伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

時の流れに聞く訃報

2021年12月03日 | 日記
 訃報に寂しさを覚えるのが不思議、というのも、変な表現だ。実際に、NSPにしろ喜多条さんの詩にしろ、レコードやCD、ラジオでしか聞いたことがなく、ご本人に会ったことはないし、どんな方かも、メディア等を通じてしか知ったことがない。

 中村さんについては、たぶん、私の祖母と同じ、岩手県下閉伊郡新里村の蟇目出身で、一関高専で故天野茂さんと平賀和人さんとニュー・サディスティック・ピンク(NSP)を結成し、これもたぶん卒業後にメジャーデビューした。また、少年誌で、ギタリストでシンガーソングライターのCharさんが、これもたぶん駆け出しの頃、NSP(作品では特定を避けていたように記憶するが)のツアーに参加し、その音楽性に反発して袂を分かったという趣旨の漫画を読んだ頃がある。

 そりゃーそうだ。NSPの音楽は「抒情フォーク」と呼ばれる、情緒あふれる穏やかな音楽。ところがCharさんの音楽は、どちらかというとロック、それもどちらかというと激しい感じだった。合わないだろうなとは思う。

 たぶん、この程度しか知らない。

 喜多条さんにしては、もっと知らない。彼の存在を知るきっかけになった「かぐや姫」の「神田川」が、学生運動が盛んな頃の大学生時代を過ごし、実際の体験をもとにした作品・・たぶん・・程度だろう。運動内に発生したセクト闘争などで学生運動が社会的に支持を失い、抑え込まれつつある時代。天下国家を論じていた学生や若者たちが、恋愛や私小説的世界に関心を高め、「神田川」「妹」などが流行した。神田川は三畳一間のアパートが部隊、同じく喜多条さん作詞の「妹」には、明日、友人と結婚する妹がふすまの向こうで寝息を立てているという、日常の姿が描かれ、こうしたことが影響したのだろう。やがて、四畳半フォークなる言葉も生まれた。ある意味、若者音楽の方向性に影響を持った人だったのだろう。



 思春期の時期にこうした人たちの音楽に触れた。
 アニメの主題曲のようなものから卒業し、聞いていたのはアイドル系の音楽だったのだろう。そして、中3の時、イルカさんの「なごり雪」を聞き、フォークソングの方向に道がそれ、なごり雪つながりでかぐや姫さんを始め、フォークソング系・・いわゆるニューミュージックの音楽を聴いていた。NSPは岩手県出身で、NHKの盛岡局で放送したFMリクエストアワーで曲が流れ、人気者になり、メジャーデビューした。番組は土曜日の午後放送で、司会者は三宅民夫アナだった。DJ・三宅の進行で、紹介される数々の音楽、中心は、フォークソングやロックだったと思うのだが、学校から帰り放送を楽しんでいたことを思い出す。

 この時期以来、断続的にその音楽を聴きづけている。歌謡曲、ロック、フォークソングなど、音楽はなんでも聞いてしまう傾向はあるが、これらの音楽が身の回りからなくなったことはない。

 こうしてみると、亡くなった方々はある意味、知らない人達だ。しかし、年齢や住んでいる場所、活動している場所が違うにしろ、曲なり、詩という媒体を通じて、50年近く同時代を過ごしてきた方々だ。このため、ある程度の親近感を持ち続けてきた。そこに寂しさを感じる不思議を感じるのだ。



 考えてみると、この頃に身に付いた嗜好は、それから長い時を経ても変わることはない。三つ子の魂百までもというが、年を経て風体が変わっても、性格というか、思考というか、自分の中身はあんまり変わっていないなぁーとも感じる。精神的成長というか、内面の成長ってあんまりしていないとも感じてしまうのは、寂しい限りだ。

 曲を作った人たちはこの世を去っても、残した音楽がなくなることはない。こからも聞き続けるだろう。実際、訃報に触れ、CDを引っ張り出し、NSPの曲を聴いたりしている。
 たぶん、自分の寿命が尽きるまで、聴いているのだろう。

 書きながら思い出した。実は先だって、中が世時代の同級生が亡くなったという訃報が舞い込んでいた。同級生が亡くなるのは2人目だ。たしか、花輪を出すから1,000円送金してと連絡が来ていたが、すっかり忘れていた。週明けにでも送金しなくちゃ・・。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿