近江鶯が原にして太田道灌に再会
◆金華山様
長谷川先生は本当は日本屈指
の城郭研究家なのに自己卑下
をされている事が真に残念!
私の見識は間違ってはない!
◆長谷川
昔私が二十歳の頃武蔵国小机
にある太田道灌の亀甲山陣城
を見て痛く道潅に感激した
彼は武家であり文人でもあり
道灌掛りとよばれる築城技術
を持ちたる優れた文化人です。
◆長谷川
私のブログは読まれてない!
人気知名度の全くない人間!
◆同行人
近江柏原へと中山道を歩きま
しょう。そうすれば先生の気
も晴れると無責任にも思う事
かと思います。ありや看板が!
◆長谷川
冬の旅の酔狂に中山道の長澤
「ながそ」を過ぎて鶯が原に
ぞたどり着くとは寂しい事。
◆同行人
先生太田道灌もここに来ている
これは深い訳があるのですか?
◆長谷川
私の心の師匠太田道灌がこの道
を通った事は何とも小机以来の
奇遇といえます。なにか古い友
に再会したような懐かしい気分。
◆同行人
太田道灌も長谷川先生も同等の
力量のある求道家と思われます。
太田道灌が鶯が原で見た要害は?
◆同行人
長谷川先生は関東は懐かしい?
◆長谷川
北畠具行卿の辞世の詩には
「増鏡」によれば、辞世の歌は「消えかかる露の命の果ては見つさてもあづまの末ぞゆかしき」
とありますので関東は懐かしい
故地と言えます、
◆同行人
太田道灌は鶯が原から何を見た?
◆長谷川
武人ですから佐々木京極の柏原
の要害つまり城跡を見た事だと。
それあの山こそが京極の要害だ。
道灌もあの峰を見ていた事です。
◆同行人
そんな馬鹿な!遺跡地図に全く
城跡の情報が載ってないですよ!
◆長谷川
載ってなかったら自分で探す事
で自分の道は自分で開拓します。
図面作りましたABCとキチオン
と竪堀木戸の跡Cもありますね。
城や要害の跡を見るとはこう言
事なのですよ。この城は京極の
誰の城かは知らぬれど城跡見る
人の心はいつも澄んでいたい!
◆歴史人
ちょつと待って下さいよ!
京極の清滝館が柏原城で
しょうが。。。。。。?
◆長谷川
どこの世界に谷間に城作る
だけで自分の領地を守れま
すか?山城があるから館も
ある2つセットの一組です。
太田道灌ほどの人物が用も
なく鶯が原に来るとおもう?
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