1945年7月9日深夜から、7月 10日未明、和歌山市は米軍爆撃機B29による爆撃を受けた。
私は、5歳と10カ月、和歌山市吉田160番地に住んでいた。
まわりはすべて紅蓮の炎、その中をともかく東へ東へと逃げた。防空頭巾はひもがちぎれたか頭は剥き出しであった。
道端の座布団のようなものをかぶって逃げた。和歌山市の東、田んぼの中の親戚の家にたどりついた。
死者千数百名というがわからない。
しばらく親戚にやっかいになり、紀ノ川の上流、現かつらぎ町のあたりに住み着いた。
以後60数年間を紀ノ川沿いの人間として生き延びた。
飢餓、貧乏、いじめあらゆることを経験した。もう忘れよう。
ここまで生きさせてくれてありがとう。
今を生きるこどもたち、これから生まれるこどもたち、戦争とは無縁の日本でありますように。
そのために今度の参院選は傍観できないのだ。