三流読書人

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ドングリ小屋住人 

多喜二忌

2006年02月21日 07時17分44秒 | 教育 
 昨日は、多喜二忌(小林多喜二の命日)。彼は時の政府によって1933年2月20日虐殺された。
 彼の「一九二八年三月一五日」という小説がある。彼が描いた想像を絶する特高の拷問のシーン。
 一部を紹介したい。

【 次に渡は裸にされて、爪先と床の間が二、三寸位離れる程度吊し上げられた。
「おい、いい加減にどうだ」下から柔道三段の巡査が、ブランと下がった渡の足を自分の手の甲で軽く叩いた。
「加減もんでたまるかい。」
「馬鹿だなァ。今度のは新式だぞ」
「何でもいい。」
「ウフン。」
 渡は、だが、今度のはこたえた。それは畳屋の使う太い針を身体に刺す。一刺しされる度に、彼は強烈な電気に触れたように、自分の身体がギュンと瞬間縮まる、と思った。彼は吊されている身体をくねらし、くねらし、口をギュッとくいしばり、大声で叫んだ。
「殺せ、殺せーえ、殺せーえ!!」
 それは竹刀、平手、鉄棒、細引きでなぐられるよりひどく堪えた。】

 1933年2月20日、小林多喜二は捕らえられ、特高は彼が描いたとおりの凄まじい拷問をくわえ、その日のうちに多喜二を虐殺した。享年29歳4ヶ月。
 こういう思想の持ち主は殺してもよいという時代であった。

 今、こいつはテロリストであると判断すれば、拷問も殺すことも許されるという発想があるのではないか。
 このアメリカ的発想が暴露され始めている。
 いいのか、このアメリカに追随していって日本は謬りなく、日本国民はこの先、平和に暮らせるのか。
 日本の、私たちの意志でなく、無理矢理戦争に参加させられて、日本の若者が殺されることはないのか。
 日本の若者に人殺しをさせることにならないのか。
 そのことを命じるためには憲法を変えなければならない。
 なぜなのだ。
 そんなこと許せるか。
 私の息子は大丈夫だろうか。