小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

パレルモ・マッシモ劇場『ラ・ボエーム』(6/15)

2023-06-18 06:34:48 | オペラ
2020年の来日予定が延期に次ぐ延期を経ての実現。海外オペラの引っ越し公演が再び東京に戻ってきた。3年前のチケットをそのまま握りしめて東京文化会館に来た人も少なくないという。『ナブッコ』から『ボエーム』に演目は変更され、主役のミミはアンジェラ・ゲオルギュー、ロドルフォはヴィットリオ・グリゴーロというスターの共演が実現した。

開演前から、がやがや練習するオケの音に「イタリア人だなぁ」と笑いがこぼれる。おしゃべりで自由で、それぞれ違う場面の音を出し、オペラと関係ない旋律まで聴こえてくる。指揮者のフランチェスコ・イヴァン・チャンパがピットに入ると、勢いのいいサウンドがはじけ出した。マルチェッロ役のフランチェスコ・ヴルタッジョに続いて、ロドルフォ役のグリゴーロが歌い出すと、一気に明かりがついたような感じになった。冬の寒い空気に晒されたパリの屋根裏部屋に、次々と若者たちが帰ってくる。演劇面ではグリゴーロがグイグイ引っ張っていた。

一幕ですぐにロドルフォとミミは重要なアリアを歌わなければならないが、「冷たい手を」も「私の名はミミ」もかなりスローテンポな指揮で、解釈としては理念を尊重したいが、歌手の生理にあっているのか少し心配になった。オペラで指揮だけが際立つというのはいいのか悪いのか、パッパーノなら完全に裏方に隠れる。グリゴーロは指揮者のテンポを尊重し、粘り強く歌いハイCも見事だった。ゲオルギューのほうが心配で、音が上がり切らなかったところもあったが、呼吸感に沿うもう少し早めの伴奏だったら完璧に歌えたかも。初日の一幕だから、緊張していたのかも知れない。

転換をした二幕のカフェ・モミュスの場面はこの劇場版も賑やか。ムゼッタのジェッシカ・ヌッチオが大活躍の場面だが、品が良すぎて、ミミとコントラストをつけてもう少しケバケバしい演技でもいいのではないかと思った。演出家が歌手につけている芝居は全体的に薄目で、グリゴーロは全体の薄さを一人で埋めようとパワー全開だった。感動的なのは、そうしたグリゴーロのあり方が確実にオペラに活気を与え、座長的なポジションを担っていたことだ。この公演でグリゴーロがどれだけひとつひとつの公演を「成就」させようとしているかが伝わってきて胸が熱くなった。

オケはどんどん良くなって、二幕目以降は文句のつけようがなかった。日本のオケなら照れてしまうような強力な歌心があり、透明感と色彩感に加えて、怖さ知らずの大胆さがある。イタリアに旅したとき「すべてがこんなに大雑把で大丈夫だろうか」と不安になりつつ、最後はすべてが面白かったことを思い出した。引っ越し公演の醍醐味で、彼らがふだん吸っている空気、劇場のアコースティックから何もかもが「違っている」ことが面白かった。

3幕のアンフェール関門の場面は、オケも歌手もすべてがパーフェクトだった。ミミとロドルフォが別れを決意しつつ、冬の間は一緒にいようと歌う場面で、ゲオルギューも見事な表現だった。ゲオルギューとネトレプコは6歳しか年が違わないが、オペラ歌手としての感性は世代がきっちり分かれていて、ゲオルギューはモダンというよりクラシカル。ネトレプコはモダンそのもの。ゲオルギューの、古き良き時代を引き継いでいる感じのヒロインが、とても良かった。グリゴーロは天才的な役者で、どんなアプローチの相手役にもぴったり合う。

3幕の後に15分間の短い休憩があり、その後に4幕が始まるはずが、なかなか開始しない。漏電でピットの照明が一部故障したとのこと。長く上野の文化会館に通っていて、こんなことは初めて。主催者は肝をつぶしかけただろう。10数分待機の時間があったが、長く感じられた。それもこれも「イタリアっぽいのかな」と思える。
幕が開くのを待機していた屋根裏部屋の若者たちが、すぐさまスイッチオンになって元気のいい歌を歌い始めたのも感動。やはり、グリゴーロが凄い。現場感覚がシャープで、寛大。ゲオルギューも、最初のアリアで凹まずに後半を見事に盛り返し、ラストの演技ではプリマドンナの誇りを見せてくれた。ゲオルギューのミミを2023年の東京で聴けるというのは、奇跡のひとつではないか。最後の最後には、ミミの海のように果てしない愛が余韻に残る。

プッチーニはやはり凄い。何度聴いてもボエームは飽きないし、オーケストラによって思いもよらなかった魅力を再発見できる。指揮のイヴァン・チャンパも結構好きになった。

この翌日には『椿姫』を鑑賞し、いよいよパレルモ・マッシモ劇場の魅力にはまった。16年前には『シチリア島の夕べの祈り』と『カヴァパリ』を聴いていたはずなのだが、すっかり記憶が薄れていた。古きを温めつつ、健全な新陳代謝も行われているのだろう。そして何より、引っ越し公演は本当にいいものだと思った。世の中がいくら便利になっても、時代錯誤と呼ばれずにこの貴重なイベントは生き残って欲しい。






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