事は受験生の受験勉強です。
 勉強は強いて勉めると言う事で第三者から求め
 ているもの自習や体験学習実践として身に付く
 10の重要事項を認識した人は1から10悟れます。
 10×10=100という計算なら100悟れます。家の
 礎石は10個確保して100以上の建築部材を建つ。

◆質問者
 長谷川先生の見学会の特徴とは一体何ですか?

◆体験者1
 城の本で学んだ城郭構造解説書は現実には役に
 は立たず現地で体感した経験が身に付きました。

◆対談者
 自転車、水泳、も実体験しないと身に付かない。
 体験学習や実技、実践編とも言える内容ですよ。

◆体験者2
 城って石垣や天守が主要だと長年誤認してまし
 た城の本質は「土+成=城」である事を徐々に
 認識出来ました。土の壁で外敵を守るのが城だ。
 よくよく考えてみると日本の城の90%は土の城。
 石垣の城は近世城郭とよばれる形式の城ですよ。

◆長谷川
 人間の記憶原則は「初源体験」が物事の印象論
 として脳内に固定されます。それはシナプスと
 言われる電気神経系の記憶が城の印象を石垣や
 天守へと固定概念が定着する事は否定出来ない。

◆対談者
 それは言えます。生まれたばかりの鴨の赤ちや
 んの全てが本物の親鴨ではなくニセの人形の親
 に追従し初心者であるが故ニセ者に付いて行く。

◆体験者
 典型的な土から出来た中世城郭に白壁と瓦や石垣
 のある模擬天守が建てられている事がありますが
 世の中の大多数の人が城=石垣、天守、水堀等の
 強い印象を時代劇と繰り返される観光宣伝により
 自然に何度も何度も記憶と印象を植え付けれてる。
 そう言う社会現象を客観的に認識した上で土の城
 に真正面から対峙する事が城址学習の根本となる。

◆反論者
 そんな真面目で青臭い事を言うのは止めましょう!
 観光行楽を楽しむ人の本心は歴史的現実など無視!
 観光行楽の原則は「快楽原則」で「学習」でない!

◆質問者
 世界遺産認定の意義って何でしょうか?

◆長谷川
 世界遺産は人間が創造した肩書きにしか過ぎないと
 時に思います。日本に残る名城なども人間が創作し
 た肩書きと言えます。むしろ遺跡を堅実かつ冷静に
 認識する能力を身に着ける能力が人生において遺跡
 を鑑賞する糧となります要するに鑑定力や真贋を見
 分けるスキルアップです。

◆対談者
 有名な音楽家がレコーデングで高価で有名な楽器を
 レコーデング録音では使っていない場合があります。
 評論家はおそらく有名ブンド楽器を演奏者が使って
 ると論評していても、演奏家は二束三文のボロボロ
 の楽器を使った。外見はボロボロでも録音して良い
 音のする楽器を自分の主体性や感性に従って使った
 それは良い物に対して他者や外部の意見よりも自己
 確立して冷静に判断した事でしょう。自己確立です。
 人が言うからじやなく。人の評判じやない。良い物
 を選択するブランドや肩書きやラベルや名札は肩書
 き文化や表層文化ではない心の奥に染み透る本物!
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彦根、長浜、米原、大垣、平日を活用した城座学

2022-01-24 07:40:42 | 講演予定
彦根、長浜、米原、大垣、平日を活用した城座学
◆推薦者
この歴史民俗城郭講座を面白いですよ!
なにしろ歴史家が見落としてる城郭関連地名を
考察して、新たな未知の城郭発見紹介されたり
歴史家が見落とされている歴史の謎をポント新
解釈する柔軟な歴史城郭民俗学を融合した総合
学習とも言える何かの学門学閥の亜流や物真似
や焼き直しではないオリジナリテイ独創性ある
まさに伝統と新見解を融合させた温故知新学門。
▼過去写真
 
▼米原地域過去写真
▼米原地域過去写真
▼米原地域過去写真
 
彦根、長浜、米原、大垣、平日を活用した城座学
次回米原講座は令和4年1月27日木曜
午前10時から1時間参加費500円
 
◆会場 広々とした空間の図書室を利用した歴史講座です。
 
◆長谷川
こんにちは歴史城郭研究家の長谷川博美です。
土日は所要があって忙しい方々には有意義な
城郭の講座を米原駅前から徒歩5分の米原市
学びあいステーシヨンで城の講座を担当させ
いただいてますNHK名古屋文化センター様
やNHK岐阜文化センター様で歴史城郭講師
を経験、近江公民館様でも『信長公記』解説
を担当させて頂きました。現在屋外城郭見学
講座ではウッデイパル余呉様で約13年ほど連
続で賎ヶ岳合戦の陣城を見学する城郭フオー
ラムも継続させてもらっております。それら
の様々な講師の経験や現地城郭調査を踏まえ
た上で更にユニークかつ斬新で個性的な城郭
学を米原市学びあいステーシヨンで城に関す
る連続講座を現在担当させて頂いております。
 
◆対談者
長谷川さんの活動歴ってそんな近年だけの物
じやないのです。1980代以前から地道に活動
されてます。「城郭本舗」と言えるキヤリア。
またこの講座の講師に推薦されたのはそんな
先生の長く古い履歴を御存知の方の推薦です。
▼推薦者の方とこの書類は関係ありません。
 
 
 
 
◆対談者
 
◆こんな方にビッタリな講座座学です!※効用
 
図書館や雑誌その他で
 
①聞いた事見た事ない読んだ事のない城情報。
※新知識を得て脳内を刺激して活性化効果!
 
②模倣、習い、と異なる「気付きの」城郭学。
※見落とされていた事に参加者全員で気づく!
※人間はアッと気づいた時にこそ脳内が活性!
 
要するに既知ではない。柔軟思考の講座です!
 
話題騒然 城郭ビイスタ論 上文字クリック
長谷川博美 城郭鳥瞰図 上文字クリック
 
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令和4年長浜新春特別歴史講演「小谷城/浅井氏/西浅井/塩津谷/熊谷氏」

2022-01-15 03:20:00 | 講演予定
衝撃 城郭ビイスタ論 上文字クリック
 
◆常識様
新聞配達の人は、配達する家の場所や順序
を知ってます。だから新聞配達員と言える。
 
◆対談者
新聞配達の人も牛乳配達の人も確実に地理
を知っているから正常な配達業務が出来る。
 
◆矛盾様
世の中とは、配達先も地理も全く知らない
人が新聞牛乳配達論と題して論説する訳よ。
 
◆一般者
新聞配達の人も牛乳配達人も、各戸の玄関
が何処にあり配達する場所を知っいて確実!
 
◆みんな
城や砦がどのように分布しているか知りた
い、城の入口が何処か?知ってる事が基本!
 
◆反論者
ふん!9カ所もの砦や18カ所もの城塞の跡を
知る必要などない!歴史とは現実や真実など
を無視する学門分野だ!真実や現実をなど知
って何になる?青い事を言う正論などが通用
すと思うなよ!学門は受験勉強に合格する事!
 
◆一般様
いいえ現代の様々な宅配業務は地理や宅地
の配置を知りナビを駆使するから隆盛した。
地理を知り現実行動しなければ実践でない。
 
▼塩津 岩熊城山 山頂土塁 現実は足元に残っている。
▼西浅井山城の横堀の迫力 現実は荒涼たる原野の中
 
令和4年長浜新春特別歴史講演
「小谷城/浅井氏/西浅井/塩津谷/熊谷氏」
 
◆哲学者のメール
Eureka(エウレカ)はギリシャ語に由来する
感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶと
きに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者
であるアルキメデスが叫んだとされる言葉です。
長谷川先生の学門の世界はギリシャのエウレカ
や東洋の悟り、仏教の大悟、に相当するものが
ある「悟」と言う漢字の意味は「心」の「吾」で
自分が会得し理解すると言う意味です長谷川
先生の城郭見学や城郭ビイスタ論には悟りや、
気付きや、大悟が存在する小賢しき表層知識
の網羅羅列でない、歴史城郭の根本要諦です!
 
 
◆対談者
令和4年1月15日の長浜臨湖での長谷川先生の
歴史城郭講演大変、巷間で話題になってます!
講演内容は室町戦国時歴史城郭フアン必須と
もう私のところにも講演内容の問い合わせが
次々に入って来ています。有意義かつ特別な
歴史講演が展開される事を私達本格歴史城郭
フアンは期待しております。15日の講演内容
を是非ともお知らせ下さい!長谷川先生の事
ですから神社史、交通史、民俗学、考古学、
城郭分布調査の実績など幅広い総合歴史観に
基ずいた非常に興味の深い内容にりますね!
 
◆質問者
城郭分布布陣配置は歴史城郭の根本で基本!
9城が塩津谷に存在する意味とはなんですか?
 
◆対談者
現代企業で言うと9カ所の事業所や営業所や
会社や力のある企業の塩津熊谷氏と言う事。
物流会社「日通」こと日本通運の前身組織
も塩津に存在したと言う事ですから令和で
言うところの塩津港はロジステック日本海
物流の発祥の地メッカとも言える重要な地
その塩津に存在するめくりめく多数の城郭
遺跡を一挙に講演で解説しようと企図され
る事自体もう澁澤栄一と同じ壮烈な気概!
 
◆質問者
滋賀県北部、北近江の室町時代の殿様達のラン
キングを的確に表現している文献資料とは何?
 
◆長谷川 『浅井備前守饗応記』ですよ!
中世の北近江「広域長浜地域」でも冠婚葬祭に
おいて各自が着座する席次は家柄の伝統的格式
基づいて着座する席次が決められておりました。
中世史を研究する上で熊谷氏は北近江守護職の
京極氏に次ぐ隠然とした武家勢力であった事で
す。塩津熊谷氏の拠点城郭群を把握する事とは?
北近江「長浜市、米原市、彦根市」の室町時代
の武家勢力の範囲や動向や勢力の変遷を垣間見
る貴重な資料と言えます。当時の武士ランキング
武家社会の社会的階層位置を冷静に知る資料です。
 
◆長谷川
ここで注目すべきは『饗応記』席次第13位の
戦国大名近江浅井氏三代の初代、浅井亮政が
現代の貨幣価格で言う数千万円に相当する財
力をこの饗応に費やしている事自体が下剋上
の風雲に乗って台頭する戦国大名と室町依頼
の封建社会の様相をこの『饗応記』が浮き彫
にしている事を読み取るべきです。『饗応』
に用いられた当時としては高級食材海産物
を日本海側の越前から、内陸部の浅井勢力は
準備しなければなりません。戦国大名浅井氏
が北近江に台頭出来たのは、国人と呼ばれる
複数の土豪層を支配していた国人一揆の頭目
リダーとなりまた浅井氏滅亡の根源となった
財力は北陸越前に100年の王国を営々と営んで
きた朝倉氏の北陸海産物の北近江供給という
ロジステックな物流経済の盟主こそが越前の
朝倉氏と言う事も読めて来ます。『饗応記』
の海産物の御馳走は一切北近江では採れません
今でも北近江の祭礼で「焼鯖サバと保存食素麺」
を融合させて「鯖素麺」が存在する事は北近江
が北陸物流経済の残影を継承しているとも言え
ます。一方浅井が越前北陸の海産物流を朝倉氏
とともにロジステックに支配したがもう一つの
重要な湖「うみの道」琵琶湖湖上交通つまりは
北陸敦賀ー湖北塩津ー琵琶湖水運ー大津京師と
繫がる湖上交通の要を押えていたのは西浅井の
塩津谷に割拠し塩津港を押えていた熊谷氏支配
に属する数多くの塩津谷に厳然と残る塩津の城
の城郭分布を考慮せずは北近江の戦国史しいて
は現在広域合併して長浜市として再び編入され
た塩津の城郭群の分布を知る事が新しき長浜市
としての広域歴史解釈へと繫がると確信します。
つまり塩津だけで講演する事より現代長浜市の
全体として東浅井郡や西浅井町を再認識する事。
 
▼長浜臨湖 地図アクセス
▼長浜臨湖 正面玄関
▼予約受付 先 ウッデイパル余呉城郭係 0749-86-4145 火曜休業
▼西浅井の山城の巨大な横堀
 
 
□統轄予約先 窓口 ☎0749-86-4145
 ウッデイパル余呉城郭係り「火曜休業」
 
□日時 令和4年1月15日 土曜日
    講演開始 午後13時 約1時間30分
 
□講演場所 
 滋賀県長浜市港町4-9「無料駐車場あり」
セミナー&カルチャーセンター臨湖│長浜
 
□交通アクセス
電車 JR長浜駅より徒歩約10分余
車  長浜ICより約10分 長浜港
   琵琶湖湖周道路長浜城を目印
  
□参加費 500円
 
□講師 元滋賀県中世城郭浅井郡伊香郡分布現地調査員
    滋賀民俗学会理事 北近江歴史研究会会長
    長谷川博美(米原市在住/長浜市出身)
 
□講師履歴 
    もと
    NHK名古屋文化センター歴史城郭講師
    NHK岐阜文化センター歴史城郭 講師
    米原市近江公民館『信長公記』講師
    現
    ウッデイパル城郭フオーラム講歴史城郭師
    米原まなびあいステーシヨン城郭講座講師
 
□講演プログラム概略
 
1 旧浅井郡塩津の歴史背景「現長浜市」
  浅井郡の延喜式内社の存在と交通史
  万葉集に登場する塩津の世界
  塩津浜遺跡の存在意義と海運交通史
  平清盛小松重盛深坂峠開削工事
  『太平記』に登場する塩津熊谷氏
  (交通歴史)
 
2 近江浅井三代初代亮政
 『浅井備前守饗応記』の意義について
  (中世社会史/)
 
3 上記饗応記席次№3の熊谷下野守の事
  (中世塩津谷本舗地頭の系譜と階層)
 
4『菅浦文書』に登場する塩津勢の事
  (文献史学的考察)
 
5 足利義輝/義昭の幕臣和田惟政の甲賀七城
  本補地頭/塩津熊谷氏の塩津谷九か所の城
  (城郭分布/比較研究論)
 
6 地誌に登場する琵琶岸の熊谷氏について
  塩津の熊谷氏「長浜市塩津熊谷氏」
  今西の熊谷氏「長浜市今西熊谷氏」
  南浜の熊谷氏「長浜市南浜」
  以上は江北の三熊谷とも呼ばれる。
 
7 福井県敦賀市疋壇城攻めした近江熊谷氏
  福井県敦賀市疋田サラの山城の丹羽長秀
 
8 塩津谷9カ所の城郭分布について
 
  1 塩津浜城「塩津浜」
  2 城の坂城「祝山」
  3 城山城「岩熊」
  4 応昌寺砦「塩津中」
  5 西岡城「横波」
  6 若山城「集福寺」
  7 沓掛城「沓掛南城」下沓掛 
  8 沓掛城「沓掛西城」下沓掛 
  9 沓掛城「日沓東城」下沓掛 
  (中世城郭分布調査/地域郷土史)
 
9  塩津谷新規発見城塞群
  賎ケ岳合戦丹羽長秀の動向
  10 月出峠の砦「月出」
  11 蛇曲の砦「月出」
  12 西岡城 西砦「横波」
  13 横波越えの砦「横波/山門」
  14 殿山遺跡北尾根遺構「上沓掛」
  15 殿山遺跡北嶺城塞「上沓掛」
  16 殿山遺跡中嶺城塞「上沓掛」
  17 殿山遺跡南嶺城塞「上沓掛」
  18 追記「深坂峠/峠塞ぎ要塞遺構」「深坂」
  (新規城郭分布/新規城郭発見)
 
 
◆質問者
 長谷川先生は元西浅井中学校長の村上宣雄
   先生と交流があり我等、伊香郡の塩津浜の
 塩津浜歴史研究会様とも交流があり講演の
 場所は塩津地区の場所が相応しいと思う!
 
◆対談者
 長谷川先生の講演を希望されてる人々とは
 彦根長浜地域そして米原近江に居られます。
 またNHK名古屋や岐阜文化センター関係
 の東海地域の人々また京阪神に住まわれる
 長谷川先生支持者様もおられて西浅井地域
 に講演の場所を確保しても東海近畿方面の
 人には福井に近い塩津西近江に近い西浅井
 塩津への講演来訪は不便と解釈されたか?
 
◆浅井様
 素晴らしい歴史視点を持ち合わせられた
 歴史講演になると私は思います。東浅井
 郡に住んでいる私は浅井郡中心は現在の
 浅井を冠する地域がその中心と言う歴史
 誤認をしています『浅井備前守饗応記』
 の№3の饗応の席次の「熊谷下野守」が
 一体本来の歴史郡部「浅井郡」の何処の
 土豪なのか?浅井郡の地頭職なのか全く
 理解せずに『浅井備前守饗応記』を読ん
 いても全く解らないものなのです。浅井
 郡は現在の琵琶湖を挟んで西近江路にも
 現在一般に私達が認識している浅井地域
 も含む広大な高嶋郡と隣接する巨大領域
 の郡であった事を現代人は全く忘れてる
 古代浅井氏の氏寺と考えられる「浅井寺」
 湖北町今西近辺に存在した事や山本山を
 朝日山そして山麓を朝日村と呼んでいた
 事を完璧に忘れてしまっている巨大浅井
 郡の両翼の西に相当するのが西浅井です。
 東に相当するのが元東浅井郡の浅井地域
 と言う基本認識に立ち返って歴史を考え
 なおす事が現在の広域長浜市つまり旧の
 広大な浅井郡として歴史認識解釈する事
 こそが広域長浜市の歴史観として冷静な
 ものと考えております。之は長浜歴史!
 
◆長谷川
 私の考えを代弁して頂き感謝致します。
 『浅井備前守饗応記』の№3に席次に
 君臨する熊谷氏の塩津谷や琵琶湖岸に
 点在する拠点とは、一体何ぞやと言う 
 観点で熊谷氏の中世城郭の分布を考え
 直す。つまり№3の殿様だったらその
 地位相応しい城郭や城館を熊谷氏自体
 が数多く郷村統治支配として浅井郡の
 西部つまり西浅井、塩津方面に所持し
 ていたと中世史の世界観を認識する事。
◆歴史好き
 そんなアホな?何で海津大崎や大浦や
 塩津が浅井郡なんじや?何で長浜市や?
 
◆対談者
 冗談を言わないで下さい。元々大浦とは
 「浅井郡之内」古地図にかいてあるのよ。
 歴史好きの条件とは怒りではなく冷静さ!
 本当の歴史好きとは!
 冷静に史「ふみ」を読む事
 冷静に絵「地図」を読む事
 冷静に城「城郭」を見る事
 浅井郡と明確に書かれている!
 ▼
 
Eureka(エウレカ)はギリシャ語に由来する
感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶと
きに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者
であるアルキメデスが叫んだとされる言葉である。
 
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塩津の歴史的重要性 太平記にみる 江北塩津の世界

2022-01-04 20:09:12 | 講演予定
衝撃 城郭ビイスタ論 上文字クリック
 
◆匿名様よりメール
この投稿記事では
       北近江守護職京極氏
       浅井郡地頭職熊谷氏
       の歴史的立ち位置が
       よく理解ではました。
城郭ビイスタ論は日本史の城郭の霧が晴れた様な
感覚になりました。浅井郡の熊谷氏の在地勢力の
多数存在する城郭群も把握して新しい西浅井地域
の未だ一般に知られていない未知の城郭群へ現実
に行って見たいと思っています。歴史は霧の中に
濃霧の中に隠されている。霧がかかっていない所
だけ見て歴史を語ってもその町の全体像や歴史を
語り考える事には決して繫がらないと考える昨今
です。
 
◆長谷川
メールに感謝致します。私のブログに登場
する『剣熊考全18編』も併せて予備知識と
して閲覧して頂ければ幸甚かと思われます。
 
塩津の歴史的重要性 太平記にみる 江北塩津の世界
 
◆長谷川
塩津を知る為にはブログ『剣熊考全18編』
を是非通読される事を是非お勧め致します。
 
◆『剣熊考全18編』の御案内
1 ブログの左を見る
2 剣熊考(18)をクリックする。
 
◆対談者
彦根に記録的大雪がふりまして市内が大変。
高嶋も雪が多かった、米原も雪が多かった。
雪害遭遇された方にお見舞い申し上げます。
 
◆長谷川
近江国では愛知川以北つまり佐々木京極氏
の領知を江北と言いました。高嶋郡、伊香
郡、浅井郡、坂田郡、犬上郡、愛知郡以上
6郡を江北六郡と中世では言います。彦根
は元来江北に含まれいました。湖東と言う
言葉は井伊氏が彦根に入部して江戸時代か
ら湖東の通称が用いられましたが元来江北。
今回滋賀県彦根市東沼波の国道8号線が積雪
の為に渋滞し全国区でテレビ報道されました
がやはりここも中世では歴然とした江北だっ
た訳です。彦根の平田山「雨壺山」も江北の
平田山として記録されています北近江守護職
の有力被官「川瀬氏」や「高宮氏」も現在は
彦根市に所属していて元来は歴然たる江北で
あった言えます。歴史は現行行政区分で歴史
解釈をしていると中世と現在では領域解釈が
異なるので注意しなけばなりません。浅井郡
なども琵琶湖を挟んで東西に展開する広大な
郡部であり後に東部は東浅井郡と呼称されて
現在では浅井地域の中心部と認識されていま
すが元来の浅井郡は東西に広大な郡部であっ
た事を事前に認識しておくべきです。
 
◆対談者
北陸線、湖西線の交わる塩津駅は今回の
積雪で影響を受けたと言う事を聞を聞き
ます。
 
◆長谷川
塩津と言う交通の要衝や雪の多さは南北朝
の昔も令和の現代も全く同じと言え北陸へ
の重要な通路と言えます。『太平記』を今
再び読んでみましょう。
 
『太平記』北国下向勢凍死事
河野・土居・得能は三百騎にて後陣に打けるが、
見の曲にて前の勢に追殿れ、行べき道を失て、
塩津の北にをり居たり。佐々木の一族と、熊谷
と、取篭て討んとしける間、相がゝりに懸て、
皆差違へんとしけれ共、馬は雪に凍へてはたら
かず、兵は指を墜して弓を不控得、太刀のつか
をも拳得ざりける間、腰の刀を土につかへ、
うつぶしに貫かれてこそ死にけれ。千葉介貞胤
は五百余騎にて打けるが、東西くれて降雪に道
を蹈迷て、敵の陣へぞ迷出たりける。進退歩を
失ひ、前後の御方に離れければ、一所に集て
自害をせんとしけるを、尾張守高経の許より使
を立て、「弓矢の道今は是までにてこそ候へ。
枉て御方へ出られ候へ。此間の義をば身に替て
も可申宥。」慇懃に宣ひ遣されければ、貞胤心
ならず降参して高経の手にぞ属しける。
 
とあります。上記太平記で重要な部分とは
「塩津の北にをり居たり。佐々木の一族と、
熊谷」が特に重要です。
 
佐々木の一族とは佐々木京極氏の系統を言い
熊谷は本舗地頭職である近江塩津熊谷氏を意
味します。『菅浦文書』に登場する塩津勢も
これに該当する事になります。もっとも大切
な事は「佐々木の一族と熊谷」が塩津に登場
している事です。守護の京極氏、本舗地頭職
の熊谷氏と解釈して良いと思われます。さて
時代は流れて1534年(天文3年)8月20日の
記録『浅井備前守宿所饗応記』から熊谷氏の
室町時代の江北における中世武家社会の階層
は守護職京極親子に次ぐ席次は№3なのですが
江北武士の序列席次としては浅井郡塩津熊谷氏
を実質№2と解釈すべきです。守護京極氏とは
当然国人と呼ばれる複数の郷村を支配する土豪
階層を統率する集団「国人」を京極氏の被官と
しています。一方の地頭職「熊谷氏」は守護職
に次ぐ№2の階層に相応しい数多くの郷村支配
し当然のことながら数多くの城郭支城網を塩津
に展開していたと言えます。北近江の中世の武家
社会や郷村支配体制を的確に知る為には各集落
に存在する一村に一カ所または2カ所存在する
集落の裏山に存在する城郭遺跡を確実かつ冷静
に把握認識する事が塩津熊谷氏や北近江の江北
の歴史を知る重要な機会になると私は思います。
 
令和4年1月15日 長浜臨湖 歴史講演予定
 
予約先 窓口 ☎0749-86-4145
 ウッデイパル余呉城郭係り「火曜休業」


日時 令和4年1月15日 土曜日
    講演開始 午後13時 約1時間30分
    参加費500円

講演場所
滋賀県長浜市港町4-9「無料駐車場あり」
セミナー&カルチャーセンター臨湖│長浜

交通アクセス
電車 JR長浜駅より徒歩約10分余
車  長浜ICより約10分 長浜港
   琵琶湖湖周道路長浜城を目印
 
『太平記』北国下向勢凍死事の現代文

河野・土居・得能は三百騎で後陣に付いてい
ましたが、見の曲(嶮の曲?)で前の勢に遅れ、
行くべき道を失って、塩津(現滋賀県長浜市)
の北で足を止めました。佐々木一族と、熊谷が
、取り籠めてこれを討とうとしたので、相懸か
りに懸かって、皆刺し違えようとしましたが、
馬は雪に凍えて動かず、兵は指を落として弓
を引き得ず、太刀の柄も握ることができなか
ったので、腰の刀を地に突いたまま、うつ伏し
に貫かれて死にました。千葉介貞胤(千葉貞胤)
は五百余騎で馬を打っていましたが、東西暮れ
て降る雪に道を踏み迷い、敵陣に迷い出ました。
進退歩みを失い、前後の味方と離れて、一所に
集まって自害をしようとするところに、尾張守
高経(斯波高経)の許より使いを立てて、「弓矢
の道今はこれまででございます。曲げて味方に
出られよ。今までの義をこの身に替えても申し
宥めまする」。と慇懃に申し遣わしたので、
貞胤は心ならずも降参して高経の手に属しました
コメント
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