麻生太郎という男
こんな人物を私はよく知らないけれど嫌いです。しかし、私の税金を好き放題に使う人間どもの一人であることは間違いないので文句を言う権利はあると思っている。
先日、9月24日付毎日新聞のコラム「発信箱」に次のような文章が載っていた。以下引用。
《 ボタ山 磯崎由美(生活情報センター)
資料の山をかき分け、現れたのは10円札。「おお、あったあった」。福岡県田川市の私設資料室「ありらん文庫」wp整理しながら、ノンフィクション作家の林えいだいさん(74)が1枚の紙幣の秘話を語った。
林さんの父は神主だった。シベリア出兵で凍傷になり、現地の朝鮮人にキムチで手当てされ足の切断を免れた。太平洋戦争が始まると、炭鉱の過酷さに耐えかねた朝鮮人労働者たちが神社の軒下に逃げてきた。父と子は傷を手当てし、食事を与え、身銭を切って釜山行の船に乗せた。
父は出征兵士への祈祷で「無駄死にするな」と訴え、特高警察に連行された後に他界。戦後、世話した朝鮮人が訪ねて来て、感謝の言葉とこの10円札をくれたという。
自治体職員となった林さんは郊外を告発して37歳で退職してから、炭鉱や戦争に関する民衆の歴史を掘り起こしてきた。資料室の机には大量の薬。3年前がんで倒れ、糖尿病で目もかすむが、「まだまだ」と、一度書き上げた原稿にペンを重ねる。
林さんの案内で筑豊を歩いた。桂川町の麻生吉隈炭鉱跡。閉山後の造成で、事故などで亡くなった労働者と思われる遺骨が数百体出たという。そのボタ山は削られ、ゴルフ場に。どこの町でもさびついたシャッターと、つえをつく高齢者の背中ばかりが目に付く。「夜になると、燃えるボタ山が赤く光って。美しかった‥‥」
筑豊には日本の繁栄と衰退、そして忘れることのできない暗い歴史が刻まれている。その重みを担わなければない戦後30人目の首相がここから生まれる。》
無数の遺体が埋まったボタ山。麻生吉隈炭鉱には限らないんだろうが、労働者の悲鳴と呻きが埋められている。
自分は大金持ちだと自ら言う次期総理大臣よ。そのことを忘れるなよ。
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