城郭 長谷川博美 基本記録

城郭遺跡見学講師 信長公記講師 お城イベント案内 民俗学講師  神道思想史講師 などの情報を発信して行きます。

令和3年3月13日 ウッデイパル小谷城見学会報告と次回予定

2021-03-16 07:06:21 | 見学報告
▲城郭ビイスタ論クリックする。
令和3年3月13日 ウッデイパル小谷城見学会報告と次回予定
対談者
はっきり言って3/20の堂木山城見学会は本城と出城の
5城で総数6城を見学する訳で城郭遺跡を数多く見学し
たい人は古戦場の現実を踏査したい人には非常に価値
のある見学会だと思われます。

◆長谷川
 そう言う発想も面白いです!合戦事情を実際に検分
したい真の古戦場探訪家に相応しい充実した見学内容。

◆対談者
何故?3月13日に見学した小谷城清水谷にある三田村
屋敷と大野木屋敷の図面を3月20日の見学会に配布さ
れるのです?

◆長谷川
人とは城を探訪してもその城の平面構造縄張を正確に
は解りません。図面を作成してみると探訪した印象と
全く違う場合が多い!探訪と城図面に大きな隔たりが
あると痛感します。土塁の外の遺構を何れのリダーが
見なくて良いと指示したら堂木山の堀の外の遺構AB
CDEFを全く人々は見学しないスイッチが脳内に入
力される。これはどういう事かと言うと?このABC
DFは乗用車で言うサイドミラーやらバンパーまたは
方向指示器や表示灯やランプ等車外装置に相当するん
です。車は室内だけが車ではなく外部も含めて車です。
Bの外郭部の肩は極めて弱い脆弱である。しかしこの
高土塁が城の弱点を補完しています。また図のHは土
塁が低く虎口もあり防御は比較的弱いのです。しかし
Dの段築を設ける事で弱点を補完カバーしています。
土塁の中の城内と兵士宿営の為の陣小屋が土塁の外に
あった事も解って来る。万年同じ見学会から日々脱皮
進化して研究の深化を進捗させる事が前向きな学究家
や研究家の本質と私は思います。現実体験は大切です。





◆対談者
この投稿は長浜市余呉堂木山に関する堀切遺構の写真
が明確に撮影されて歴史の現場の証拠が生々しく残さ
れ衝撃的です!

◆一般様
それは違うじやないですか?歴史と言うのは真実や現
実とは異なる夢の次元でリアルな現実遺跡など問題と
されない!

◆一般様
人類とは常に基本的にウソをツキ事実を常に隠蔽して
いる。自分達に都合の悪い事見ざる言わざる聞かざる

◆長谷川
世の中は虚説やウソを好む人々も多数おられる、真実
を物語る遺跡を確認したい極めて真面目な少数派も存
在すると思われます。

◆対談者
歴史観光案内板を必死で読む人を見て笑ってしまう。
貴方は文字記号を第一にして本当の第一の城跡を見
る気がない!貴方は文字が歴史の本質の第一と思っ
ている。でも大根を買う時に一番大切な第一とは大
根と書かれた値札じやない本当に大切な物は美味し
い品質の大根自体である事に気が付く事なのです。
何千枚も大根と書かれた文字札集めても大根を食し
た事にはならない。大根の種類や品質と味を識別し
て初めて大根の味と大根の本質と言うもの確認する
事。

◆一般様
そうか!パン屋さんで芳醇熟成した一流職人パンと言う
文字や文言のラベルに惑わされる事よりも本当にその食
パンが他人が何と言おうとも自分が食べて美味しい味が
しなければ何にもならない名実ともにとは「名」と「実」
「名」は文字や文字歴史「実」は現実や実際の城跡遺跡。 

▼令和3年3月20日見学予定 長浜市余呉町堂木山出丸図


▼令和3年3月13日の小谷城見学会の記念写真
◆長谷川
当日雨に打たれましたが小谷城の本城部分
を石垣を中心に無事見学させて頂きました。
県外からは多数の御参集を賜り改めて御礼
を申上げます。様々な都合で5名様の欠席
があった事は惜しまれる事ですが、雨天の
中を熱心に研修学習された方々や影の御協
力を賜った方々に重ねて御礼を申上げます。

歴史城郭講師  長谷川博美

★◆★お詫びと次回参加者様特典★◆★
去る13日の小谷城見学において長谷川が
付録として皆様に配布する予定でしたが
紙幅の都合により配布できませんでした。
来る3月20日堂木山城見学の際に参加者
様に限り特典で以下を配布する予定です。

清水谷筋 ①伝三田村屋敷  縄張図
     ②伝大野木屋敷  縄張図
     ③山王丸小丸詳細 縄張図
     ④城郭フオーラム新年度新規予定チラシ
     ⑤『城歩会』4見学予定日程チラシ案内

★『城歩会』とは?東海、近畿、北陸の要たる
 米原駅を中心に全長2キロに及ぶ米原市内某所
 城郭を学習見学する城郭遺跡見学向上委員会を
 目指す学研的企画、行楽やハイキングや観光の
 催事と趣旨の異なる如何に城郭遺跡見学の本分
 や深奥を習得するかをテーマに掲げた現地研修
 会及び地道な学習会を城歩会では予定してます。

★城歩会「城歩会」とは何?城に忠誠な人?
 ①城郭を見聞するに、紳士的性格である事。
 ②城郭見学の模範的マナー品性を備える事。
 ③智育と体育を具備して文武両道である事。
 ④城を見るに純粋素朴な澄んだ心である事。
 ⑤城郭遺跡から目離れしない真面目な姿勢。
  
以下小谷城見学記の凡例
◆は参加者様のコメント(概略大意)
★は深意と意義の解説

◆参加者 県内匿名
先生が六坊の中の武家屋敷石垣見学された!
★石垣を伴う武家屋敷割が現存する現実。
★六坊寺院とし軽視し城郭部を見てない。
★文字学門に捉われず現地遺跡確認重要。

◆長谷川
御意見に謙虚に耳傾ける事が冷静な学究
家の役目、いずれまた六坊測量調査充実
して六坊を城郭遺跡として再評価見学を、

◆質問者
私は歴史の本質とは史(ふみ)文書や文献
だと考え文献史学の先生から歴史を学ぶ

◆対談者
貴方は
人が書いた文書を人が解釈し貴方が聞く
事が歴史の本質文献史学と解釈されてい
ます。しかし当時の文書や日記も時の人
々の偏見や伝聞やウワサや虚説も含めて
書かれている危険性を認識していない為
文字面だけの歴史講演は注意が必要です?
もし城郭遺跡を認識出来たらそれは現実
の土に刻まれた優れた証拠である遺跡で
あると認識出来ませんか?歴史の現場!

◆長谷川
文献と考古学的実証と遺跡形状論を冷静に
客観的に、総合的に分析して行きましょう。

◆参加者 愛知D様
長谷川先生に土塁見学の根本を学んで来た
最後に小谷城出丸土塁を見て感動が価千金!
★現地体験学習と城郭比較研究が結実した。

▼次回予定の御案内


◆長谷川
野球は一塁二塁三塁とベースを巡り踏む事が基本!
城は土塁を見落とさず砦を巡る見学が根本で基本!
野球ならアウトにならない為には塁を確実ふむ事!
城跡は一塁二塁三塁四塁五塁と確実に見学する事!
人の手に五指があり其々の役割とは5カ所は異なる!
以上、素朴な基本的正論、人は正論に気付く賢者!

◆長谷川
令和3年3月20日賤ケ岳合戦堂木山城見学致します。
堂木山城の出丸5カ所を実地見学せず秀吉方最前線
の軍事的緊張感を全く確認せずに語る事は出来ない。
普段一般人のする史跡めぐりや観光の本質とは何か?

◆城郭フオーラム次回御案内
日時 令和3年3月20日土曜午前10時10分
場所 JR北陸線余呉駅集合 堂木山城見学
主催 余呉城郭研究会 長浜 生月茂会長
講師 元滋賀県中世城郭分布調査員
   滋賀民俗学会理事
   長谷川博美
参加費 2500円
予約先 ウッデイパル余呉城郭係
    ☎0749-86ー4145
特典  弁当資料現地遺構解説

▲参加希望者
実際にこの形状の城郭遺跡が現地に実際にるの
ですね?真実であるとすれば驚くべき発見です!

◆長谷川
真実を現実を現地で認識できる能力や率直な心
が人間としての素朴で実直な学門を育成します。

▼堂木山城南出丸写真

▼堂木山城北出丸堀切写真 ▼堀切中央には土橋の痕跡あり

▼堂木山城 本城堀切写真 圧倒的な土塁「土の城壁の迫力」
 これ作り物で決してない!生々しい天正11年の真実の現場!


◆長谷川
中国思想史では陰陽五行思想が根本にあります。
陰陽道では五芒星つまり五角形の魔法陣などや
人間の五指に起源を発する数学の五進法もある
算盤では5つ玉と算盤を用いる場合もあります。
三国志演義で五虎将(関羽、張飛、馬超、黄忠、
趙雲の5名)が居たり宮本武蔵の五輪の書なども
月、火、水、木、金、土曜日などの言葉も実は
西暦の一週間に起源するものではなく五行思想
の影響下の文言で一説に大守(大きな領土を保有
する大名)の天守閣の五層もこの五行思想の影響
下にあるものと思われます。身近に石造美術品
として鑑賞する一石五輪塔もその起源は印度の
スッウパー(仏塔)の起源の流れを汲むものです。
彦根城天守も火頭窓を多用した一種の仏閣様式。

◆長谷川
織田軍団の宿老と言われ猛将とも謳われた武将
柴田勝家が東野山、堂木山、神明山の羽柴秀吉
の堅塁を落城させられなかったそれは何故か?
東野山城には東野今市に至る広域に大小9ヶ所
もの出丸「臨時城塞群」を構築して柴田勝家の
近江南下と侵攻をその城塞数(インフラ/施設)の
員の論理、つまり員数の論理、兵員配置総数に
於いて柴田勝家を圧倒していると言える。これ
ブドウは一個でブドウと称するのではなく城郭
群を形成させて線や点をリンク結節させて重層
陣地を編成していたからと評価できます。これ
らの陣城群を実際に見て歩いて見聞した人々と
従前どおり合戦記のみを参考依存している人々
の間には言わば、文字信奉派と現実確認派の壁
が必然的に発生する。文字と現実の壁は大きい!

我々余呉城郭研究会は秀吉側の東野山側の陣地
陣城を踏査調査研究して来ました。今度は西の
堂木山本城とその出城5ヶ所を認識する事で従来
よりもより鮮明に賤ケ岳合戦の実相や現実が見
えて来るしかし!土塁や堀切を認識し見学する
事を率先して実践実行する現場派とその現実を
拒む観光推進の人々との歴史観光認識価値観は
つまり文化的土壌の壁や差異は現実に存在する。

  余呉城郭研究会が必死に懸命に長浜湖北を
余呉を城郭遺跡見学を推進しても現代社会とは
▼堂木山城 本城部 土塁写真

たかが物好きの山歩きの奴、そんな山中の土手
(土塁)を見て何が楽しい!山中の土手がナンボ
の利益を滋賀長浜余呉にもたらすと厳しく冷淡
である現実が実在しています。賤ケ岳合戦参加
した当時の武将達は尾張、美濃、伊勢出身の元
は織田信長傘下に加わる東海勢力の人々や武将
中心となっています。令和3年3月13日の小谷城
見学会の参加者メンバーも圧倒的に東海地方の
人々や県外来住者様が中心と言う顕著な傾向が
見らました。

    県民ショーと言うテレビ番組では県民
性や住民性を浮き彫りにして視聴者を獲得して
いるが滋賀県外から近江を訪れた人々に滋賀県
民とは城郭見学文化や遺跡見学思想が全然育成
させていない、城に関する催事あれど本当に城
を見学しようとする気概本気度全くないと指摘
されると生粋の滋賀県産城郭研究家長谷川とし
ましては一言の反論もでず、涙を山城の谷間で
流すばかりなのです。滋賀県民として悔しい!
真に情けない!城跡の基礎である土塁を見ない
人々が何と多い事か?山の土手「土塁」見て何
が楽しいと言う社会通念が何と多く困難な事か?
▼田上山城見学会記念写真


▼滋賀長浜余呉堂木山城5ヶ所出丸砦のこれ必見!


▼小谷城参加所の感続き

◆参加者 県外匿名
小谷城って一段二段三段石垣があり驚いた!
それに各所に見た事のない石垣もあり驚く!
★観光探訪と価値観や趣旨の異なる見学会。

◆参加者 彦根M様
立て堀に石垣を見て驚く大堀切に二段石垣!
★竪堀の意義、大堀切の根源的意義を把握。
★文字智識だけではない現地研修見学確立。

◆参加者 多賀S様
京極丸の土塁の巨大さに驚きました大きい!
★北近江守護職京極氏の居館としての認識。
★守護館の堂々たる格式と大小二門の設定。

◆参加者 多賀S様
普段みた事のない京極丸西腰郭に枡形を見た!
★彦根城の京橋口、佐和口、何れも枡形構造。
★城郭構造ルーツ系譜に気付かれて意義深い。

◆参加者 伊賀H様
一人で城址を見学すると遺構を見落とす事ある。
長谷川先生と城に行くと見るべき遺構が見れる!
★城観光と城郭遺跡見学者の視点価値観の違い。

◆参加者 県外匿名
長谷川先生と城に行けば高い旅費を費やしても
確実に基本に忠実に遺跡見学のメリットが有る!
★城観光と城郭遺跡見学者の視点価値観の違い。

◆参加者様 匿名
滋賀県の人は長谷川先生の事が全く解ってない!
滋賀で真の紳士淑女の集まる城郭見学会の設立!

◆長谷川
雨中でも人が集まられると言う事は講師長谷川
に人気があるのではありませんよ!遺跡自体が
強烈な歴史の真実や現実を放っているからです!

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仰天ニュース!虎御前山城で日本カモシカに遭遇 

2020-12-11 19:45:44 | 見学報告
◆真の仰天のポイント
長谷川
当該投稿の仰天すべき事は「登土塁」でありましょう。
虎御前山城伝織田信長陣より東におり降る竪堀や登り
土塁の存在が第一の驚くべきポイントです。竪に土塁
がおり降る状態は中世城郭ではよく観察される事です。

長谷川
彦根城の登り塀や立堀の遠いルーツも中世山城に起源が
あると言えます。中世城郭の登り塀には石積を伴うもの
も現存致します。いずれまた皆様と是非見学しましょう。
▼立堀と登り塀の遺構「彦根城」

◆御注意の事
今回の投稿の遺跡には全く林道もハイキング道も存在
しません。場所は急峻にして日本カモシカも生息する
密林の中に存在します。一般ハイカーには御奨め出来
ない特殊な密林の山尾です、宜しく御了承下さいませ。

◆仰天!虎御前山城で日本カモシカに遭遇 
令和2年12月5日当該城址で日本カモシカを見て仰天
した。何かしら?ぬいぐるみの様で微笑ましい可愛
い容姿だが角を見ると鋭く私の前面2mにまで迫り、
少々恐くなった。何度か日本カモシカに山中で遭遇
しているが大概の日本カモシカの性質は大人しいが
今回の日本カモシカは自ら接近して来て野生動物の
角が案外、鋭く今回は身の危険を感じた。私個人は
磯野山城、小谷城、今回の虎御前山城でも日本カモ
シカに遭遇したが、年々日本の動物生態系が激変し
ている事を感じる昨今だ。いやはや虎御前に鹿出没!
▼日本カモシカを「売虎C」うるとらCと命名した。
▲この日本カモシカは写真C地点で遭遇激写した!
城郭遺跡愛好家様
私達にとり日本カモシカよりも織田信長の陣城
虎御前山城の東山麓に巨大な登り土塁や立て堀
が存在する事の方が衝撃なんですけど!!!
長谷川
そうでしたか?今回の遺跡は全く観光ピクニック
道ハイキング道が存在しません、これは観光志向
と城郭遺跡見学志向の社会的断面を強く感じます。

◆午前中のNPO法人虎御前山城見学会終了横田さんに
暖かい手ずくりの汁を御馳走になり体力が温存された。

◆午前と午後は主催者と趣旨が異なる。
午後はNPOの会員様と解れて我々「米原城歩会」で
午後の虎御前山城見学をする事に急遽決定した会員
は余呉城郭研究会と重なりI氏、H氏、M氏、長谷川
主に虎御前山城織田信長陣所の東部を守る城塞群を
今回は見学する事にした。上地図ではG区古く大洞
や東中野なる集落伝説地が伝わる場所でもある。

虎御前山城は南北に長く
伝柴田勝家
伝木下秀吉
伝織田信長⇔★東側面からの浅井朝倉の攻撃
伝堀秀政
伝丹羽長秀
伝蜂谷頼隆
伝多賀貞隆
等の布陣が伝承されている。
各陣営は、まるで巡洋艦の艦隊の如く直列してる。
伝織田信長を東側面からの浅井朝倉が攻撃がした
場合信長は窮地に陥る場合もある。斯様な事態に
備へ浅井朝倉の側面攻撃に備えて佐久間信盛が東
信長陣の東前面に布陣した可能性も、考えられる。

長谷川
先ず我々は信長陣から写真Aの郭におり降った。
ここはもう既存のハイキングコースから離れて
おり城址見学者のみが冬期に踏み込む城郭遺跡
のエルドラド「黄金郷」とも言える特殊世界だ。

▼写真Aの郭 低土塁写真、
土塁の外には犬走も写真に写る。写真①地点
更に我々は東へと東へと下山を続けた。
▼写真ポイント①地点の低土塁と塁下の犬走
写真①ポイント

▼③付近は立堀累々としてクランクした様は異様。
 3人が立土塁の上に立てるほど立土塁は巨大だ。

▼図面AB付近の巨大な立土塁の様子
◆土塁と横堀がG区の谷間「大洞」を取り囲んでいる。

▼土塁は一旦、小字名称「大洞」G区に下降しCから再び山頂に向かう。
 累々と山頂にむかう立ての土塁は真に見事かつ圧巻でもある。
▼足元には陣屋の建物基壇が残っている。写真D
▼その場所はイラストのDの基壇に相当する。
▼写真はBの信長陣の切岸を背にして写している。
令和2年12月5日、I氏H氏M氏長谷川はなんと!
虎御前山城山頂へ4度登頂した事になる何とまあ?
熱心な事だろうか?
◆今回の虎御前山城東麓方面フィールドワークの成果
①虎御前山城が南北だけではなく東西に広域に広がる
巨大城郭遺跡である事を認識する事を「城歩会」では
出来た。いやはや虎御前山城の東斜面を登り降りする
立て土塁たて堀の規模壮大な事に耳目を驚かすばかり
である。
有名な記録家太田牛一は虎御前山城を次の様な名言を
用いて『信長公記』で描写している。
「おびただしき御要害、申すも愚かに候。」
つまり虎御前山城の解説は言語に絶して説明できない
ほど多数ノ要害と歴史記録人太田牛一が記録している。

以下『信長公記』より
虎後前山 御砦 御普請ほどなく出来訖んぬ。御巧を以て、
「 当山の景気、興ある仕立、おびただしき御要害 見聞
に及ばざる 」の由にて、各々、耳目を驚かされ候。
御座敷より北を御覧ぜられ侯へば、 浅井浅井長政 ・ 
朝倉朝倉義景 、高山 大嶽へ取り上り入城し、難堪の峠
に及ぶ。西は海上漫々として、向いは比叡山八王寺。
昔は尊き霊地たりといえども、一年、山門の衆徒等
 逆心を企て、自業得果の道理を以て、山上山下灰燼
となさんと、これに御憤を散ぜられ、御存分に仰せ
付けられたる所なり。 また、南は志賀・唐崎・石山寺、
かの本尊と申すは、大国震旦までも隠れなき霊験殊勝の
観世音。往昔、紫式部も所願を叶え、古今翫所の源氏の
巻を注しおかれたる所なり。
東は高山伊吹山、麓は荒れて残りし不破の関、いずれも
眼前に及ぶところの景気、また、丈夫なる御普請、申し
尽しがたき次第なり。虎後前山より横山までの間、3里
(12km)なり。ほど遠く候間、その繋ぎとして八相山・
宮部郷 両所に御要害仰せ付けらる。宮部村には、 宮部
善祥坊 ( 宮部継潤 )宮部継潤 入れ置かせられ、八相山には
御番手の人数仰せ付けらる。  虎後前山より宮部 (滋賀県
東浅井郡) まで、路次の一段悪しく候。武者の出入りのため、
道の広さ 3間間中(6.4m)に高々とつかせられ、そのへり、
敵の方に高さ 1丈(3m)に 50町(5.5km)の間、築地をつかせ、
水を関に入れ、往還たやすき様に仰せ付けらるる事も、
おびただしき御要害、申すも愚かに候。  
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 余呉駅 余呉湖 余呉城郭研究会 余呉観光館  天神山城見学記

2020-11-21 22:55:51 | 見学報告
余呉駅 余呉湖 余呉城郭研究会 余呉観光館 天神山城見学記

2020年令和2年余呉城郭研究会は長浜市余呉町大字国安小字
天神前にある天正11年「1583年」北陸柴田勝家と近畿羽柴
秀吉両陣営により戦われた賤ケ岳合戦の合戦初期段階3月期
当時の長浜城主柴田勝豊の家臣達と長浜の住民を動員して
築城された規模壮大規模の城郭遺跡であり、当時の大名
権力により発動により合戦に備えて臨時築城された城郭
である。この城郭遺跡が如何に巨大であるかは著者自身
の見学当日携帯距離形の数値をみると、総長4.8㌔、歩数
7062歩を計測し、如何に巨大な城郭遺跡であるか再認識
させられる見学会となった。
▼天神山城西曲輪の大堀切に驚愕する余呉城郭会の面々

▲2014年NHK大河ドラマ特別展図録『軍師官兵衛』86号文書
に記録された「柴伊衆」柴田伊賀守衆つまり長浜衆の陣小屋
を取り払う「堀の外の小屋」の文言に登場する「堀」ずばり
意味するものと私は解釈する。

見学者の声や認識
①天神山砦とあるが総長4.8㌔、歩数7062歩は城の規模です。
②砦とは文言のみ現実実際の城址に数多くの堀切が多数存在。
③当城は長浜城主柴田勝豊と長浜町の人々により築城された。
④鉄砲生産地国友を領有してた勝豊勝豊の城だけに塹壕多数。
⑤賤ケ岳合戦は3月から4月にまで及ぶ陣城築城合戦の長期戦
⑥こんな戦国塹壕が残っているなんて信じられない現実世界。
⑦戦国時代の現場そのもの、砦の中にいる、生々しい臨場感。
⑧遺跡を現地検分解説する能力優秀な講師に案内されて衝撃。
⑨滋賀県北部地域の戦国観光振興の礎となりうる優れた活動。
▼西郭北辺に構築された堀切と土塁により鉄砲戦に対応した。
西曲輪の土塁上に整列する余呉城郭研究会の面々、遺構明確。
▼次々と堀切を乗り越えて城址を見学する会員諸氏、後続の二人は堀の中
▼行った!見た!本当だ!三段塹壕の堀の中は完全に戦国時代そのもの!
▼天神山東端の異様な竪堀を見学する余呉城郭研究会!

城址の案内板を修繕する余呉城郭研究会の活動!観光の基盤保全。


当日の見学者様の傾向
県外より御来訪の人
1愛知県
2岡山県
3岐阜県
4岐阜県

南近江(滋賀県南部)の人
5草津市
6近江八幡市
7犬上郡多賀町
8彦根市南部
9彦根市中部田畑

北近江(滋賀県北部)
10米原市
11長浜市高月
12長浜市浅井
13長浜市浅井
14長浜市浅井
18長浜市浅井
15長浜市加納
16長浜市石田
17長浜市尾上

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令和2年7月18土曜日 長浜歴史城郭講演の報告

2020-07-18 17:44:03 | 見学報告
城郭ビイスタ論 上文字クリック

令和2年7月18土曜日 長浜歴史城郭講演の報告
▼余呉城郭研究会受付窓口の様子
続々と多目的ホールに集合する準備の歴史好きの皆様

▲三密対策が取られている。隣接しているのは夫婦客様
▼午後13時開会の挨拶をされる生月会長
▼参加人員30名様 個性的な講演が終了して長浜城旧天守台
の見学へと向かう余呉城郭研究会のみなみな様との記念写真

▲やはり各地の名士有識者一同に会して記念写真を撮る。

講師 長谷川博美感謝の言葉

時節がらはるか遠く県外から多数の人々が長浜に来訪
され慎み感謝御礼を申しあげます。関係者各位様には
様々な会場準備に奔走して頂き、感謝御礼を致します。

関係者各位に追加御礼の事
名古屋信長公記受講者様、感謝御礼申し上げます。
余呉城郭研究会各位様、感謝御礼申し上げます。
米原『城歩会』「信長公記」受講者様感謝します。
彦根の関係者各位様には感謝御礼申しあげます。
岐阜から御来場の皆様に感謝御礼を申上げのます。
木之本町、湖北町、高月町、浅井町から御来場に
は感謝御礼を謹んで御礼を申し上げます。
NPO法人自然と歴史ロマンの会員様感謝御礼です。
長浜市内の皆々様ありがとうございます。
奥びわ観光ボランテイアガイド各位様感謝御礼申し上げます。
コメント (1)
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滋賀城郭令和2年多賀みておき隊の模様 6/27

2020-06-27 18:01:45 | 見学報告
滋賀城郭令和2年多賀みておき隊の模様 6/27
彦根犬上地域の名士として知られる田畑喜久弘
先生の招聘を受けて敏満寺城見学会講師として
行ってまいりました。彦根犬上の名士紳士淑女
を中心に熱心で常識ある学習会が粛々と展開さ
れました。これも参集された紳士淑女が良識あ
る行動言動と互いに協調性を高めての見学会が
盛況へと繫がった事と存じあげます。明日28日
も27日とは異なるアレンジメントを用い27日と
異なる一期一会の見学会が実施される事を祈り
ます。

◆多賀大社で厄除け茅の輪くぐりを全員で体験
し免疫の強化や無病息災を全員で祈念しました。
◆参加者の所感
とにかく彦根在住の人々が長谷川先生の歴史解説
に非常に熱心にメモを取っておられました。長谷
川先生の史談や論説がぐいぐいと彦根犬上の人々
の特に歴史通の人々の心を捉えているのが解りま
した。ある年にも三重県菰野町での長谷川先生の
歴史講演でも先生の解説が、ぐいぐいと人を引き
付ける様子を体験した事がありますが先生歴史観
とは一般の歴史観とは異なる、ああそうだったの
かと納得してしまう特別なリアリテイがあります。
これは参加した人、長谷川先生の見学を体験した
人でないと解らないと思います。

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