若い頃、特にサユリストというわけではなかったけれど、最近の吉永小百合さん、歳月を経てますます魅力的になってきました。一頃、TVのCMでバタフライで泳ぐ映像が流されていたことがありました。すごいと思いました。
今の美しさ、知性美というんでしょうかね。
6月26日の『毎日新聞』「戦後60年の原点」シリーズの総集編のトップでインタビューを受けています。一面です。 彼女の発言の一部を紹介します。読んで下さい。
◆1968年に「あゝ ひめゆりの塔」という作品で女子学生を演じました。… あまりに悲惨なシーンばかりで、冷静な芝居ができなかった。本土であまり沖縄の痛みを分かっていない人たちにとっては私たちの演技では伝わらなかったんじゃないかという思いがながいことしていました。… 沖縄には遊びに行ってはいけない、という思いが強かったんですね。あれだけの方が亡くなっている。そこで海に入ったりできない、と。(後に沖縄に行ったとき沖縄の人が)「沖縄というところはね、つらいことがいっぱいあったけれど、どちらかといえば、悲劇より喜劇が好きなんだ」って。それで、私がそういう否定的な部分でこだわっているんじゃなくて、もっと沖縄に何度もきて、その中から自分の答えを見つけた方がいいかなと思うようになったんです。… (吉永さんは現在の日本の平和が)「世界の中でしっかり地に足のついた平和ではない」「過去に何があったかを見つめようとしない国民性が問題。あったことはあった として、きちっと知ったうえで、それを乗り越えたり、反省したりして、生きていくのが人間だと思う。
◆「戦争にゆきましょう」みたいな役はやりたくないとは思っていますけど役者ですから、いろんな役をやるのは当然のことでね。やらなきゃいけないし。ただ、人間としては絶対に、憲法9条を守って戦争にはいかない。日本はね、戦争には参画しないし、世界中が9条みたいな憲法を持ったら、結局は戦争はなくなるわけですから。そうなってほしいし、それは人間としての自分の願いですし。…
◆(テロをなくすという理由で新たな戦争が起きたり、ということに関して)目には目をみたいな、本当に。エンドレスでどんどんむしろ拡大してますよね。とっても悲しいし、ときには無力感をみたいなものも持ちますけれども。核兵器の廃絶だってね。なかなか実現しない。でもあきらめたら、もう終わりだと思いますしね。
長くなるので引用はこれでやめます。 同日の同じシリーズの一部に俳優若林豪さんの長崎での原爆体験を語っています。「悲劇の匂いかいでほしい」という囲み記事です。これも凄い内容です。