滋賀民俗学会 菅沼次晃郎先生
日本人の本音と立て前の文化の追想
活動歴50年以上を誇る民俗学冊子『滋賀民俗学』は
会長、菅沼先生の御逝去をもって、その会誌は残念
ながら幕を閉じた私事ながら私は当会の会員であり
後期には理事に推挙された。当誌は滋賀県内図書館
にも収録されており私が昔日に記した犬上郡の明智
光秀伝説と城郭についても収録されており是非とも
県内の後進の民俗学を志す人には一読を推薦したい。
さて菅沼先生晩年の連載には「日本人の本音と立て前
の文化」が掲載され私はその冷静な日本人の持つ習慣
や文化を大観する機会を得た事に改めて感謝したい。
第一級文献資料と評される太田牛一の著した『信長
公記』にも日本人の持つている本音と立前が明に記
録した資料が残っている。昨今国会討論がテレビで
放映されているが、日本人の本音と立前が生々しく
錯綜し国政を担う議会が紛糾混乱する様子は残念だ。
『信長公記』原文によると
「四月十九日、守山の織田孫三郎殿、清洲の城南矢蔵
へ御移り、表向は此の如くにて、ないしんは信長と仰
せ談ぜられ、清洲を宥め、取り進めらるべきの間、」
と記録されている。
この文章の中では
「表向」おもてむき、つまり、タテマエが表現される
「ないしん」内心、つまり、孫三郎の本音に該当する
※現代令和の時代となっても
本音/内心/「表向」
タテマエ「型式」
表裏の世界が今も継承されている。
柔らかく穏やかなな「たてまえ」は良い
流行、詐欺、牽制、誘導には注意したい。
ウイッキペデイア織田信光によると
「『信長公記』によると、信長と敵対する織田大和守家
当主・織田信友の重臣・坂井大膳の誘いに応じるふりをし、
天文24年(1555年)4月19日に清洲城に入城。翌20日、
信友を謀殺して清洲城を奪い、大膳は今川義元の下に逃
れた。 信光は信長に清洲城を渡すと、自身は信長より
譲られた那古屋城に入ったが、弘治元年11月26日
(1556年1月7日)に不慮の死を遂げた。『甫庵信長記』
によると、近臣で北の方(信光夫人)と通じていた坂井
孫八郎により殺害されたという。 」とある。
人間の歴史とは絶えず本音とタテマエの文化の
連続である。ウソを言うや。人のネタやタネを
巧妙に搾取して栄え正直で誠実な者が敗れ去る。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます