▲:父が実家で最後に飼っていた2代目ジュリ、現在は唐津市の妹の家に(父が撮影)。
見出し画像は、初代のジュリ。長生きをし、最後まで美しい猫だった。
たち吉とリッチちゃん
現在我が家では犬を飼っているが、元来僕は猫好きである。
幼い頃から両親も祖母も兄弟も家族は兄を除いて皆ゆるい猫好きで、家には常に猫がいたように思う。もっとも猫を飼っていると言っても、現在のようにキャットフードを与え、避妊手術や予防接種し、家の外には出さない、というような管理された飼い方ではなく、猫が勝手に家に住み着いていると言った居候のような飼い方だった。余ったごはんや牛乳を日に何度か与え、家の何処かで寝て、気が向いた時にはゴロゴロと甘え、寒い夜にはふとんの中に入ってくるような、気ままな存在だった。居候の猫にもネズミを家に寄せ付けないという大切な役目があり、時には捉えたネズミをくわえてきて家族に仕事の成果を披露した。
猫が苦手の家人と結婚し、僕が家庭を持ってからは、家猫は絶え、犬好きの長女の希望で10年前にブラック・ラブラトールを飼い始めて、今に至っている。
それでも新婚だった頃には、最後の家猫がいたように記憶するが、しばらくすると行方不明になった。
その家猫が絶えた後の話。
僕の家の近所にも飼い猫か野良猫かわからないような猫が数匹、僕の家をそれぞれの縄張りの一部にしていた。
一匹は、細身のメス猫で、あきらかに外国の猫の血が混じっていると思われる容姿端麗の白い猫。もう一匹は、もりもりと太った顔の大きなオス猫で、傷だらけで薄汚れた茶毛のキジ猫だった。
僕や家族は、飼い猫でもないその二匹の猫に勝手に名前を付けて呼んでいた。オス猫をたち吉。メス猫をリッチちゃん。あくまでもイメージで、某陶器メーカーのブランドとは関係ありません。
当然、二匹になんの責任も無い僕達は、リッチちゃんを見かけたら呼び寄せて食べ物を与え、たち吉を見かけると邪見に追い払った。それでもたち吉は、しぶとく姿を現し、悠然とリッチちゃんに与えたつもりの牛乳をピチャピチャと飲んだりして、追っても逃げようとしない、ふてぶてしい態度と醜い容姿は、僕達の怒りをかっていた。
寒さの厳しい冬の日の休日。僕は倉庫で目にした段ボール箱の空き箱で、リッチちゃんの小屋を作った。小屋を作ったと言っても、段ボール箱の底に古いバスタオルを敷いて再び閉じ、すきま風が入らぬようにガムテープで目張りし、一個だけ正面にリッチちゃんが出入りする丸い穴をナイフで開けただけだ。その穴の上に「リッチフィールド」と表札替わりにマジックで名前を書いた。そのリッチフィールドこと通称リッチちゃんの家を、リッチちゃんの餌の皿がある勝手口の側の荷物の上に置いていた。飼い猫か野良猫か判然としないリッチちゃんだが、もし野良猫だとしたら家の中に上げられないので、せめて寒い夜にこの小屋で過ごしてくれたらという願いからだった。
その夜、勝手口から懐中電灯を手に寒い外に出た僕は、「リッチちゃーん」と甘い声で呼びつつも「たぶんいないだろうなあ」と思いながらリッチちゃんの小屋の出入り口となっている小さな穴から、懐中電灯の明かりを差し込んだ。
すると突然、段ボール箱の小屋全体が大きく揺れ、バタバタという音がした。そして期待を高まらせた僕が見たのは、明かりに照らされた小さな穴いっぱいにズボッと顔を出した、あのたち吉の不細工で憎たらしい顔だった。
「わあー」と僕は驚いて大きな声を出した。
たち吉の方も、あきらかに大慌てで外に出ようとしている。しかしリッチちゃん用の小さな穴に較べて大きな顔と身体がつかえて必死にもがいていた。予想外の出来事に放心状態の僕は、ぶるぶると身体を揺すりながら、やっと穴から抜け出し、走って逃げ去るたち吉を見送るだけだった。
入るときも相当苦労したに違いない。余程寒かったのだろう。
猫がハンサムか美人か不細工かは、人間の価値観だ。それだけで扱いを差別するのは僕達人間の勝手で、たち吉に罪は無い。少し気の毒に思った。
それでもたち吉の去った後、まさかリッチちゃんとたち吉が仲良く同衾していたのではあるまいなと小屋の中を確認して、リッチちゃんがいなかったことに、何やらほっとするのであった。
(2012.4.13)