戦艦大和か玄蕃尾城か
◆長谷川
日本人はよく大船に乗った気持ち
でいろと言う事があります。大き
舟ならば沈没しないと言う信仰に
も似た大艦巨砲主義の究極こそが
戦艦大和と言われます。織田信長
の重臣柴田勝家は天正11年かって
自分より格下から成りあがった人
羽柴秀吉に賤ケ岳の戦いで敗れて
合戦の大本営たる玄蕃尾城を後に
越前北庄に帰還して九重の天守閣
でお市の方ともに自害して天守閣
もろとも火薬に火をつけて爆発し
てその生涯を閉じる事になります。
◆対談者
敗者柴田勝家の大本営とも言える
玄蕃尾城は羽柴秀吉方の陣城より
も小さかったのでしょうか?敗者
の歴史とは常に語られませんが?
◆長谷川
ブログ読者様には伝わりませんが
玄蕃尾城は聚楽第広島城名古屋の
プロトタイブの大城郭と言っても
過言ではない巧妙無比縄張を駆使
した天正の戦艦大和とも言っても
過言ではない巨大城郭遺跡です。
この見学会は令和5年10月21日です。
どうぞ皆様の御参加をお願い致し
ます。
▼勝家と秀吉の主君
織田信長安土城の扇型ビイスタ
▼玄蕃尾城 扇形ビイスタ工法
▼玄蕃尾城 重複型ビイスタ工法
▼羽柴秀吉 天正大坂城 重複型ビイスタ工法
▼太閤秀吉 肥前名護屋 重複型ビイスタ
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