「世の中はまともになりつつあるか」
『毎日新聞』新聞のコラム「発信箱」で中村記者はいう。「世の中はまともになりつつあるとは考えられないだろうか」。最後に引用しているヘレンケラーの言葉「悲観主義者が、星々の神秘を探求したり未知の土地に航海したり、人の魂にふれる新しい扉を開いたことはこれまで一度もない」。 しばらくはこの言葉をかみしめてみよう。
毎日新聞 2007年12月28日
コラム『発信箱』 「嘆いても始まらない」 中村秀明(経済部)
「ひどい世の中になった」「日本人は壊れてしまった」。暗い顔をして、そう語る人が増えた。
確かに今年、倫理観と責任感が抜け落ちたような事件がいくつか起きた。しかし、その出発点の多くは過去にある。「昔は良かった」と言いたがる人が口にする、その昔に。赤福の偽装は30年前からで、栗本鉄工所は40年も高速道路の型枠の強度を偽ってきた。前防衛事務次官と業者の癒着も、薬害C型肝炎問題にフタをしてきたのも、今に始まったわけではない。
倫理観や責任感の欠如に気づかず、問題にしてこなかった昔と、それが厳しく問われ、次々に表面化する今。どちらがひどいのだろう。浄化作用がそれなりに働き、世の中はまともになりつつあるとは考えられないだろうか。
今年生まれた赤ん坊をはじめ、次の世代に思いをはせてみよう。「ひどい世の中になった」という嘆きは彼らの心にどう響くのか。「金はなかったが、心は豊かだった」と昔を懐かしむ風潮に何を思うだろう。「誰のせい」と言いたくなるのではないか。
実際、世の中はそれほどひどくはないし、日本人は壊れてもいない。問題はあるが、解決できないわけではない。「喪失」「崩壊」と嘆く人は、その気をなくし、未来への責任感がうせた言い訳をしているだけかもしれない。
来年はヘレン・ケラーが亡くなって40年になる。
彼女は、こんな言葉を残した。
「悲観主義者が、星々の神秘を探求したり未知の土地に航海したり、人の魂にふれる新しい扉を開いたことはこれまで一度もない」
(経済部)